2010/04/14

スマイル・マーク対ピース・マーク


隠れステッカー・ロッカー(ステッカーを集めているおたく)の私は、このスマイル・マークにやる気を出させてもらったひとりである。スマイル・マークをGジャン縫い付け。スマイル・マークのバッジを帽子に着け。スマイル・ステッカーを旅先のカフェのテーブルに貼り、次に座る人の顔を想像して楽しんでいる。
 スマイル・マークの流行は、ピース・マークの流行と切っても切り離せない関係にある。‘60年代には様々なバッジが現れた。“メイク・ラブ・ノット・ワァー” “フラワー・パワー” “ブラック・イズ・ビューティフル” ゴット・イズ・デッド“etc、、。アメリカ人はこれらのバッジを衿に付けることで、次に起こる事態に対する自分の考え方を簡明に表わした。
 時は1967年夏、場所はサンフランシスコのヒッピーのたまり場ヘイト・アシュベリー地区。ひと夏のラブ・イン(愛の集会)を求めて、何千という若者が集まっていた。ラブ・チャイルドは派手な色とりどりのデニムをはき、花模様のシャツを着て、ナバホ・インディアンのハチマキを付け、鮮やかなボディ・ペイントを施して、長い髪をのばしてそぞろ歩いていた。ストリートにはマリファナの香りが漂い、窓からは強烈なロック・ミュージックがガンガン響いていた。「キミの灯をともせ、やらなければいけないことはそれだけだ」通りにたむろする連中のほとんどは10代から20代のはじめの若者だった。ベトナムに行って見ず知らずの人間を殺すよりは、こうして愛の精神を唱え、自分のガール・フレンドのスニーカーにスマイル・マークやピース・マークを描いていたほうがいいと決め込み、フリーク・アウトした連中たちの集いだった。「百人殺せば英雄だけど、ひとり殺せば殺人。どこがいったいどう違うんだ!」と疑問が頭に持ち上がったピースフルな連中の間で、スマイル・マークは大流行していったのだ。スマイル・マークのバッジを付けた若者たちの間では口々にこう叫んだ。「神があり、愛があり、僕がいる」確かに愛こそがこの場を支配するすべてだった。路上生活をしていた彼らの間を吹き抜けていく空気は、エロチシズムの香りがあたりいっぱいに漂っていたとはいえ、それは肉体的な愛ばかりではない。誰彼と差別なく、すべての人を包み込む同胞愛のようなものであった。「私は愛が大好きだ。感じのいい街を歩くのも大好きだ。嫌いなヤツなんてどこにもいない」
 同じ情景、それにほとんど同じ気持ちの交流は全米各地のほかのヒッピーのたまり場にも見られた。ニューヨークのイースト・ヴレッジ、トンプキンス・スクエア公園、ボストンではボストン・コモンetc.、、、、。またこのムーブメントは世界中に飛び火していったと言ってもいいだろう。愛の運動は60年代半ばから着々と広がり、ベトナム戦争の集結を迎えた。そのシンボル・マークの必然性から生まれたのがスマイル&ピース&ラブというわけだ。いかにスマイル・マークが、それらの勇気ある行動にやる気を与えたかは計りしれない。
 私はこのふたつのマークが好きである。ピース・マークは平和のシンボルである鳩の足をあしらったマークである。世界中の人々に平和が来ることを祈ろう。
   御供   1999/7/28 13/9/23

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