私の放浪生活は、
18歳でアメリカへ行った時からはじまっている。
私は言語の枠を超えて、
笑顔と感と少ない荷物で旅をした。
私ははじめて女性を愛した。
ひたすらに恋に恋するふしだらな人間のひとりに違いない。
私たち旅人はみなそうだ。
私たちの旅は友情か恋愛が、
大部分のエロチシズムである。
旅のロマンティシズムは半分はアバンチュール。
その期待の中に秘そんでいる。
私たち旅人は恋の願望が満たされないままのもの。
その旅の途中恋愛は愛と変貌し、
愛の対象が変わる。
山や湖に渓谷に。
路傍の子供たちへ。
牛に小鳥に帳に惜しみなく与えられる。
私たちは旅によって、
愛を愛の対象から解き放つ。
私たちにとっては愛は愛そのもので充分だ。
旅をする時に目的地を求めない。
さすらうことの楽しみそのものを、
旅の途上にあることの楽しみを求めることと同じだ。
おまえは私の愛の目標ではなく、
愛の原動力なのだ。
私はこれを道ばたに咲く花に、
グラスに写る光の中に、
雨が舞う反射の光に。
私が世の中にこのような恋をするようになったのは、
君がいるから。
でも本当に愛する君がいれば私の体は君の元にある。
私はさすらいの旅をやめてしまうかもしれない。
さすらいの残りの人生を君の人生に与えよう。
私はいくつきもずっと考えていた。
この哀れな私の人生はなんと美しく、
なんと愚かで、
なんと魅惑に満ちていることだろう。
御供 1999/3/8

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