2010/07/16

放浪にたとえて


私の放浪生活は、
18歳でアメリカへ行った時からはじまっている。
私は言語の枠を超えて、
笑顔と感と少ない荷物で旅をした。
私ははじめて女性を愛した。
ひたすらに恋に恋するふしだらな人間のひとりに違いない。
私たち旅人はみなそうだ。
私たちの旅は友情か恋愛が、
大部分のエロチシズムである。
旅のロマンティシズムは半分はアバンチュール。
その期待の中に秘そんでいる。
私たち旅人は恋の願望が満たされないままのもの。
その旅の途中恋愛は愛と変貌し、
愛の対象が変わる。
山や湖に渓谷に。
路傍の子供たちへ。
牛に小鳥に帳に惜しみなく与えられる。
私たちは旅によって、
愛を愛の対象から解き放つ。
私たちにとっては愛は愛そのもので充分だ。
旅をする時に目的地を求めない。
さすらうことの楽しみそのものを、
旅の途上にあることの楽しみを求めることと同じだ。
おまえは私の愛の目標ではなく、
愛の原動力なのだ。
私はこれを道ばたに咲く花に、
グラスに写る光の中に、
雨が舞う反射の光に。
私が世の中にこのような恋をするようになったのは、
君がいるから。
でも本当に愛する君がいれば私の体は君の元にある。
私はさすらいの旅をやめてしまうかもしれない。
さすらいの残りの人生を君の人生に与えよう。
私はいくつきもずっと考えていた。
この哀れな私の人生はなんと美しく、
なんと愚かで、
なんと魅惑に満ちていることだろう。
   御供 1999/3/8

0 件のコメント: