「キミの歩く道は?聖なる道か、群れた魚のような道か?どんな道でもいい。どんな人間にもどんな風にも道はあるんだ!」
1957年1冊の不思議な小説がベストセラーになった。
とりたててこれといった筋もなければ構成もない。
しかも文体は詩とも散文ともつかぬまま永遠と続く一人称のナレーション。
だが、これまでの文学的常識を全く無視したかのようなこの型破りの小説には、
これまで誰も知らなかったような青春群像の冒険が描かれていた。
「オン・ザ・ロード」
病んだ文明の象徴、
大都会のニューヨークを後にデンバー、
ニューオーリンズ、サンフランシスコ、、、、、、、。
打ちひしがれた生のビジョンを回復すべく。
自由と恍惚。
生の至福を求めて。
ハイウェイを疾走するワイルドでクレイジーな若者。
お仕着せのモラルや価値観を振り捨て、
その時、五感の前にあるものをすべて包み込み隠さず書く。
新しいビジョンと真実を猛者悪しようと決意した神の王様の若者たち。
「クールであれ!ヒップであれ!セックスは神聖なるものだ。個人の体験の感情を信じろ!内なるハート、ビートを信じろ!オレたちはこの絶望と至福の時代を生きる。ビート・ジェネレーション」
ビートニクはお仕着せのアメリカン・ドリームからの逃亡者であり、
共感に満ちた態度でお互いの旅を見守り。
刺激、影響を与え合った。
そして自己の体験をもとに、、、、。
同性愛、麻薬、黒人音楽への傾向、仏教や禅。
アメリカン・インディアン「ネイティブ・インディアン」
これまでのタブーされていたあらゆる「神秘」の罪を解き放ち、
常識の枠を打ち破った、聖なる野蛮人たちである。
ニューヨークのグリニッジ・ビレッジ。
サンフランシスコのノース・ビーチのカフェにたむろするボヘミアン。
「ビート・ジェネレーションとは何かって?なぁに街角のカフェにたむろして世界の終末についておしゃべりしているガキたちのことさ」
と、ジャック・ケルァックは言う。
数年後、街角でたむろするそのガキたちの中から、
ボブ・ディランというロック詩人が現れた。
ジム・モリソン、ジャニス・ジョプリン、グレイトフル・デット、トーキング・ヘッズ、トム・ウェルツ,REM,,,,。
一握りのならず者ロック詩人たちが現れた。
ビート・ジェネレーションの夢が、60年代のヒッピー世代へと心ある詩人。ソングライター、アーティストたちの手へと確実に受け継がれていった。自由奔放なジャズ、シャッフル的意識革命。ビート・ジェネレーションのユーモアでもある。加速度的に世界の終末に向けて転げていくかのような。90年代、こんな不透明で混沌としている時代だからこそ私たちはもう一度、ひとりひとりの内側にある荒野に向かって裸の視線を送る必要があるのではないだろうか。
キミの歩く道はビート・ジェネレーションの問いかける遥かなる昨日の神話の中で、死滅してしまってはいけないのだから。
御供 2000/10/19

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