2010/03/31

偉大なる詩人ジャック・ケルアックに捧げる!




[私の思考は不規則でコーラスからコーラスへとまたがったり、あるコーラスの途中で始まって、別のコーラスの途中で終わったりするからご用心!]
<コーラス2>
人生の途中で迷いはない。
人生を真剣に生きている者は迷わない。
私は知っている、
カルマは埋もれたりしないと。
でもカルマは知らないうちに消滅することもある。
それがニルヴァーナ。
乱暴な人殺しには病気のカルマ。
善良で人を愛する人には平和なカルマ。
愚か者とは哀れな地獄の住人。
こっそりと近づいて来て、人の同情をつのる。
<コーラス3>
記録せよ!
大都会の変わりゆくいとなみを、堕落を。
そして輝いているものを。
人と人との間をやさしさと思いやりを持って、
「歌いながらパンを得よ」
人の見えないところで、自由と真実を求めて!
白い世界を灰色に変えないように。
愛と平和を、そしてサクセスを。
天使の翼を持って旅しよう。
いくらお金を貯め込んだって、国が終わっちまったらただの紙切れ。
資源を無駄ずかいしないでくれ!
まるで終わりなき天国のよう。
それに数えきれない知覚の生き物。
彼らが入るのは数えきれないもの。
ネクタイに背広、アスファルトの上を歩く革靴。
アチャー、なんちゃって紫の極楽。
<コーラス7>
存在と非在という気まぐれな概念に惑わされない者。
都会の達人。
死によって至福を。
死によってすべてを夢みて歩いてる。
死はかならず来る。
今を楽しもう。
存在と非在を否定する者。
如来。
本質を生きる。
予言。
吟遊詩人。
人間に作られた本質。
本質に作られた人間。
光を作る者。
光を滅ぼす者。
<コーラス11>
知人が[オン・ザ・ロード・アゲイン]という本を書いた。
麻薬の街。
スイッチ・オン!
怒りが降る。
<コーラス12>
何もなし。
<コーラス19>
キリストが平和を与えてくれるわけじゃない。
自分の力で愛し、働き、自由を手に入れるのさ。
昨日、私は神と話した。
すべてはうまく運ぶ、
予言するわけじゃないけれど。
無の言語の法廷の裁判と判決によって、
私はやっとその言葉の意味を理解する。
<コーラス31>
アンディ・ウォホール。
ポップ・アートとして世界を征す!
偉大なる予言者は偉大なる教師。
しかしてまた偉大なる聖人。
しかのみならず偉大なる人間。
そのまたおまけにどこにいたって、音楽も非音楽も聴いてしまう。
比類なき聞き手、そして印税の父となる。
木の下に座す。
偉大な瞑想者。
自然志向。
悲しみの人。
天使の楽のオレンジの光。
カルト宗教。
乗りに乗ってる芸能人。
自己嫌悪を嫌悪する者。
T-REX風の舞台で足踏み鳴らして聖人の対話を聞く者。
詩を書く、楽天家の筆者。
<コーラス34>
予定なし、
デートなし、
夜は誕生日会。
そこで気まぐれに人やらファッションを探検に行く。
地球に生まれて生きて行くのにむずかしい理由はいらない。
ときめきと恍惚。
私はボーダーを持たないアース・ピープル。
本当は地球市民。
政治には関心なし。
世界を旅することで国のない王となる。
私は気まぐれに旅をしているだけ。
いったん作った仮の砦を投げ捨てて、
一生愛と創造の旅をつづけよう。
それで充分だろ!
<コーラス51>
世界は許しうる夢。
思い起こせ。
今からでも遅くない。
誰にも失敗はある。
世界は日々狭くなっていく。
地球のリズムは宇宙のリズム。
そして、私のリズム。
旅の途上で好きなことができるし、
会いたい人にも会える。
どこに行ったってたいして変わるものじゃないけれど、
動きつづけて人間というわけ。
ドラッグ、セックス、ロックンロールと言うけれど、
すべてのことをまじめにやることさ。
バット・ハートな心で楽しんでバクハツして、
思う存分自分を追求。
おまけに片目で世界をにらみ、
新しい街に入って行くときのワクワクが最高のドラックさ。
<コーラス53>
陽気にやろうぜ。
陽気にね。
たった一度の人生、
朝から晩まで陽気にね。
青い海を越えて行く。
「楽しくなけりゃ人生じゃない」
人間はコンピューター、音楽も。
そして、癒しの音。
ギャンブルよりもパンを。
「シー」という聖なる声が聞こえた。
<コーラス54>
アメリカにあこがれて思いっきりかぶれていた。
私は羽田からパンナムに乗ってカルフォルニア・バークレー校に行った。
そして私の旅ははじまり、終わりのない楽しみを求めてつづいている。
愛と創造の道を歩いている。
すべてのことが拡大され、
私の心はパーソナルを形成した。
人間がどう生きるか?
人間が人間らしく生きるってどういうことなんだろう。
長い大通りには気の合うヤツしかいなかった。
途中で気の変わることなんてしなかった。
果てしなくつづく、
アメリカン・ウェイを4000マイル走りぬいた。
ドライブ、ジプシー・ブーツに引かれて!
クレイジー・ホース。
アメリカの広さ、誰でも走った方がいい。
私の走りつづける道はどこまでもつづく、
終わりのないうれしい挑戦。
どんどんと進んで行く。
もう止まることはできないのだから。
砂漠の向こうに街の灯が見える。
すっかりと見とれて、
自然も街も両方欲しい。
<コーラス55>
入院した時、
なんでこのベットの上にいるんだろうと考えた。
この時間は、
次なる時間の先端を見るための大切な時間。
ヘッセに出会い。
多くの本の作者と会話する。
あらゆる人に道はあり、
ひとりひとりの道の上を歩いているのだと気づく。
もう気づいてしまった。
<コーラス56>
大都会に住む人たちは、まんねりの鬱病。
「癒し」の時代に突入。
何を食べるかじゃなく、心の救いを求めてる。
やわらかい精神というものを分解されないように。
イオンを手に入れる。
ハーブがまた必要な時代。
食べるんじゃなく、
香りを必要としているなんてお笑いぐさだね。
<コーラス58>
なんのために生きているのか?
不安は現代人につきもの。
癌細胞。
いくら薬をたくさん飲んだからってなおるわけじゃない。
角度を変えて考える作業が一番いいみたい。
楽しいこと、
楽しい所、
楽しい人と会うべきさ。
<コーラス64>
有名になりたいわけじゃない。
人間として、
自由と真実を求めているだけ。
人と違うルックスをしているのは、
別にわけなどいらないはずさ。
どうせだったら、
森の中でひとりで暮らそうと考えたりもしたけど。
人間を放棄したいとも思わない。
人間の森という都会に生きていた方が、
私にとって快適だからそうしてる。
でも、両方欲しいというのが本根かな。
山にこもったって、
焼きたてのパンも、
映画も観られないし、
女の子にだって会えない。
自分にとってのパラダイスは探しているけど、
誰もが言うような天国があるなんて思っていない。
ムーの土地。
天国の正義の地。
そいつは作り出すものさ。
どこだっていいけれど、
できれば暖かいところがいい。
文化のないところ、
友がいないところなんて考えられない。
光、太陽、ネオン、
じゃまするものがないところじゃない。
友になれるヤツがいるところさ。
人がよりつかぬところじゃだめさ。
ひとりでいるのはいいけれど、
たまの夜など寂しい時もあるからね。
「ヒュー」と沈黙の音が聞こえる。
<コーラス65>
私の言うことはあまのじゃくかもしれないが、
ウソのない真実の言葉。
いっくら勉強したって理解できないヤツもいるさ。
理解するには旅をすることさ。
いろいろな未来の光が集うところ。
素足の求道者たちの列を照らし出す、
通り過ぎる天女たちを照らしたこともある。
これからは煙も粉ももう古い光の時代、
光の覚醒に期待しよう。
<コーラス67>
東京でなにをやったって成功はない。
そのかわり失敗もないんじゃないかな。
すべてのものはあるものと同じ。
あるものとはなくはないもの。
すべては無。
すべては輝いて見えるけど、
それは心の中で輝いているだけ。
空白。
あてどない思考をなげかけても答えはでない。
しかし間違いじゃない。
草木と話しをしてれば楽かもしれないが、
肌で感じることも必要なんだよ。
コンピュター社会の中、
より人間らしさが求められる時代。
見えるものは空白。
でも恐れるな。
地球は終わらない。
おびえるな。
より良い日がやがて来る。
なんでもないと考えればいい。
21世紀の人間たちへ、
J・ケルアックの詩的オデッセイを感じるがいい。
<コーラス68>
これが本物だと言い切れるものがどこにあるだろう。
概念で語られているだけの世界。
本質はなんなのか?
あらゆるものは同じもの。
本質でできている。
母なる自然ではなく、純粋な自然。
キミの思考の実体を表現するのは、
この瞬間の宇宙のからっぽと同じ。
それはそこにあり、
どこにでもある。
からっぽさの内側にキミが聞く沈黙と同じ。
だから無知に気をつけなければいけない。
この世の中を良いものにしようとする、
私の心の中のゆくへ。
<コーラス69>
現代社会の権力者たちよ。
文明社会の肩書きのない荒野で、
ひとりになった時のことを考えてくれ。
同じように星は両者に見えることを。
考えたらそんなに地球を破壊しつづけてはいけない。
わかるだろ。
いつわりの言葉でいじめるのはやめるべきさ。
弱者がわからないようにたくみに、
国家というものの名をかりて。
どこまで腐りきったらわかるのか?
すべての賢者が国を利用するとは限らない。
罪悪感で後ろめたいと思うなら、
真の正義を思い出して欲しい。
天国は金持ちでいっぱいじゃない。
やさしさと思いやりのあるヤツでいっぱいさ。
<コーラス70>
信じるものがあったら平和。
自分を信じられないから心に平和はやって来ない。
もっと自分を信じて生きるべきさ。
型あるものはいつかはなくなる。
魂はよみがえり、
かならず豊かな人生の輝きとなる。
とにかく有意義に生きること。
くだらない人生を生きたくなかったら、
今の自分にカタをつける。
愚かさを始末する。
<コーラス90>
苦しんでいる自分がわからない。
いつもこの苦しみは幻なんだと思う。
ある時とてつもなく幸福なんだと感じた。
自分が洗われるように見えた。
そして人間らしく生きたと感じた。
何が違うのかさえわからないまま。
同じ意味でこれも幻だった。
つまり死に向かって歩いていることの空白。
今を生きなければ生きたことにはならない。
ため息の中に押し込められた人生におさらばして、
楽しみを見つける。
望み、救われた人生を送りたい。
<コーラス111>
サンクリット語が話せるからって、
どうだっていうんだ。
至高にて完璧なる知恵を体得した時、
私は何も体得しない。
何も体得しなかった。
何も変わりはしなかった。
何も実現されるはずがなかった。
あらゆる偽りの概念を捨てることによって、
至高なる知恵の概念まで捨て去ってしまう。
内なる平和を秘めて、
私は世界に向かった。
何も言わないまま。
平和を奪い、
そのために地球を破壊して行くのか。
私は自分が何を考えているのかもわからないまま、
空白のエクスタシーに浸っている。
<コーラス113>
起きた。
着替えた。
出かけたを繰り返す。
日々の中、死はやって来て、
墓に埋められ、
ああ、、、、
そして同じところに到着点、出発点。
地球の熱い意味の上を、
つま先だって歩いている。
越える予言者はいなかった。
ただそこに行けないだけ。
   御供
コーラスは240+アルファまでつづくので残りは次回。
      11/12/18  2013/5/18
読み返して、うれしくなる。いまでは出てこない熱い言葉の羅列を感じる。

GO TO PEACE



人間が楽に暮らせるところなんて、
どこにもないのさ。
水のない川を見たとき、そう思った。
だからこそ、
目的意識をハッキリ持って旅をするのさ。
大地が与えてくれた、
ウラニウムを元に帰そう。
PEACE&LOVE
自然に帰ることが大切なんだ。
平和なところなんてどこにもないのさ。
もしあるとしたら、心の中に違いない。
TAOSに向かって、
アバキューを通って。
あそこにあった白い十字架の荒れ果てた教会は権力のぶつかり合い。
人間の醜さ。
でも、あの素晴らしい風景と風の音は変わらない。
TAOSに向かうんだ。
目的意識を持って。
みんないっしょさ、ゲット・ツゥゲザー。
楽しくやろうぜ、思いっきり。
平和なんてどこにでもあるものさ、
心の中にね。
そう、TAOSはもう近い。
そこまで来ている。
みんなで力を合わせて共有しよう。
ボクらは未来と過去を通ってやって来た旅人さ。
ちょっと違う空気を吸いたくて、
透明なクリスタルのようなヤツさ。
あの素晴らしい風景を頭の中に記録しよう。
この宇宙に比べたら、人間社会のことなんて。
PEACEに向かって旅しよう。
ジョージア・オキーフもアバキューで時間を過ごした過去の人。
自然と共に生きた、
強い意志を持った女の人。
心に来る沈黙を!
大自然との共存を!
そして、アートという人間の楽しみを。
ここは宇宙への入り口。
スピリチァルなパワーが交差する。
だって心には清らかな水が流れ、
うつくしい風が通りすぎている場所だから。
あのガラスのない窓のように、
意識はそこにある。
PEACEへの入り口を開けよう。
アバキューにある天井のない教会、ガラスのない窓がある。
入り口は正方形で、
白い十字架が風景にとけこむ。
   ON THE ROAD AGAIN!
    御供    11/12/18 2013/5/18

東京の中心


東京の中心はどこなのか?
みな自分が中心だと考えてはいないだろうか。
不安でたまらなくて中心を探して歩く。
千代田区一番町のビルの上、そこより上はもうないはずさ。
ここが中心なのかとふと思うけど、
ビルの上には誰が住んでいるのかミステリー。
謎めいているこのビル。
誰が住んでいるのか知る者はいない。
何をする人なのか知る者はいない。
そのビルの前を通り過ぎる時、
大きさも高さもビルの型も違って見える。
ふと気づく、あのビルは本当に存在するのだろうか?
存在しているのは私の心の中だけ。
ビルの上の階にはIT関係の事務所。
ライフドアがあり、3本木ヒルズと書かれてる。
その下の階には弁護士の集まる法律事務所があるらしい。
堂々としている人たちと一緒に、
こそこそしている犯罪者の目つきの人が出入りする。
その下の階にはペット・ショップ。
子供と老人がニコニコしながら、
放心状態で檻の中に入っている。
その下には食料品の貿易会社の名がある。
果ての国から送られてくるキャビアとトリュフとフォアグラだけを取り扱う貿易食品会社。
その階には宝石と薬を輸出入するらしい、
フリー・メイソンの会社もある。
下にはコンピュターと為替レートの証券取引所があり、
電気や光が消えたことがないようだ。
10階には思いがけない映画館だが、
プレイボーイ・クラブとソープランドがひしめきあっている。
だが出入りしている人間の顔は見えない。
エレベーターが開くと『欲望という名の電車』のポスターが何枚も連続して貼ってある。
床には使い古したティシュとコンドームがところ狭しと捨てられている。
悪臭さえ沸いている。
下に来るにつれて、何かとモラル的な会社。
そんな会社名が目に付く。
大使館ではあるが、人知れずアフリカにある共和国だろう。
壁には救済のポスターのアートがくちはてている。
目をこらして見ると、『ボランティア』と読める。
大使館で働く人たちは、
誰ひとり言葉を話さずランチを食べている。
国旗は見たこともないものばかりで赤とみどりの色がはんらんしている。
その下5階は、安全を売る警備保障の会社。
連夜連日、そこには赤く光った警報ランプが鳴りっぱなしで、
ヒステリックなフロイト・カラーが点滅している。
3階は人間の売買場。
階は夢を売る店。
そして1階はないものはないというコンビニエンス・ストア。
すべてのものがあらゆるものが、
店内に入ると目の前に手の届くところにベルト・コンベアで運ばれてくる。
それは入った客の心の中をよみとるかのようにするどい作業だ。
一度店に入ると入った者の全員の登録がなされてしまい、
まるで、まったりした区役所の出生届けのコーナーに似ている。
防犯カメラは防犯としてではなく、そのあることも防犯している。
地下3階はマフィアたちの憩いの場。
そこは仲間意識が高まって争いはない。
もしかしたら唯一争いのない地球上のめずらしいところ。
悪巧みと友情と札束の取引の場。
かつてあった郵便局や税務署はもう閉店して閉まって開かずの間。
それでも年金をもらおうとかつての会社員が座り込んで、
新聞紙や書類を燃やして暖をとっている。
この東京の中心にある高いビルは見え隠れしながら建っている。
とてもミステリーなビル。
誰が住んでいるのか知る人も、知ろうとする者もいない。
しかし、住人になりたい人たちの夢の中での競争率は一番高いといううわさ。
楽観的に見ても悲観的に見ても、
不可解な空白の灰色の空が浮かんでる。
ここが東京の中心だと誰も知らない。
東京とはそんなところ。
誰もが中心を探しているが見つからない。
  H.MITOMO      11/12/18  12/9/5

2010/03/30

THIS IS MY POEM


人間の心は飽きることを知らない。
そう燃えるんだ。
今日やることを決めて、
明日という未来に夢を。
人間は何かを見て変わっていく。
ある日突然、変わることだってあるんじゃないかな。
ニール・ヤングが言ってた。
「変わりつづけるからこそ、変わらずに生きて行けるんだ」
今日、友だちは息絶えた。
友だちの分まで楽しくやろう。
世界を変えようなんて考えたことはないさ。
大それたことなんて考えたことないさ。
でも、自分から変わることくらいはできると思うんだ。
小さな変化が大きな変化になるんだよ。
きれいな水が流れている川を見てごらん、
もうあそこには水はない。
きれいな水は流れていない。
腐らないためにも流れを止めないことさ。
この大自然の中で人間はポツンとアリのような存在なんだ。
よくアイツは輝いているよ。
アイツは素晴らしいよって言うよね。
でも、人間同士すごいとか考えたことないよ。
そりぁ、熊がガォーって言ったらすごいさ。
あとはうれしい挑戦。
うれしい挑戦の中に生きるか生きないかってことだと思うんだ。
明日かならず太陽は昇るように、
めくるめく季節の中でうれしい挑戦。
すごくポジティブ・インパクト。
自分の心の中をポジティブに表現することじゃないかな。
片想いってすごく楽しい。
本当の自分がそこにあるってわかるから。
でも、人間自分がかわいくないヤツなんて誰もいないさ。
でも、相手の気持ちになって自分を考えることぐらいはできるだろ。
本当に生きるって、
自分の中でいかに泳ぎきるってことじゃないかな。
まわりを見渡せば水かさが増えているのがわかるだろ。
ボブ・ディランが言ってたよね。
「風に吹かれて時代は変わる」
でも、思うんだ。
「風を吹かして時代を変えよう」
ふるさとを持たない風と友だちになろう。
やさしい風を心地よく受け止めよう。
人間の悪ふざけ。
神様になれない人間だから、
人間だからこそ楽しいと思うんだ。
ちょっとちゃめっけをいかして楽しもうよ。
人間の楽しみって、
数え上げたらいくつあるのかな。
でも、自分の気持ちの中で今が一番。
もうこれ以上はないって時がいくつあるかないかじゃないかな。
幸福を味わったって、
幸福じゃないって思っているヤツはたくさんいるさ。
自分が国のない王様だと思っているヤツはたくさんいるさ。
よく自由って言葉を耳にするよね。
自分で歩いてる自由じゃない。
自転車に乗ってる、自由じゃない。
バイクに乗ってる、自由じゃない。
電車に乗ってる、俺は全然自由じゃないと思う。
パトカーに乗ってる、全然自由じゃないと思う。
自由ってそんなにたわいもないことだと思うよ。
理由なき自分を持つってことでしょ。
オー マイ ゴット、ナンミョウ ホウレン ゲーキョウ、
マンマ ミヤーズ、チェアーズ、カンパイ、
チンチン、サルーテ、ア へー ハー、
サンキュウ ベリー マッチ、ありがとう。
すべてのすべての言葉に感謝して自由を持とう。
自分の中の自由を。
Mr,Mr,Mr,フリーダム。
すべての、すべてのものに愛を込めて。
今、自分がここにいることを愛すべきなんだ。
人間はひとりで生まれて、ひとりで死んで行くわけじゃない。
人間に生まれた限り、みんなで楽しくやろう。
ラブ、ピース、
ウイ アー ハッピネス、ハッピネス。
   御供  2011/12/18    12/6/19


2010/03/28

人生を演ずる


人はみな自分の人生を演じる。
それは当たり前のことだと誰もが言う。
人はひとりで生まれて来たわけじゃない。
誰もが目覚めた時、思い出を鞄に詰めて旅に出る。
何のための旅なのか?
何を探しに行くのか?
それは決まっている、自分自身を探しに行くのさ。
そして気づく者もいる。
人生はより良く演ずることだと。
何も持たなければ失うものもない。
演技は上手くいくかじゃない。
成功するか失敗するかでもない。
自分自身を磨き、
未知なる時間の先端を輝かしいものにするか、
しないかなのかもしれない。
終わりのない旅は今も続いているのさ。
どんな気がする。How dose it feel.
ああ、どんな気がする。As how it feel.
人間はみなひとりだと。To be one your own.
帰って行く家もなく。With no direction home.
誰にも知らない生き方を。Like a complete unknown.
転がる石のように。Like a rolling stone.
はじまりの告知。
虚空の無音。
沸き上がる心の中の叫び。
ひとつひとつの瞬間が、
演技の中に閉じ込められた。
未来まで含み込んだ意味のある最高の演技。
演技の頂点を目指してる者たちよ。
演技のジェット機に乗り込んだ者たちは多くいる。
洪水のように押し流されて、
勢い良く頂点に出る。
追い抜かれて追い越してということを繰り返している。
不安と可能性の複合物。
スクリーンに映し出される自分を、
現実とひとつながりのものと考えているかのように。
日常はどれも新しく珍しく興味深い。
演技として見るならば、
目的は頂点に達することではない。
世界の歩みを止めて、
新しい型の再出発を促すことであるかもしれない。
頂点とは何なのか?
富と名声を得ることなのか。
賞賛と憧憬の的となることなのか、
いや違うはずだ。
自分が存在したこと、
この演技を後世に残すことであるのか?
宙に漂い。
未来の世代に受け継がれ、
すでにこの世にいない者たち。
彼らの耳にまで届くかもしれないものを生むことなのか?
自分の演技で時代を味方に、
時代の演技を発見することなのか。
何を求めて生というものに向かって旅をするのか。
楽しさとスピードと興奮であるのか、
そんな図式は馬鹿げている。
演技に疑問を持ち、
疑問を感じず、
何の疑問も考えないで、
生きていくふりを拒絶していくことなのか。
『明日なき世界』に向かって、
その背後にあるもの。
人種差別、
戦争、
欲、
飢餓、
虚空の世界、
世界が滅びていく。
終末論が人の心を捉える演技であるのか。
演技の住む世界は全ての者が競い合っているのか。
明確な線が引かれてはいないが、
演技という衣を脱ぎ去ることなんだと思う。
風が吹き、
時代は変わるが、
ハッキリと心の声が語りかけて来るのが聞こえる。
容易な人生を生きて来た人間に対し、
現実が厳しくなることもあるのだと警告しているのかもしれない。
その役になりきることによって、
自分が自分であるという権利が出てくる。
それは衝撃的であり感動的である。
長い年月の中に隠されていると確信する。
すべての映画がそうであるように、
時代の到来を予言する。
この考えは無限のニュアンスを含んでいる。
演技には怒りと復讐心、
意地悪な笑い、
皮肉、
倦怠、
亡霊、
説教、
と様々なものが含まれている。
演技の中にはたくさんの欲望がある。
たくさんの力が型を変え繊細な感性となって存在する。
大地が放つごく微細な振動も逃さず、
検知する繊細な感性である。
それは古代ギリシャでも、
現代のロシアでも同じ感性なのだ。
激しく揺れ始める世界の風景を見下す感性なのだ。
決断の本質とは何か?
過去を捨てて、
未知で不確実で混乱している未来を選托するかしないかの決断だ。
食べるものもなく、
家もなく、
ただ疾走するだけの貨物列車に乗るかと問いかけているかのようだ。
演技はひとつの時代から、
次の時代へ。
ひとつの型から次の型へ、
つねに動き続けている。
それを誰かが止めておこうとしても、
決して止まることはない。
つねに新しい肉体、
新しい音、
新しいテクノロジーを求めて動いている。
演技という旅を繰り返し続けているのだから。
演ずるということは、
新しい声を求めて旅をしているのだ。
   御供    2011/12/18    12/6/10