2010/12/03

向かって


自分の人生は何かに向かっていつも饒舌に生きて来た。
やせこけた言葉はさけて、
太い言葉を使うようにして生きて来た。
これから太い言葉に太い行間を生きよう。
言葉遊びの気分で生きても仕方ない。
意外に深く、
意味の大きい。
本気の言葉でなければならない。
向かって行こう。
自分の最大限の理想へ溺れる人間、
自信過剰に流される。
何かに向かって着実にいつもの言葉で生きていきたい。
どうしてもさけたいこと。
人ごみで人と同じとされていること。
一定なんてものはない。
平和など虚構でしかない。
氷に冷蔵庫が必要ないように、
平和にも向かって行くことが必要だ。
そのためにはエネルギーが、
平和に向かってエネルギーをKEEPしよう。
原子力によるエネルギーより、
ソーラーによるエネルギーに向かって。
人間同士が傷つけあうエネルギーより、
助け合うエネルギーを。
今日も昨日も、
そして明日も私は向かう。
自分の現実の人生へと。
背を向けないで、
いつも向かって進もう。
御供 2001/5/5

地球にて


一定なんてものはない。
平和など空虚でしかない。
結局、二度と現れない時を残したくて、
私は詩を書いているのかな。
常に止まろうとしない地球の変化について記憶しようとする。
そんな行為なのかな。
私は経験している人をなぞっているだけなのに。
忘れた振りをして、
再演されるブロードウェイの芝居のように、
新しい気持ちで臨むのさ。
未来は過去に作成された。
どんなアドリブを入れても結末を変えることはできない。
歴史の断片をディジャブゥといって懐かしむ。
しかし、次の瞬間には消える。
記憶の羽の薄さをせせら笑いながら。
時間は止まる時があるけれど、
時間は動き始める。
空を飛ぶ機体から地球をながめると、
世界がまだ原始的なことに気づかされる。
0の素晴らしさ。
文明の先に行き着くもの。
人の生に限りがあるのは今を怠けないため。
人が死を恐れるのは今から逃げ出さないため。
0に戻れる幸福。
地球は今日も姿を変える。
何にふるえていたのかそれすら失せて、
人は年をとりながら地球の上を歩いている。
風の中を歩いている。
世界は丸い地球の中にある。
地球で何をやっても宇宙より小さい。
地球にて何をやっても世界である。
夢から覚めるたびに私は泣きながら、
笑ってしまう。
御供

移ろう時代


一度解いてしまうと世界はどんどん解けてしまうもので、
後もずるずる。
解けてしまった世界の崩壊する勢いは凄まじい。
そういう世界ってリバーシブルになっていそうだね。
虚無がやって来る。
がむしゃらに生きていると移ろう時代に気づかない。
ちょっと引いた時期を過ごすと移ろった時代がよくわかる。
不景気になったと言われる。
景気が回復。
回復をまってたら、
私の知らないうちに世界が終わっちまう。
私は何も見ない。
聞かない振りをしてみる。
喧噪は遠のく。
何かがふっと消えてなくなる瞬間に気づく。
繰り返されることにも飽きて、
凄いと思っていたものを凄いと思わなくなる。
生きながらえて死という安らかな想像に直面する。
死こそ、その瞬間。
絶対の現実。
現実はリアル。
移ろう時代は21世紀の今の現実なんだ。
御供 2001/5/5

いつもの道


今日まで歩いて来た道。
通い慣れた私の道。
いつもの道。
そしてこれからも歩く道。
雨の日も、
風の日も一日たりとも休むことなく、
私は自分の道を歩いて来た。
そしてこれから先も歩き続けるだろう。
一日だって休むことをしないで、
歩いて来た道。 
私は知っている、
私の道は険しい道かも知れないが、
もう一度私に人生があったとしても同じ道を歩くだろうと。
決して後悔などしていない。
私は私の道を愛す。
満足している。
うれしみの中にある道。
楽しみの中にある道。
いつも誰にも道はあるんだ。
御供  2001/4/30

2010/12/01

ルネッサンス


歴史というものを意識するとき、
人間がずっと内に残していたできごとや恐るべき予言が浮かんで来る。
この人間の途方もない演技の中に、
地球の上にのしかかって来た問題。
未来の奥までつきつめて手を伸ばすと、
生活の中にもつれている無垢な良心。
本当の美。
無残なこと。
現実世界において起こるべきことすべてにルネッサンスを起こしてみよう。
今の社会を良くすることを考える。
政治的なことはおいといて、
ひとりひとりの意識の中にルネッサンスをおこすことを考えよう。
何故なら、自分の心の中をじっくりと眺め、
それを素直に語ろうとするとき起こりえることだから。
それは誰にでも予言できることであり、
ひとりひとりからはじまるものあると知っている。
現実的未来の出来事を予言することなんてできやしない。
自分自身の幻想を信頼すること、
そして表現すること。
すべての人に与えられた予言の力というおいしいものを、
利用して起こるルネッサンス。
人間の周囲に工学的に位置づけられている数々の実体は、
もしかして、遠くは慣れた過去の出来事かもしれない。
前を見て進む。
未来こそおそるべきパワーとなり、
ルネッサンスにつながるに違いない。
文字通り人間は、
宇宙に飛び出す遊星を試みた。
人間は食べるために力を使った時代から、
快楽のために力を使うことは必然なこと。
人間を取り囲んでいる思考、
感情や裸の印象といったものをコントロールする。
物質世界へのわかれとなり、
新たなる世界へと広がる。
ルネッサンスの道が続いている。
古代人の理解力はずっと遠くまで行く。
物質が存在しない信じられないところまで、
それほど遠くまで終わりはない。
それ以上何も付け加えることのできないところまで。
そかし、一万年の後に、
これらの言葉を理解する偉大な聖人が現れるかもしれない。
そのときには驚くべき連鎖で状態は変わっていくだろう。
その時こそ起こりえるルネッサンス。
早く来い。
御供 1999/2/14

父へ


私が生まれた昭和31年、
父はことあって道楽をやめたと聞く。
私は父とひざをわって話したことがない。
今は話すこともできない植物人間である。
父は私に対して精一杯の愛をそそいだ.
にもかかわらず、私はそれを理解していなかった。
私は幼い頃、父に逆らったことはなかった。
父の白い髪の奥には、
私には考えもつかない振る舞いと威厳があった。
父の不器用な性格は、
大きく私を悩ませた。
父と違って母は何でも私にストレートにぶつけた。
母そして母方の祖母に私はこよなく愛された。
始めての男の孫。
そして長男として生を受け、
女系の中で育った。
みなに愛されつつ大きくなった。
私は親を手こずらせるような子ではなかった。
性格は活発で気は小さくやさしかった。
母の愛を大きく受けながら、
父に対して口ごたえすることもなく。
迷惑をかけることもしなかった。
たとえ勉強に精を出さなくても「勉強しろ」と父に言われたことはない。
父の車をそっと夜中に友だちと乗り出し、
大破した時も父は何も言わなかった。
父は典型的な亭主関白で「男子厨房に入るべからず」
母は父に嫁いで49年、
一度も口ごたえしたことがない。
父と母が喧嘩をしているところを私は見たことがない。
父は何も言わない変わり、
母はこごとのように何かにつけて私に言う性格だった。
私は母にも口ごたえはせず、
ただ甘い母の言うことを素直にきくことはしなかった。
戦中派として育った母は、
私に甘く私の好きなあんこをいつもつくり与えた。
そんな両親に心から感謝している。
もし一度でも父と話せたらと今でも思う。
ありがとう。
   御供 2006/12/13
次の年の2007年1月1日に父は息をひきとった。私は虫が走ったのか2006年12月31日つまり死の前の日に父の見舞いに行った。