大学在学中から『ポパイ』という雑誌の編集の仕事をして来た。アレから30年、気づいてみたら浦島太郎になっていた。当時の『ポパイ』はかなりメリハリのきいたかぶれなインターナショナルな雑誌として影響力を持っていた。60万〜80万部という驚異的な発行部数。その雑誌では好きなことをやっていればよかった。セックスとゴルフのほかは?
ずっとリーバイスの501を履いていた。それなのにエドウィンがいいなんて書けない。
大学に行くよりは『ポパイ』編集部に行く方が楽しかったのでそうした。荷物運びの車の運転からはじまり、編集というエヂィターの世界へ足を踏み入れた。三ヶ月に一回海外旅行に行き、おこずかいまでもらえるなんていい仕事だ。と大学には8年も在籍した。
何故雑誌拒否症になったかといえば、やりたい雑誌がない。高い服を言いといい自分も着ない服を紹介する、こんなバカげたことがあるものか?田舎の読者を騙さなければいけない後ろめたさからだ。高くていいのは当たり前、これくらいの値段だったら紹介するに値する許せる。これが編集というものだと信じてた。
売れなければいけない。これじゃまるで広告じゃないか?雑誌拒否症になったのは、書きたいことが、書けなくなったと思いはじめた頃だ。全くの拒否症になってしまったのだから自分でも驚いた。雑誌が面白くて仕方なくてしようがなかったのだから。浦島太郎状態だ。
時代も変われば『ポパイ』も変わった。雑誌の編集という仕事が180度角度を変えてしまったのだ。こんな嘘をまるで本当のことのように脚色して書くなんてできない。自然と足が遠のいて、好きに書けるフリーペーパーばかりを書くようになっていた。
ここでひとつ言いたいのだが、職業のはじまりというのは?例えば八百屋という職業が生まれた時には、この上手い野菜をみんなに食べてもらいたいと八百屋になったのではないか?親が八百屋だからはまあいい。だが野菜が安く手に入るからというのでは困る。この新鮮で上手い野菜をみんなに食べて喜んでもらいたいと八百屋になったのではないか、八百屋になった確信が欠けている。編集者としての新鮮な上手い野菜というところが欠けている。自分が買いもしない高級ナショナルブランドを取り上げる。もう騙すのはイやだった。
ココに来て、考えが180度また変わった。だったら、新鮮で上手い野菜を食べて喜んでもらえる雑誌を創ろう。ちょっと角度を変えたら、また雑誌が好きになり雑誌がやりたくなった。
今私は夢中で雑誌の編集という仕事に恋してる。私の心の中は寝ても覚めても200パーセント雑誌の中にある。こうして雑誌を創っている時の自分は至福の中にいる。この恋は覚めそうもない。この恋は誰よりも強く美しい!
御供秀彦

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