仲のいいアーティストが死んだ。
一年あまりいっしょに過ごした日々がなつかしい。
大雨の日に作った「PEACE」の看板。
ラーメン屋のそば箱をこっそりおかりして、
描いた看板。
詩、絵、写、映。
こんな文字を並べて大雨の日に哲と作った。
昼近くに起きる哲を狙って遊びに行く。
するとコーヒーを、
それもエスプレッソを入れてくれる。
ジョイントを巻き、
恵比寿3丁目の交差点をモニターのように写す入り口。
現代の東京。
ちょっと隠れたこのエリアは再開発のまっただ中。
LSDを食べて昇ったガーデン・プレイスの最上階。
夕陽がとてもきれいに見えた。
一夏営業した85年の海の家。
哲は黒白の水墨画のような絵を描いていたね。
描きはじめたら15分、
構想3日、いや1年。
イメージとパッションを大切にする。
アカディミックな哲の絵。
東京博に落書きするんだと都に電話する目は、
まじそのものだった。
恵比寿3丁目は再開発の波に押しやられた。
哲のスタジオは駐車代2台分の7万円。
地上げの跡地。
でも2階建てで部屋数は5部屋。
毎日のように誰かが集まり、
そうおかしな連中。
通りがかったおばさん、おじさん。
外国からアース・ピープル。
ミュージシャン。
かわいい女の子。
パワーに溢れたエネルギーがいっぱいだ。
安定とお金を持たない哲の生き方は、
多くの人を幸せへと導く。
そのあたたかな空気。
夕暮れの酒。
哲は酒にやられて早く寝る。
マリファナやハッシッシをやっていたら良かったのに。
酒を飲むとすぐに暴れ出す。
胃の奥に大きな穴があいているようだった。
はじめて哲に会ったのは1981年のアムステルダム。
そうアムスのすしバーが最初だった。
ヒロさんのにぎるすしのカウンターに居た日本人が哲だった。
カウンターでジョイントを巻きはじめた哲にヒロさんは言った。
「ここはかたぎの店だから、外で吸ってくんな」と、
言ったヒロさんだが。
完璧に巻けた哲のジョイントを外まで出て来て吸いに来たのは面白かった。
アムス的な一場面。
アムスの夜の謎の日本人。
それが哲の第一印象だった。
ヨーロッパをロンドンを中心に20年あまり住みついた哲。
アムスではフィオリッチの店作り。
それからパリに渡ってボヘミアに住む。
哲の死んだ今でもアート・スタジオに数10点の絵がおいてある。
歯ブラシ1本人生。
哲の人生哲学はPARTY。
人の集まるところかならず顔を出し、
めちゃくちゃにする。
青山のPEACEでも。
逗子の海の家でも。
哲は変わった人生を送ったことは間違いない。
「ひとりでも信じる者がいれば、その物語は真実に違いない」
哲から僕が学んだことは人をよろこばせること。
安定とお金を持たずに旅をつづけること。
旅こそ出会いがあり、
教育が存在する。
旅にも人をよろこばせる1品のトクイ料理が欠かせない。
自分の選んだ人生を歩きつづけた哲。
恵比寿3丁目のスタジオはいつも面白い連中のたまり場。
PARTYあらしにくり出す出発点。
哲に捧げる。
御供 1997/2/9
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