
いきなりパソコンが壊れてしまった。
数多い時間をこのコンピューターに飲み込まれていた私の机の上。
いざ壊れてしまうとどうすることもできない。
明日、朝一で銀座のアップル・ストアまで修理に行くしかない。
この大量の時間のことを考えてもみなかった。
不慮の故障から何もできない自分がいる。
私はかつていつもやっていた紙の上にペンを走らせる作業をはじめた。
10何年か前と同じように、
らくがき帳に向かってかろやかにペンを走らせる。
ああ、この感覚。
ああ、こうしていた。
だからこそ、今の私のコンピューターに向かう時間が生まれた。
13年くらい前から書きはじめた詩。
もうブログに2800あまりアップした。
パソコンに向かって打ち出すたびに、
あの時間がよみがえる。
あの時はこう考えていたんだ。
2011年の今では、
私の55歳という歳ではこの言葉は出てこない。
そんなことを考えながら詩を打つ。
あの世紀末の広尾で生まれた詩。
この詩は私の生きてきた証しなのだ。
あの時だから書けた詩がたくさんある。
今書こうとしてもあの詩は書けない。
そうやって書かれたいくつもの私の詩。
この地球という美しい青い惑星、
東京・広尾で書かれた私の詩。
あの時書いていなければ生まれなかった。
あの世紀末だからこそ、
フローアップしてきたいくつもの言葉。
それをそのまま書きとめた詩。
なんて素晴らしいんだ。
私はあらためて思う。
あの言葉を詩として書いておいてよかった。
決して今では書けないものだ。
パソコンが壊れて気がついた。
御供 2011/7/18
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