
私たちは何を歌えばいいのだろう。
私たちはまだ本当のことを歌っていないはずだ。
この世界が回転木馬だとしたら、
昨日まで乗っていたメリー・ゴーランドを降りなければいけない。
何もかもの事実がうんざりさせる時代。
21世紀という時代の悪びれた都会で、
橋役を演じる私たちが押しつぶされそうになる。
重い黒い空気の中を飛び越える。
天使の翼が必要な時代。
こういったことをおそらく何千もの夜に感じながら、
今日まで歩いて来た。
そしてそれが私の詩であり歌なんだ。
私の声はどこまで届くだろう。
やはり私たちは淋しくて、
自分の狭い空間を自覚した時はじめて知る恐怖。
パーソン・ツー・パーソン。
この歌が生まれる。
言葉はシンプルに語られるだろう。
時代の流れが言葉に多くの交信をもたらす。
何かを伝えようとする。
新しい言葉を生んだのは、
生活のリズムや季節のリズム。
歌としての言葉はもっとせつないメッセッージだったのか。
今日では音楽はあまりにも楽しみの道具化し、
まるでミルクのようだ。
そばにある言葉がまるでプラネタリウムのようにキラキラ輝く。
時代を夢見る。
必要なものは多くはいらない。
ひとつあればことたりる。
私の声は届くだろうか。
多くのメディアにのるとかならずといっていいほど違ってしまう。
違った受け止められ方をする。
今日のような混乱した世界をつくってしまう。
愛するものが愛されるもののために歌う。
聞きたいものが聞く耳を持つための人に歌う。
なんてシンプルなことだろう。
明日が見えない時代。
この楽しみの音楽は無償の音楽。
見えない時代が、
少し見えて来たような気がする。
御供 2011/7/24
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