ゆっくりと散歩する。
散歩の途中で仲間の集まりに寄ってみる。
そんな散歩もあっていい。
人に会うことは忘れてはならない。
少しの余裕を持って、
発見の多い散歩の時間を持とう。
せめて自分の住んでいる街くらいは時間をかけて散歩。
解放された散歩という時間の中で、
生活の矛盾を修正しよう。
失われつつあるコミュ二ケーションを取り戻そう。
散歩というなごみの時間を持つことによって、
多くのことが見えてくるに違いない。
朝はやくに散歩して、
街角のカフェでブレックファースト。
美味しいコーヒーを飲んで通り側の席に座り、
道行く人に挨拶する。
こんな時間を共有する。
こうやって過ごす時間は何かを気づかせてくれる。
広尾のときも四谷のときも違うリズムで散歩した。
散歩で見る街の景観はまったく違う。
ゆっくりする散歩は意識もはっきり。
見えなかったいろいろが見えてくる。
街角のちいさな「美」
あたたかい人間の「やさしさ」
いつもと違う感覚が味わえる。
壁で囲まれた家の前を通り過ぎ、
高台で見下ろす。
左の端の方を見ると気づいていなかったものをいくつも発見。
立ち止まって、
散歩であることに気づく。
もうひと歩きして家にもどろう。
御供 2000/9/21 12/4/13
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