人間は常に動いている。
動く点が旅さきの出会い。
それは通信。
デジタル化した情報は2万6000マイルの上空に浮かぶ人口衛星を経由して、
誰のどこにいるものへもメーセージを投げかける。
次の千年に向けて、
時代は変わりつつある。
情報交換の自由は国境にコントロールされるものでもない。
もはや時代遅れであることを物語っている。
この情報は解決しない問題がそこにある。
それは妥協を許さないものだったに違いない。
自分が動き体験したものだけを信じて、
自分をフィルターにかけて出すこと。
読み書きの机の上の勉強は当然入り込む余地がない。
動くことによって自然の持つ力と、
人間のそれをも越えたイマジネーションを生み出す。
この想像力は動く道のりによって養われる。
知恵であり、
器を大きくする。
要するにスケールを大きくするのだ。
自分の意志で行きたいところに行くこと。
動くという旅はそうであるべきだ。
でなければ自分をスルーして、
フィルターにかけてオリジナルな考えは生まれない。
動くことにより、
その土地土地のGAPを知ることになりひとりだけの自分の世界が生まれる。
心の持ち方次第で、
動きに無駄がなくなるのは当たり前のことである。
動くことは切り換えである。
自分の中の概念を打ち破るためにある。
地球上のいろいろな問題を知るということはとてもいいことだ。
動くことによってのみ解かれていく。
心の意識。
精神の強さを生むんだ。
動くことによって多くの苦しみ悲しみ、
そして楽しさ、遊び、喜びに出会うことになる。
芸術家やミュージシャンや文人が、
動かないままできるものならば変化のない単調なものになってしまうだろう。
動くことからはじまる人間のアート・ワークは、
人のうちの知識のそれと違い、
考えられないくらい無限大である。
御供
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