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本の第一のタイプは根としての本である。
樹木はすでに世界のイマージュである。
あるいは根は世界としての樹木のイマージュである。
それは有機的、意味作用的、
主体的な「これらは本の諸地層である」
美しい内面性としての古典的な本である。
本は世界を模倣するのだ。
芸術が自然を模倣するように、
それも固有の手法によってである。
この手法は自然がなしえないこと。
あるいはもはやなしえなくなったことを巧みに成功させる。
本の法則。
それは反映の法則である。
一が二になるのだ。
どうして本の法則が自然の中にあるはずがあろうか。
その法則こそが世界と本、
自然と芸術の間の分割をつかさどっているものなのに。
一が二になる。
この定式に出会うたびごとに、
それが毛沢東によって戦略的に口にされたものであろうと。
また最高に「弁証法則的に」理解されようと。
我々は最も古典的で最も反証的な思考、
最も古くさく、
最も疲弊した思考を前にしている。
自然はそんなやり方はしない。
根それ自体もそこでは直根「回転する根」である。
側面的、循環的といったより多数の分岐をもっていて、
二分法的なものではない。
側根システム、
またはひげ根システムは本の第二の型であり、
これは現代で人々が好んで訴えるものである。
この場合、中心の根は中断されてしまうか、
あるいはその先端が破壊される。
この根にこの寝に接穂されるのは大いに発達した副次的な根の数々。
直接的かつ任意の多様体なのだ。
この場合、自然的現実は中心の根が中断されるところに現れる。
だからといって、その統一性が過ぎ去ったもの、
あるいは来るべきものとして可能なるものとして、
存続していることには変わりはない。
* 御供
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