リトル・マガジンは世界各国のオマージュである。
そして有機的、意味作用的、
主体的美しさや内面性がなければならない。
リトル・マガジンは世界を模倣するのだ。
芸術が自然を模倣するように。
それも様々な人間のニートを対称にあるひとつの手法によって作られる。
リトル・マガジンの手法はひとつの法則。
それは反映の法則である。
リトル・マガジンの法則は芸術のそれと違って自然の中にあるはずがない。
その法則は人間社会の中にある。
反映の法則とは一が二になるもの。
そして、一が多になるもの。
リトル・マガジンの声が時代と共にある時、
その一が多になる法則が生まれる。
リトル・マガジンはファション、ミュージック、シネマ、アート。
といった文化と共に歩み、
それらの各ジャンルの中からいくつかのものを選び出すという、
インテリジェンスを持った編集者によって作られる。
よく雑誌は世論を反映すると言われるが、
編集者という人間の目やつながりによって多くの人たちに訴えかける。
定期的に出されるこれらの雑誌が多となるには、
時代を正しく見ているかどうかによる。
当然、芸術と違い自然を相手に創り出されるものではないので、
人間による人間の生の声として発せられるべきものである。
多くの偉大なるリトル・マガジンは、
人口密度と文化の高さに比例して世界の都市で作られる。
読む人々にメッセージを投げかけ、
これから来る未来を予言するものでなくてはならない。
リトル・マガジンの出現は都市そのものの文化の出現に他ならない。
リトル・マガジンは多くの流通を作り、
その都市の経済を活性化する。
人々の物質的欲求を満たす。
定期的に刊行されるリトル・マガジンによってアナログ的ではあるが、
活字という繰り返し読むことのできる手法は変わることがない。
多くの流行ある芸術をカタチあるものとして仕上げ、
人々に伝えて時代に残す。
活字となって大きな力を持つリトル・マガジンによって流行は作られる。
そこに時代の流れが描き出される。
だからこそ、間違った目や自分よがりの編見や金儲けのための手段として作られるものは受け入れられない。
街を闊歩し元気ある人間と接し、
数あるモノの中からひとつを選ぶ。
その良しを体験したものが編集しなければならない。
ひとりの天才的編集者により、
多くのそれにつづく編集者が生まれる。
相乗効果のごとく都市は活気づき、
文化の大きなムーブメントが起きる。
そして世界の歴史に残り得るのである。
小さな草の根的なリトル・マガジンであっても、
その可能性は秘められている。
創り出す人間によって時代を味方に大きな声になる。
本質的に芸術家が自然との会話をなしえる者であると同じように、
編集者は人々と会話し多くの声の中から正しい声を聞くことができなくてはならない。
編集者は街というフィールドで人々と出会い語り合い、
自分の意見を持った者でなければいけない。
偉大なるリトル・マガジンの到来を待ちわびる東京の都市生活者たち。
信頼できるリトル・マガジンはどこにあるのか。
そして、生まれようとしているのか。
御供 2000/7/27
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