私は人間が好きだ。
誰にでも話しかける。
挨拶も元気にする。
だが、私の目ははっきりと好き嫌いを持っている。
はじめて会った瞬間から人みしりをする。
小心者の私は、
すべての人と仲良くできるほど大人じゃない。
いろいろな人に出会うことは積極的にするが、
目の前にいるのに見えない友がいる。
同じ空間の同じ空気を吸っているのに見えない友。
どういうことなのだろう。
私は多くの愛せる友をつくりたいと望んでいる。
なのに見えない友がいる。
私の道の上の障害物のようなもの。
生理的に合わない人間がいるとは思いたくないが、
私の体験と本能がそうさせる。
私の目は愚かなものかもしれないが、
その本能を大切にしたい。
私の目は遠くにいる者も見える。
たまにしか会わなにのにいつも見えている友もいる。
友のことに考えをめぐらす時、
その友のことが浮かんでくる。
私の考えていることと友の考えていることが交差する。
見える友は信頼からくることなのか。
見えない友がいることもしようがないではないか。
地球上では多くの人間がそれぞれの考えや立場で生きている。
全人口と会えるわけじゃない。
全員と会えるわけじゃない。
見えない友は見えないで、
目を閉じていても見える友と仲良くつき合っていこう。
世界中に見える友をつくって、
遠くにいてもわかり合えるようになりたい。
私は友を裏切ったことがない。
裏切られも裏切られたと思わない。
自分勝手でパワフルかもしれないが、
決して友を傷つけようとしたことはないことは確かなこと。
見えない友は見えなくていい。
見える友といっしょに生きていこう。
どこにいても何をやっていても私を魅了し、
信頼し合える友と長く深くつき合っていきたいものだ。
そう考えている。
御供 2000/7/19
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