2010/12/11

ジム・モリソンへ


ジム・モリソンが逝った1971年、私は15歳だった。
その時代がどんな時代だったのかなんて考えたりもしなかった。
もちろん、ドアーズも知らなかった。
ドアーズを知ったのはそれから5〜6年してからである。
20世紀も終わり、
ロックやサブカルチャーがそれなりに歴史をつくり、
70年代が語られる。
2001年がやって来た。
いかに熱い時代だったのか、
人ごとのように聞き、理解したような錯覚の中にいる。
ドアーズについてもそう言える。
タイムリーで聴いたわけでもないのに、
少しのCDと少しの聞きかじりの情報であたかもよく知っているかのように。
自分がおかしくもある。
また、そのジム・モリソンについて詩を書こうとしている。
さらさらおかしい。
でも確実に私の中に幻の姿が見え隠れしている。
あったことのないジム・モリソンが手を挙げて待っているのだ。
ひとつの言いがたい共有がそこにある。
何かわからない。
わからなくてもいい。
こうして彼について書いているという事実。
その時を幸せの中に置く自分。
楽しい時間の訪れを感じる自分がいることが嬉しい。
御供 2001/6/28

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