すべてを迎えて、
すべてに向かう。
すべてが未解決だった頃、
すべてが不安ですべてが無だった。
でも感じてた。
何に向かって耳を大きく開いて聞くことからはじめた。
全身を耳にして感じる前に感じてた。
はっきりしないものを思いっきり心を開いて感じてた。
あの頃、見えないものをよく見てた。
しかし、今はもう違う。
見えないものも見えるような気がする。
だって、感じる。
感じることへの大いなる旅だちがやって来た。
何にもまして目に見えないものを感じとれる自分がいる。
どういったらいいのかわからない。
ただニュートラルになったことだけ言っておこう。
否定はしない。
肯定からはじまることを覚えたんだとだけ言っておこう。
だから感じることができるんだ。
目に見えないものに耳を開いて聞くことをする。
風が運んで来てくれるロマンチックなメロディ。
心地よいすべての音にも耳は反応していることを知った。
感じることからはじめることがわかった。
この感じることが大切なんだ。
すべては何もない。
すべては何もなく終われる。
すべてはいらないものかもしれない。
感じることがわかるかい。
でも言っておこう。
この多くの体験から発せられる疑問は噓じゃない。
目に見えないものを見ることができる。
人間何も恐れることはないということ。
押さえつけられちゃだめだ。
思いっきり反発して激しく燃えて反抗する。
私は私の前にいるものを感じる。
御供 2002/7/3
0 件のコメント:
コメントを投稿