2010/09/30

脳みそ


世界を支配する。
人間社会を変えるもの。
資本主義をつくるもの。
人種差別をつくった。
貧富もつくった。
社会の構造もすべては脳みそがつくったものに違いない。
FBIもマフィアも、
正と悪も。
世界市場の価格も経済も、
開発途上国も。
家も国もすべて脳みそがつくったもの。
自分自身を変え、
真夜中に起きることもあるタフな脳みそ。
人口増加も、
みにくい戦争も。
土地をたがやし食べ物も、
地下水をくみ上げ田畑も。
銀行も保険も。
すべてこの脳みそが。
赤ん坊も、人間が着る服も、
お金もそうだ。
奴隷も砂糖もDURAGSもアルコールもすべて。
世界をカタチづくるものすべてをつくり出す、
人間の脳みそ。
脳みそがヨーロッパに到着してプロパガンダでゴキブリを征服した。
偉大なる詩人も。
世界中を旅する冒険家も。
脳みそこそもっともこれらの人生ゲームの優勝者である。
人類の歴史すべてをつくり出した脳みそは、
真剣に人間社会の王様であるようだ。
御供 1999/2/15

時代をつくる


声のひとつが時代を語る。
私はその声に呼び起こされる。
時代をつくるには今を生きなければいけないと。
私にひとつの声が語りかける。
今は今を生きるべきだと。
今始めなければ時代はつくれない。
始めなければチャンスはこない。
時代はいつも厳しく見えにくい。
いくつもの考えより、
大きな夢より、
まず真剣に生きることから始めること。
将来を期待するなら今を生きる。
次にある声が聞こえる。
何と天使のような声だろう。
私は聞く天使の声を。
私が創った成功の時代。
時代はつくられる、
今を始めること。
それは時代をつくること。
早速はじめよう。
私が私になるために私を生きよう。
この世界は次へと続く。
その次を生きるためにも。
今を生きよう。
すべての始まりは幼稚で欠点だらけのものだけれど、
とにかくはじめよう。
今を生きることを恐れないで、
気にせずはじめよう。
たいていの不安など放っといていい。
みな不安なのだから。
美しい時代は創られる。
なんと生きることは明朗だ。
最上のものを手に入れたいならはじめよう。
私の時代に属するために生きよう。
いっしょに生きよう。
世間的でない声に迷うことなく、
つつましやかに生きよう。
私は時代に取り巻かれるために生きる。
そう時代をつくるために今を生きる。
御供 2000/7/22

二度と現れない時


私が今こうしている時は消えていく。
もう二度と私の元へは帰ってこない。
だから、その時を遺そうと書いているのかもしれない。
常に止まろうとしていないものをカタチとして遺すことは可能だろうか?
いつも疑問に思うことなのだが、
書くということがどれだけ意味を持つのか。
でもこうして書いている自分がいる。
たくさんの人が社会の中でなんらかのカタチで病んでいる。
それも精神というやわらかい見えない部分で。
目に見えないこの病いは厄介なものだ。
なんでもありのこの世の中で自分を正当化することで強がっている。
自己錯乱に陥る。
さっきやった自分の行為を忘れ去ったことを、
忘れたくて自己防衛。
わかっているのにわからなかった自分がいやでやってしまう自分がいやで。
ただただ自分に言い逃れ。
さっきまでの自分は自分でないと言いたいがために言い訳を。
相手の出方を考えてもの言う。
ああ、病んでいる人々。
そんなこと私にはできない。
やろうともしないで。
その方が自分にとって都合がいいから、
前もって考えてきた言い訳。
こういわれたらこういおうと、
まるで待ち構えていたように開き直る。
病める人のひとりごと。
自分のことはいちばん自分がわかっているということだ。
前もって用意された言葉は根本からくつがえす力を持っている。
被害妄想のかけらとして他の人にささる。
なんでこんなことになる。
ストレスや疲れからくる人間の現代病だとわからない振りをする方がいい。
その方が優位にたてるから。
打ちのめされる。
答え返す余裕なんてものはない。
ああ、なっとく。なっとく。
御供 2000/9/29

今、、、、、、


悲しみの中にいると本根は出てこないのかな?
笑ってはいけないけれど、
元気によそおっているのがわかる。
でもよかった。
幸せを信じているから。
御供 2001/8/5

死という死を残りなく


死という死を残りなく味わうこと。
死という死をなおも残りなく味わうことを私は望む。
森の中に木の迎える死を。
山にあって石の迎える死を。
砂にまみれて迎える死を。
きしみをたてる夏草の葉むらの死を。
そして血にまみれたあわれな人間の死を。
花となって再び生まれ変わることを私は望む。
木となり葉となって再び生まれ変わることを。
ウサギとなり、
鳥となり、
蝶なることを。
そしていかなる姿になろうとも。
あこがれは私をひきさらい、
引き上げてゆくだろう。
苦悩の階段を上り詰め。
そのつきるところ、
人間の苦悩へと。
ああ、あこがれの狂おしいこぶしが、
死を感じることなどあるんだろうか。
生が悲痛の道を、
生なる光の道を。
御供 2010/7/24

老い行くこと


青春のもてはやす、つまらぬもの。
私はそれらにうつつをぬかした。
何よりもかわいい女たち。
しかし、今にしておもい知る。
老いてまだ少年の私には、
それらに変わることのないことを。
今にして私はおもい知る、
熱狂する賢明であったことを。
すべての魔法は解けなかった。
けれど代わりに手にしたもの。
知恵に暖かい靴下。
ああ、それもやがて消え去った。
この世界は寒くなるばかり。
老人にとって素晴らしいもの。
暖炉に赤いワイン。
そして最後に穏やかな死。
だが後にしてくれ。
そう今日ではなく。
御供 2010/7/24

追伸


幸せは君の手の中にあるよ。
そして覚えておいて、
私はいつもきみのそばにいるよ。
「愛をください」
愛をください。
心を開いて愛をください。
人は人を愛する喜びを感じる。
御供 2001/8/5
「愛をください」
人は誰も愛を求めて生きている。
どこへ行ったらいいのかわからずに呼ばれているところへ行き、
愛を探す。
そう簡単にわからない。
わかっちゃつまらない。
人はみな愛を求めて、
長い長い旅に出る。
それは出生した時から死ぬまで続くものである。
その旅は険しくあてもない旅である。
知らないところへ行き、
いろいろな人々と会い。
その土地の未解決な問題について語り合う。
いい方向へと道を示す。
こうした段階での触れ合いにより愛が生まれ、
愛をはぐくむ。
愛が実って行く。
自分が愛が欲しいと思うなら、
自分も愛を与えなければいけない。
人生は愛した分だけ愛される。
私は今日も愛を探して旅をする。
あてのない旅を!
御供 2001/7/5

イギー・ポップ


私は絶対にあきらめない人間さ。
不当な評価しか受けなかったストゥージス。
あの時代の曲をいつまでもやるのはそのためさ。
これは私のプライドの問題なんだ。
御供

イサム・ノグチの


芸術に生きた。
愛に生きた。
幾多の恋い、
とどろく名声。
自然とエロス。
東洋の美と芸術。
御供

ジョージ・ハリソンが逝った


あのビートルズのジョージ・ハリソンが亡くなった、
世代交代だろうか。
ビート・ジェネレーションたち、
ジョン・シー・リリーもケン・キージーも天国に逝っちまった。
人生はとても短いと思う。
いくら生きたってたかだか100年。
明日もしかしたら80歳かもしれない。
今日は何歳だったっけ、
そう確認し続けて生きている。
旅をしていると毎日が旅の途上であるから、
一生終わらない旅を続けよう。
そうすれば人生はいつも若く楽しい。
あっちこっち動き続けて人生を送っていると、
とても物事がよく見えてくる。
未来はいい方向へ向かっているし、
子供たちの考え方次第で救われると思う。
くだらない戦争はもうやめるべきだよ。
ジョウジ・ハリソンが歌ったように、
世界の問題に目をそらさないで。
ひとつひとつ未解決な問題にアイの声をかけよう。
そうすればイエロー・サブマリンがきっと現れるさ。
その宇宙船地球号に乗って、
バックミン・スター・フラーに会いに行こう。
ジャック・ケルアックにだって会えるし、
デニス・ホッパーやジョニー・ディップにだって会うことができるよ。
宇宙船地球号でビートルズのコンサートにだって行けるし、
ピンク・フロイドのコンサートだって観に行くことができるんだ。
希望という光った石ころを見失っちゃダメだ。
人生楽しくやらなくちゃ。
ヤー・ヤー・ヤー、ビートルズは生きている。
みんなの心の中に片時も離れないで生きている。
手をかかげてポジティブに生きていこう。
受け継がれる精神の中に、
決してあきらめないで笑って、
動いて。
愛と創造の旅を続けよう。
愛って何なの、楽しむことでしょ。
ジョージ・ハリソンのこと、
とても悲しいけど人生のフックにして生きよう。
楽しい歌声を聞きながら。
御供 2001/12/5

朝が来るまで


もうすぐ朝が来て、
いつものように一日がはじまる。
そうしたら再び元気がでるのだろうか?
こんな毎日の繰り返しを待つ。
朝は毎日やってくるというのに。
 御供

2010/09/29

味気ない


どうしようもなく味気ないものが、
ここでは味気ないものでなくなる。
どうしようもなく変梃なものがここで創られる。
許すべからざるものがここでは許される。
すべてが味気なく、
すべてが許される。
永遠に退屈なものが許されずして生まれ変わる時、
味気ないものが生まれ変わる。
そこまで行くべきなんだ。
味気ざるものすべてを許さず変える。
すべては愛すること。
愛すことで変わるのだ。
愛することで味気ないすべてのものが色を変え、
生き生きとする。
味気ないものは心を持たない。
それに愛を加えれば心を持つ。
愛することからはじめよう。
豊かな心はすべてのものを救う。
愛はすべてに欠かせない。
味気ないものをなくそう。
御供 2000/7/22

未来


幸福という太陽の日差しの中で、
人間は未来に向かって踊っている。
友人たちは助け合い、分かち合った未来に向かって幸福を共有する。
私は最上の未来を考える。
私は最後の日まで幸福の中にしたる。
すべてが空っぽになり、
ベットの傍らで不安がささやいても太陽の日差しが救ってくれる。
友がすべてを救ってくれる。
時が私を夢へと誘い。
幸福は戻る。
未来を考えた時、
わからない。
しかしいつも目覚める頃には未来は明るくなる。
慰めもないまま、
何年も横たえる時を超えて再び幸福の未来へ歩く。
ゆっくりと歩く。
不安を忘れ、太陽の中で生きること。
そうすれば未来はいつもやって来る。
未来は明るく。
楽しみなものとして訪れる。
太陽の下で。
御供 2000/7/22

東京


暗闇が街を埋め尽くす。
夜がつづくわけではないのだから、
闇はやがて少しづつ明るくなる。
そのブルーの時間を感じることがあるよね。
何かが起こる。
知らずして幸せは去り、
心は閉ざされ重く沈む。
おそろしい沈黙のうちに時は飛んで行き、
やがてこの東京にも光が射す。
世間がどよめき、
喧噪が渦巻く。
かならず太陽は昇り、
欲することも知らずして心は深みから抜ける。
軽く浮き上がる。
幸せが来る。
夜の暗さも恐ろしさも、
青ざめた死人の色もこの光によって一切を失う。
何をすべきか知らずして、
東京は毎日救われることを繰り返す。
知らずして繰り返されている。
この繰り返しは休まず、立ち止まらず、
ただ黙していていつもつづく。
だが甘えないで欲しい。
終わらないで欲しいという気持ちを忘れないで欲しい。
明日の東京に生きることにすべてを托すべきなんだ。
御供 2000/7/22

眠れぬ夜


意識の最後の境、
肉体も精神も疲れているのに意地悪く眠れない夜。
すべてを癒す深い眠りに入ることを望む。
瞬間のうちに無数の生を生きたい。
幻のような私が私を見つめているのに、
いつまでも休めない。
私は私を見つめている。
体の中をすべての血が動き回る。
生への道のりの中に死への現実が見え隠れする。
私の精神はにがい笑いを持って私を悩ませる。
眠りたいのに眠れない夜。
私のすべてが限界に達する。
無数の神経が無言で叫び声を上げる。
命だけが呼吸する。
静けさが私をつつむ。
物音のひとつひとつが消えて行く。
夜は痛ましい緊張の中で忍び足で立ち止まる。
沈黙の中の私はただじっと体を横たえる。
しかし眠りは遠ざかるばかり、
神経は高鳴り頂点に達する。
恐ろしい長い夜をもてあそびながら生きることに弱気になる。
微笑みながら時間の無限から逃げようとしても、
追いかけられているかのように振り向くだけの私がいる。
疲れた魂の奥から朝の色が浮かび上がるとき、
様々な私の生が見える。
記憶は光と実存のカタチに満ちて頭の中を埋め尽くす。
私はすべてを失い朦朧と横たわっている。
カタチのない闇の中に挨拶する。
眠れぬ夜は朝の訪れを忘れたかのように自信を持たない。
記憶がそっと遠のき無の私があせっている。
私の心の無言は私の心にふれる。
現実の鏡の中を歩く。
眠れぬ夜、唯一の神に祈る。
かなえて欲しいとただ祈る。
数える。
静かに耳澄ましつつまわりの音に気を配る。
私がかつて生きてきた時の長い列に思いをよせる。
永遠の日々の中を通るのを見る。
甘い眠りを密かに待ちながら。
近づく記憶から私が私であることを確認する。
救いの綱につかまることにつくす。
御供 2000/7/22

羊よ


羊たちはくつろぐ、
ああ、なんと幸福なことか。
羊は羊であることを知らない。
どんな生き物か知らない。
なんとうらやましいことか。
あらゆる不幸。
あらゆる災害。
あらゆる不自由を真逃れ。
どんな強烈な恐怖もすぐに忘れる羊よ。
何よりも羊は退屈を知らない。
地球の草の上で満ち足りた体を横たえる。
不満の種もなく、
年がら年中穏やかに。
同じ地球の草の上に座る私は人生を嫌い、
思い悩み、
刺激に駆り立てられ、
そこに座っていても平和と休息からほど遠い。
だが何かを欲しているわけでもなく、
不満の種があるわけでもない。
私にはわからない。
この違いが、羊の幸せが、
だが、幸せな羊たちよ。
幸せのままでいて欲しい。
羊が話すことができたら聞いてみたい。
くつろぐ生き物の心の中を、
何故無為のうちに満足するのか。
私はいつも休んでいる時も、
不安から逃げられない。
いつも幸せになれず多くの悩みを持ち。
羊たちを見るだけ。
人間たちよ、
いつ羊になることができるのか。
御供 2000/7/22

詩人が天職


この地球に生きていることは詩人に与えられた確かなこと。
腰を下ろして休んでいることなんてできない。
いつでも詩人は世の中を見通し、
言葉にして発しなければならない。
止むことのないリズム。
腹が立ち、
怒りが沸き上がった時、
その詩人の声は大きく人々に語り解決へと導く。
どうすることもできず、
詩人の声も聞くことができないときも人々は待ちわびる。
次から次へと詩が出来上がる。
詩人は詩を書き続ける。
するとお前は詩人だって、
詩人は天職。
詩人は詩人であることに目覚め詩人になる。
そうです。
私は詩人です。
詩人は詩人。
詩人は書き続ける。
時間の無駄をなくして、
すべての時間を使って詩人は詩人となる。
愚かな格言やまやかしの言葉でごまかすことはできない。
酔っぱらった言葉は詩人には必要ない。
身をよじり、
好みの言葉を発する。
たとえ苦しくても、
その鎖につながれることなく詩はできあがる。
ぞっとするような言葉の一群も真実の言葉であるべきだ。
詩人はみな能無しだと冷笑される。
そうです。
私は詩人です。
今日も書き続ける。
そして詩人となる。
御供 2000/7/23

さまよっていた


おおくのものがこれほど近くから、
呼びかけてくれる今を大切に生きたい。
私の心は遠くのどこかをさまよっているようだと、
思っていただけだった。
そこに誰もいなかった。
私だけが立っていた。
しかし、私の後に同じたくさんの私がいる。
決して幸福そうに見えない者が、
幸福であるという事実に気づいた今は変わる時。
毎日行き来しているコースがまるで違ったコースに見える時。
それはこれからの私のコースに違いない。
こんなつまらないものにかまけたことを追求されたとしても、
私たちは今夜飛んだ宇宙飛行士よりも、
血にまみれた痛ましい大軍よりも、
この世界の偉大なる支配者たちよりも、
軽々と自分の荷を背負っていることでしょう。
御供 2000/7/18

ふらふらと


天気のいい日にふらふらと街を歩くと気持ちいい。
あてもなく、ただ目に飛び込んでくるものに導かれて、
ゆっくりと歩き回る。
日曜日などは同じ街とは思えないほど風景が違うことに気づく。
とくに大都会の休日のその様は驚くほど異質なものとして目に写る。
何故だろうと考えてみる。
風景の中の動くもの、つまり人間が違うのだ。
大都会の休日の人間は少なく、
ラフな出で立ちでゆっくりと歩いてる。
ストレス忘れた働き蜂の顔さえ見せることなく。
自分の楽しみや愛する家族のために人間本来の流れに身をまかせて動いている。
顔には緊張感すら取り除かれ、笑みさえ浮かべている。
街は実に面白い。
元気な人間が集まる街には元気なにおい。
いくつもの時代が変わるごとに街も少しづつ中心が移動していく。
元気な街には若者が多く。
格好いい連中がたまりだす。
決して金持ちのスノッブではなく。
金がないのに楽しみ方を知っている。
ファッションやアート小僧たちが集まるのだ。
その一握りの優れた感性を持ったおもしろがりやたちのたまり場となる、
元気な街。
彼らは彼ら独自のネットワークを持ち、
友だちレベルの情報交換をしている。
決してBBCやCNNのような誰にでも入るような情報でないことは確かなこと。
その一握りの次の時代をつくるアイデアと行動力を持っている。
それは目に見えないひとつのインテリジェンスというものにつながっているように思う。
例えば東京で考えれば代官山が、その元気な街だ。
しかし、時代の流れは早くも次の場所に移りつつあるのを、
私は歩きながら感じ取った。
もう代官山は原宿のようになりつつある。
メジャーになってしまったのだ。
休日の代官山はファション雑誌を見てくる田舎者の集まりにすぎない。
ハリウッドの映画のセットのような建物が建っては消え、消えては建つ。
二番千手の企業のショールームのようなショップが金にモノを言わせて、
でかいつらで一番いい場所を陣取り大きな顔で並んでいる。
先駆者たちは隠れたところから移り行く街を見つめてる。
もう次の場所を考えているかのように。
メジャーになった街はまた廃れて行く。
これも時代の流れに逆らうことはできない。
高くていいのは当たり前、
ちょっと離れていても空気の流れのいい安い場所を探すヤツがいる。
そんなヤツが一番賢くセンスのいいヤツに違いない。
ファッションという一番早いアンテナでキャッチする。
センスのいいあまのじゃくな不良心を持っている格好いいヤツ。
そんな人間が街を作り、
イメージアップをはかり元気のある街としていくのだ。
そして、その一部の人間に惹かれておおくの人間たちが集まる。
文化や経済が人口密度に比例するのは変わらぬ法則なのだ。
新しい元気な街にいち早く移り、
その仲間たちとつながり時代を味方に生きて行こう。
御供 2000/7/12

普通の生活


今やらなければいけないことは、
普通の生活を取り戻すこと。
現実を生きていることは夢を失うことじゃなく。
着実に夢に向かって歩くこと。
何事にも真面目に正しい道を歩ける者こそ自分の夢の実現者。
私にはかなえたい夢がある。
手の届きそうなところにそれらはあるというのに、
自由にそれをつかめないのはどうしてか?
欲深いわけじゃない。
私の夢の一部から着実につかもうとする根気がないだけなんだ。
私は思う。
残りのすべての人生を手をのばせば届くところにおいて、
確実にひとつづつ手に入れていかなければならないと思う。
御供 2000/7/18

生きて行く


社会の流れに逆らって生きて行くことなんてできやしない。
でも、その流れの中で自分の意志を持って共に流れて行こうと考える。
流れの中に身をまかせて行く。
こんな自分を持った人間がいて、
その一握りの人間が社会の流れを変えていることが見えてきた。
社会の流れにただ流されることなんてできない。
この流れにある私らしさで時代の流れに乗って行くことを考えているだけ。
社会の大きな流れにとって、
私の作った小さな流れはどう流れるのか。
最初こそほんのわずかな水しか持たなくても、
次第に大きくたくさんの水を抱き込み枝分かれする流れとなる。
新しい河をなし、
新しい流れとなって大きな海への河となる。
そんなことを想像する私は生きることに積極的になっている、
自分に気づく。
私が地球に生まれて生きて行く。
一本の流れる河を切り開いたならば、
なんと満足のいく人生になるだろうと思う。
そのためにはひとり、
つまり一滴の水では流れにならない。
おおくの人間と同じ意志で流れ、
共に海を目指すこと。
大きな流れの中におおくの同じ意志の友と違う流れを作ること。
それが社会の流れと自然にできたらいいなと考えている。
そして私たちらしい河となって同じ海に流れていく。
それが今考える私の生きること。
同じ流れをつくる水。
すなわち同じ意志を持った友と出会い共に流れていくことを考えてやまない。
御供  2000/7/16

2010/09/28

心からのやさしさ


かつてあった人で最高に神聖なドイツ人『バッハ』のためにおおいに話したい。
優しいモハメッドのためにおおいに話したい。
仏陀のためにおおいに話したい。
老子と荘子のためにおおいに話したい。
心からのやさしさっていったい何だろう。
わがままっていったい何だろう。
それぞれの人の立場で考えるから違うだろうが、
基本は愛からはじまる。
人が人のためにして何かをしてやることがある。
生きるっておぼろげながらわかってきた。
その日から少しづつ成長していると思えるんだ。
完璧な人間になることなんてできやしない。
少しでもあやまちを減らすことを心するだけさ。
だってそうだろ、人間なのだから。
御供 2000/7/8

死んだように生まれる時


なんと時はでこぼこにやって来るものか。
閉ざされた時は土の中にいるように芽を出さないが、
いったん開けば無限に広がる宇宙のようにとどまるところをしらない。
死んだように生まれてくる時ともおさらばだ。
地上にはい上がった新芽は方向を見極めて、
天高くあらゆる方向へ進むことができる。
自由の翼を持ったようにどこへでも行けるのさ。
私は未知の力を感じる。
無限に湧く勇気を感じる。
この世に生まれたひとりの人間として私はよみがえる。
この沸々としたパワーは何だろう。
空気を大きく吸ってみる。
空気の味を感じる。
御供 2000/6/27

生きる道


あらゆる現実に背を向けて生きるなんてできやしない。
至福の中に飛び込んで生きるだけ。
すべてのものに恐がっていたら、
はじまらないものが多いんじゃないかな。
賢く生きろって言ってるんじゃない。
もちろんずるく生きるなんて愚かなことさ。
どの道もチョイスすることが大切なんだ。
自分の判断で進むこと。
神を信じているわけじゃないけれど、
自分の中に神が存在することと似たようなものがあると思う。
完全な人間がいるとすれば、
それは人間じゃない。
神の仮面をかぶった偽善者さ。
そんな演技は見破られるに決まっているじゃないか。
幾千ものあやまちをおかして生きて行く。
そんな繰り返しが人生さ。
やさしさというYESが本当に必要なのかわかりゃしない。
NOという愛があってこそ、
人と人の間がつながり人間になるんだとわかったから。
少しは成長したような気がするのは何も私ひとりじゃないだろう。
誰もが時間という永遠の船に乗ってつかんでいく知恵を、
持っているんじゃないかと思う。
自分の考えが人と違うからって殻にこもってしまうなんてつまらないものだろ。
旅をして多くの人と出会って探して歩けばいいじゃないか。
情報なんてあてにしないことさ。
自分ひとりの足で歩いて会いに行こうよ。
そんな友のところへ。
きっと出会うに違いない、
わかり合える友に。
だって地球には一生かかったって会いに行けない人間が生活しているんだから。
人種を超えて、
言葉を超えて、
口よりも高い目や頭の中の次元でつながると思うんだ。
南へ東へ足の向くまま、
気の向くまま。
風に吹かれて呼ばれたところへ流れて行こう。
愛を持って、
絶対に会えるという希望を味方に歩くんだ。
5感よりも高い6感に誘われて会えることを信じて旅しよう。
力の限り動くんだ。
心の平和を求めて進むんだ。
ボーダーなんてありゃしない。
地球がひとつでONE&LOVEに身をたくして動くことさ。
私が私であるために誇りを持って誰も敵にすることなくていい。
悪いことは悪いと判断する力を持つことが必要なんだ。
生きるってそんなことだろ。
おかしいことを言っているんじゃない。
わかってくれとは言わないが、
ただ邪魔しないで欲しいんだ。
批判しないで欲しいんだ。
権力を使って阻止しないでくれ。
きみを傷つけるわけじゃないんだから。
放っておいてくれないか。
この世に信じるものがなくなった絶対を味あわせないで欲しい。
自分らしく生きたいだけなんだから。
御供 

考え違い


出会った人間同士の意見が違ったら離れて行くんだろう。
どんな間柄でも考え違いがあったら長くは続かない。
相手を理解し愛さなければ辛い時間がやって来る。
誰もが持っている考えは同じではないはずさ。
だが、考え違いの中にある方向性が同じものであるなら、
互いに会っていて気持ちがいい。
よくあることだけど、
まったくいっしょにいて楽しくない人間がいる。
それだけはさけたい気がする。
だってマイナスの面だけが見えてきて、
自分自身を見失ってしまうことがあるからね。
気の合う友と会おう。
御供 2000/7/18

言い分


誰だって言い分がたっぷりあるはずだ。
それを言えることが人間の価値だとしたら正直に生きることだよ。
他人に流されることなく、
自分を信じて自分の意見をはっきり持ってね。
御供 2000/10/7

語り合う


都会に住んでいると挨拶で終わってしまう。
語り合うことを忘れてしまっていると思われてならない。
大都会という砂漠の中で心のオアシスがあるとしたら、
語り合える友がいるということに違いない。
忙しい時間に追われて生活することに慣れすぎた都市生活者に、
今いちばん欠けていること。
生活や仕事に必要にせまられた一生の時間ではなく、
何気なく、何の目的もなく会い、たわいもないことについて。
そして人間の建て前の話し合いではない、
真の心の中の意見のぶつかり合いを持てる語り合い。
愚痴を言い合うことなどしないで、
感じたままの社会や地球について語り合おう。
ポジティブな意見交換をする友がいること。
都会で生活するのにおおくの時間が過ぎて行くことに気づいただろう。
狂った経済のモノ文化の中で、
社会をよくする政治の失われた時代やおおくの矛盾を感じながら生きている。
信じるものや頼るものなで見当たらない。
無関心の時代に小さな幸せを見つけるとしたら、
少しの希望を持てるとしたら、
良き仲間と自分の意見を持って社会に背を向けないで生きて行く。
未来を信じて友と語り合う。
みんなで解決策を見いだすことさ。
ひとりひとりの能力を使って、
社会に順応しながら、
自分たちのスタイルを少しづつカタチにしていくこと。
決して逃げることなく、
反発することなく、
屈することなく。
ひとりじゃ何にもできないけれど、
信頼し合える友と新しいモラル打ち出すことは可能なんじゃないか。
目的意識を持ってよりよい世の中になるように語り合う。
きっかけは何だっていいじゃないか。
ひとつのインテリジェンスという衣に身を包んだ連中と語り合う。
地球上にそういないかも知れないが、
かならずやどこにでも、どの階級にもあるはずだ。
語り合う気持ちがあれば出会い、ネットされる。
仲間をつくることが今の時代に遺された唯一の方法なのかもしれない。
この地球が救われないなんて考えないで欲しい。
新しいモラルを持った友と語り合い、
救うことを考えよう。
人間同士が本根で語り合うことが少なくなった現代、
もう一度心から語り合うことが必要なことじゃないかな。
御供 2000/7/12

フェニックス


私は不死鳥のように戻ってきた。
変わらぬ思考の中にやさしさと意見を持って。
荒れ果てた私の砦はおおくのものが、
心を失ったかのように埃をかぶり死を待っているようだった。
しかし、私の顔を見るとそれらは水を得た魚のように蘇った。
御供

2010/09/19

出会うこと


イサムの本を読んでいたら、
イサムについて詳しい人に出会った。
会って二度目で四国に行こうということになっている。
イサムは四国の高松の近くで晩年、
創作活動をしていたという。
そのアトリエをギャラリーとしてキープしているのは、
イサムのお母さんだという。
またイサムの創作には欠かせない手伝いをしていた石屋も、
そこにあるという。
そしてイサムはそこで多くの石に手を加え、
未だその石がその石屋に残っていてがれきの山となっている。
彼がいうにはその失敗作のがれきの山を見た時、
スゴいパワーを受けたという。
こんなにも多くの石を失敗したのかと驚かされると同時に、
イサムのパワーを感じたという。
再び、下北沢のライブハウスでイサムを良く知る人に会った。
四国へ行くことを誓いあった。
私も私の仕事をつくり、四国へ行きたいものだ。
人間の生活には仕事に向かう時間の他に、
いわゆるレジャーと呼ばれる時間がある。
それは生活のための努力から解放された自由の時間であり、
遊びに使ってもよく。
趣味に使ってもよく。
あるいは神とともにある時間と言っても良い。
このレジャーにこそ、
人間は「人間のスペース」の中に生きるのではなかろうか。
またそこから芸術が生まれるのではないか。
アメリカと日本のふたつの血を体に持つイサム・野口。
両国を行き来しながら多くの彫刻を作り上げた。
イサムは一生ひとところに落ち着くことをしないで過ごした。
ニューヨークとイタリアと日本をまわり。
フランスで仕事をし、
インドでインスピレーションを受け、
日本で恋をした。
イサムは晩年、
色っぽい男として一生ひとりの女に落ち着くことはなかった。
また一カ所に長くとどまることをせず。
どんなに居心地が良くても日本とニューヨークを行き来した。
御供

頭を丸めない坊主たち


海で貝殻を拾っている坊主を見て、
なんやゲンさんかというもうひとりも坊主。
後ろから見て取るあんたも坊主や。
なんで宗教も持たへん坊主なんやろ。
坊主よりは旅してまっせ。
人生に4年や5年、
外国に住んでいたらあっという間や。
サンフランシスコは勉強やった。
自分の人生を変えられたからな。
時間が止まったみたいやったぞ。
後からおつりがいやっていうほど出て来たね。
時間というものも感じずに3年や4年過ぎ去ったわ。
ここにいちゃあかんと思って、
ニューヨークに引っ越したんや。
でも外国にいるとしなきゃあかんことでも、
手届きまへんわ。
ニューヨークにいるときもあっという間に過ぎて、
今、つけまわって来てへんね。
東京は時間が経つのが早いけど、
なか空っぽやねん。
だから子供でも持たな持ちまへんのや。
ちゃうねん。
10年間住んでつくったものは子供二人や。
時間かかりますねん。
他のことなんにも、
やらんことになってもったわ。
住まいもつくらなあかん。
金がかかるけん、もうけにゃあかん。
必至で10年たってもうたわ。
ほんまに。
人間の時間のつじつまあわせるのは、
ほんまにたいへんや。
わてなんて商人や。
商人と思っててもつい作りものにはまってしまう。
たちやしな。
時間は高くつくでえ。
楽しんだぶんだけ、間がもたん。
人生ふたつあったらよかったんやがな。
二度目はゆるせるでえ。
わても二度目はゆるしたわ。
御供

2010/09/18

DNA


私のDNAは芸術家だからと言っている。
自然に手が動き、ピアノもギターも
打楽器も、、、、、。
これは生まれもっての私のDNA.
だから私は芸術をやらなければーーーー。
でも私は幼い頃、その才能を止められた。
それは解っている。
私はちょっと変わった子供だったから。
私は天から授かったDNAによって音を出す。
すると、まわりの人はそれを止めるんだ。
私には解らなかった。
だから私は小さな時から、家を出ることを考えていた。
優しい目、私はしかたなくて、みんなを許してる。
私の怒りに満ちた心は、今でこそ爆発している。
しかし小さな頃はピアノもやらせてもらえなかった。
やらせてもらえなかった。
DNAはゲイニンなのに。
愛が過剰で、
私の愛は破壊してしまったのかも。
天からの声が聞こえる。
小さな頃、私を抱きあやした手が得空ごとだったこと。
小さい頃は盲目の私だった。
でも今の私はDNAに導かれて、
芸の世界に舞い戻った。
私の才能は素晴らしい。
解っていたけどやらなかった。
天からの声によって私は私のDNAを通して、
私の出生を確かにする。
かつて私は日本にやってきた、
ポーランド系ジューリッシュと九州の母の間に生まれたのだ。
しかしそれは困難な時代。
真実を知らぬまま、
私は記憶をだどった。
真実を知らぬまま、
私は記憶をも定かでないまま育った。
大きくなった私は、
無意識のまま音楽に入り込む。
これも私の確かなDNA。
今からでも遅くはない。
私は私の道の上を歩いて行こうとやり始めた。
私の真実を隠したまわりの人を呪いながら。
でも、私は人を傷つけたりはしない。
私はすでに不幸者。
やりたいことの半分もできてない。
世界をまわり、
エリック・サティのようにピアノを弾き。
私のDNAを次の世代に遺さなければならないのに。
私はピアノに手を載せる。
すると自然にDNAが、
ピアノの鍵盤をたたき、美しい音を奏でる。
そう、私は古代からゲイニン。
芸人の血を引いて生まれて来た。
私は不幸。
私のまわりの人間は知らん顔で人を笑う。
私の先道を苦しめ、楽しんでいるかのように。
でも、もうやめよう。
そんなことは考えないで今は、
ピアノを弾き、
ギターを奏でる。
そして、幸せな時の中で、これからの自分を見る。
大きなステージで私は背筋を伸ばし、
シャッキッとして演奏。
そして聞く者みなに、感動を与える。
それが、私の決められた道。
御供

VAN世代


アメリカ東部のIVYリーグと呼ばれる、
ファッションの洗礼を受けたVAN世代。
たぶん、私たちが最後の世代だろう。
それからの時代はファッションが多様化し、
スピリッツよりも型が先行する時代。
ルールに縛られないルールとして、
自分らしさを表現する時代へと流行は向かった。
それにしても「VAN」「KENT」は、
私の人生すべてを、ある未来へと変えて行った。
若かった私は当時太っていて、
洋服が似合わなかった。
だが、このIVYというファッションは
私をも包み込んでくれる範囲にあった。
オックスフォードのBDシャツにコットンパンツ。
裾をWに4から4.5CM。
足もとはコインローファー。
たまにキチンと決める時には、
3つボタンのネイビーブレザーにレジメンタル・タイを愛用。
頭は7対3に分け、
どこか、いいとこの大学生といった格好をした。
私は今、旅のまっただ中にいる。
ファッションは私にとって、
旅をそして出会いを有意義なものにするひとつの手段である。
カフェでお茶をしている時、
バス停でバスを待っている時、
公園で本を読んでいる時、
何気なく街を歩いているときの交差点で会う隣の人。
たまたま同時時間に同じ場所に立ち、
次に進行している人たちと出会うのだ。
見た目で判断するのはどうかと思うが、
第一印象は大切だ。
そんな時、格好はとても大切だ。
大きな意味を持つ。
イヤものにしないとね。
それから、声を掛け合う。
そして相手に興味を抱く。
そんなファッションへの入口が、
私にとってIVYだった。
それは確かだ。
御供

お金に


気持ちはどうあれ、
非常に強い仕事運に恵まれる。
この上昇気流に乗れるかが、
今後を左右する。
私生活を犠牲にしてでも、
それだけの価値はあるはず。
どんな仕事でも野心全快でチャレンジすべし。
時間をやりくりしてでも、
仕事のことを第一優先に考えて行こう。
そうすれば、おのずと道は開ける。
生活は充実。
何よりも今必要なのはお金である。
今頑張れば、これからが楽になるはずである。
今、私にないものはお金だけ。
使ってしまわないように、
ためるということは稼ぐこと。
使わないこと。
これからの人生を悠々自適に生きるためにも。
もう一度、お金に執着してもいいんじゃないかな。
そうすれば、何の問題もなく生きていけるのだから。
御供



つきあい


つまらないいざこざで、
頭よがって、人を悪夢のどん底に落とすヤツがいる。
そんなヤツがいると思うと、
人間とのつきあいも考えてしまう。
私の道の上にはやさしさと思いやりを、
持ったヤツしかいなかった。
自分のことばかり考えるあさはかな人間よ。
もう少し相手のことを考えてつきあうがいい。
アーティストだったら、
その生き方自体がアーティストでなきゃ。
囲の中の蛙で物事を考えて、
もっとリスペクトという気をもてないのか。
何がパンクだ。
そんなものは真空パックの中にしまっておけ。
人に対してやさしくふるまえ。
まわりの人に感謝する心を持って、
決してひとりで生きているわけじゃない。
何も知らない優等生が悪ぶったって、
その偽りの心の中は丸見えさ。
自分を正当化するために逆切れするな。
種馬みたいなことするな。
もっといろいろなものに愛を持って接し、
人を裏切るな。
もっと穏やかになれ。
じゃなけりゃ、
高みに進むことなんてできやしない。
CMをバカにして、その歯車になっているくせに、
良く言うぜ。
そのたりない頭で考えてみろ。
男さしく、人に頼らず、
世の中から逃げず、
あまり人をあてにするな。
そろそろ天罰がくだるぞ。
よおく考えろ、
その悪い頭で。
御供

ポッとあいた時間の亀裂


今日は冬のまっただ中だというのに、
いやに暖かくなんか変な空気が舞っている。
外に出ていても、
家の中に入っても落ち着かない。
こんな日は何をしたらいいのだろう?
やることはたくさんあるのに何も手につかない。
一年のうちでこんな日が幾日かあるのは知っていたが、
いざ、その日になってみると落ち着かない。
耳にはいやなことばかり入ってくる。
車の中で人が撃ち殺されていたとか?
電気がつけっぱなしにばかりになっているぞとか?
そんな日に限ってイヤなことばかりが耳に入ってくる。
私はするでもなく、風を切って走ってみた。
おもむくままに、
無心で何も考えないで、
通り過ぎる人も見ないで、
この虚脱感はなんだろう。
私はこんな日に出会ったことがない。
と、考えながら今日を噛み締める。
人がたくさんいても、
人とのつながりがみつからない。
心から許し合える人がいない。
そう思っているのは自分だけかもしれないのだが。
私は私の心に向かい合ってみる。
今日は生暖かくて変な日だ。
どうしたというのだ。
問いかけても答えは出ない。
風が吹いて来て、それをみな溶かしてくれるといい。
そうすれば、また元に戻れる。
もう考えるのはよそう。
そう、気持ちいいことだけを考えて生きよう。
昨日も、今日も、そして明日も。
御供

対光性


光と思いっきり抱き合って、
人間同士のぬくもりを味わいたい。
心に来る出会いを求めて、
太陽の下で素っ裸になって、
素晴らしい風の中を進みたい。
肌で感じたぬくもりを、
太陽との光合成で自由自在に体の中に取り入れて、
心行くまで走りたい。
角度を変えるのは旅の途上。
そっと呼びかける。
風に誘われて愛を感じて、愛を送ろう。
人との出会い。
それは神様の贈り物。
磨かれていないダイアモンド。
そう光合成こそ、太陽の贈り物。
人間の心の中をポジティブに表現して生きる。
何もなかったかのように、
太陽の下で思う存分感じよう。
みんなが愛し合い。
みんなが助け合えば、
きっと何かがつかめるはずさ。
対光性を心地よいマッサージにして、
自分の中に愛を持とう。
そうすれば何かはじまる。
御供

2010/09/17

やすらぎ


大都会で生活して、
自分だけのやすらぎの時間と場所を持つことはとても大切なことだ。
超高速で進む都会の生活の中で、
自分を見失うことがよくあるよね。
混沌としている流れの中でふと気づいてみると、
自分は何にいらいらしているのかと思う。
このいらいら気持ちは何なのか。
空白の気持ちになる。
ストレスは異常なくらいやわらかい精神というものをむしばむ。
気の合う友がいたとしてもそのストレスが解消されるわけじゃない。
自分がやすらぐ時間とはひとりで開け放した心の中にあるものなんだ。
移動する車の中のひとりの時間がそうだったり。
隠れ家でひとりもの思いにふける時間がそうだったり。
人それぞれやすらぐ方法は違うことだろう。
ひとりで遊ぶこと何かを創造する時間こそやすらぎの時間。
心の平和。
完全なる平和はそんなやすらぎの中にあるものなんだ。
時空を遊ぶことができる人はやわらかな精神をみだすことなく生活できる。
やすらぎの時間を持とう。
そしてクリエイティブしよう。
旅しよう。
やすらぎの中にひたって!
御供 2000/12/1

わかって欲しい


今の東京で生きるということの難しさをわかって欲しい。
孤独になることがどんなにつらいことかわからなかったら、
人間の生活のリズムに乗ることさ。
どんな波だって乗りこなすサーファーにはなれないだろう。
今をわかぅて生きる。
ということの普通な行為に目覚めて欲しい。
規則正しい毎日の繰り返しがどんなに大切か。
21世紀を目の前にして、
贅沢に甘えたっていいことないじゃないか。
自分を正当化するために人に当たり散らすことをしないで欲しい。
神様はかならず見ているのだから。
人々の心の中にある不安を消し去ることなんてできやしない。
経済大国日本と言われて久しい。
確かに生産はあがったかもしれないが、
果たして人間の暮らしは楽になっただろうか。
とても疑問だ。
多くのものに囲まれているが精神というふあふあしたものは、
このモノの副作用として脅かされているのは確かだ。
世界はコンピューターによって狭くなり、
情報は多様化していることはいいことだ。
いいことなのだろうか?
情報があふれ過ぎて処理できずに自分の時間をすり減らす。
時間に追われている人間が多いことか。
夢を叶えようと必至になっているやから。
目の前のものを見ないでいる人たち。
わかって欲しい。
いちばん大切なのはやすらぎの中の平和な時間だということを。
モノやお金がたくさんあったからって幸せとはかぎらない。
本当の幸せは時を忘れた時にやって来る。
今の人間にやさしさや思いやりがかけているのは周知のとおり。
もう少し人間本来のリスペクトの気持ちを持って欲しい。
何につけても愛を持って行動すべきなんじゃないかな。
さもないとしっぺ返しはかならずきみにやって来るのだから。
わかって欲しい。
愛がいちばん大切だと。
御供 2000/11/26

アメリカは


太陽が道を焼いてて、
音楽がジューク・ボックスやカー・ラジオから流れてくる。
あの発狂した気分、
ロバート・フランクがおんぼろ中古車でまさに地続きで48州全部を走り回って撮った無数の写真。
そんな気分で。
それも機敏さと謎。
天才、悲しみと影の不思議な秘密のこもったそれまでの写真じゃなかった。
見たことのない光景ばかりだった。
御供

セプテンバー


現状の価値観に満足せず、
何か面白いこと始めようとしている同世代の連中がいる。
彼らがいま東京で何を考え、
どんな生活を送っているのかということ。
相変わらず物価は高いし、
情報が溢れまくっている東京での生活は決して快適とは言えない。
ならば視点を変えて毎日を少しでも暮らしやすくするために、
アイデアはないものかと。
御供 2000/11/29

ブランクーシ


ブランクーシを賛美する言葉を口にしていたという事実。
ダダイズムの中心的人物、
マルセル・ディシャンは芸術家とは?
ルーマニア生まれのコンスタンティン・ブランクーシは、
パリに出てロダンに賞賛される彫刻家となった。
キュービズムの下地となったアフリカの黒人彫刻、
故国ルーマニアの建築様式にのこるシンボル芸術に強くひかれ、
次第に抽象。
「アーティストはすべて自分の手で成し遂げなくてはならない。彫刻家の労役とはのろのろと時間がかかり、
かつ、孤独そのものなのだ。
御供

人生は


人生は波乗りに似ている。
時代の波をつかまえたら一気に。
そして岸に打ち上げられる前にUターンするんだ。
もう一度波に逆らいながらパドリングして、
一瞬の快楽のためのパドリング。
ビーチできみが観ている。
膝を抱いて。
それとも目を閉じてラジオを聞いているのかな。
どちらにしても格好良くきめなくちゃ。
このセロファンの波をうまくつかまえられたらね。
御供 2001/5/18

数えてみる


人生に必要なものを考えてみよう。
その答えがあなたであり、
あなたの人生である。
人生に必要なものはそれこそがSOULだ。
答えは人それぞれちがう。
SOULSはこれらの言葉につまっている。
[DREAMS]
[JOURNEY]
[ADVENTOER]
[BOOKS]
[MUSIC]
[BAR]
自分だけのWORDS&SOULSを探す。
そこに自分だけの生きる意味が見えてくる。
ここがロドスだ。
ここで飛べ。
ここで行くんだ。
どこまでも。
御供 2000/11/30

行動に


自分の行動に責任を持つべきだ。
あっという間に自分の意見を変えるヤツがいる。
さっきまではああ言ったのに、
今はこう言っている。
もっと自分の行動に責任を持つべきだ。
なんて言ったって自分が言ったことなら、
最後まで責任をとって欲しい。
いいかげんの言葉で人を翻弄させるのはよくない。
何はともあれ自分の言った言葉を最後まで押し通し、
そうあるべきだ。
中途半端にころころ意見を変えて欲しくない。
男だったら自分の言葉にしっかりと、
自分の意見に責任を持って欲しい。
じゃないとまわりが迷惑をこうむる。
御供 2001/6/12

詩人のジム・キャロル


道ばたでからすが夢をついばんでる。
ぼくら3人は長髪を風になびかせて、
コデインで羽のようにハイウェイを舞った。
ラジオではケルアックが47歳で死んだというニュース。
最後のハイウェイでは木々が踊りだし、
道が悲しいため息をついた。
誰だって一度はこのいまいましいアメリカン・ハイウェイからおさらばし、
美しい昇天を夢見るもの。
ぼくも一度は消えることを夢見た。
この美しい晴れ渡った10月の空へと。
「グレゴリー・コーソ」
アメリカが生き続けている限り、
きみも生き続けなければいけないのだ。
ああ懐かしいきみの中にどれほどの豊かなアメリカをぼくたちは見てきたことだろう。
思いやり、若さ、自由。
きみはまさしく、そんなアメリカの化身であったのだ。
「放浪天使の歌」
御供

時代こそ


苦難な時代こそ、
詩人とその詩にとってある意味ではこれ以上の舞台はない。
なぜならば詩は、
人間が作り出すもののうちで最も素朴であり、
魂に最も密着した肉声の芸術だからである。
しかしながらおそらくどの時代の詩人にとっても、
その詩人の生きた時代は苦難の時代であったことが言えよう。
外観は平和で満ち足りた時代の詩人ですら、
その心のうちにはそれぞれに人間が人間らしく生きることへの苦難を強く感じていたに違いない。
物質文明の異常な発達に人間が振り回されて、
歯車のひとつとして順応し、
あくせくと個性をなくして生きている。
そんな時代に人間形成の時を待つ。
運命に巡り合わせた人間がいて詩が生まれ詩人がいる。
時代の地獄を生き巡り、
その地獄から愛の時代をたずさえて浮き上がってくる詩人がいる。
ノーマン・メイラーの言葉を借りて言えば否応なしに順応を強いられている、
大多数の今日の人間たち。
われわれは同じようななにかある巨大な統計上の計算の中の一個の記号で死ななければならない。
そんな運命にあるかもしれない。
人間の人間らしい営みは、
何か巨大な力で否められ砂の上のように押し流されていく。
そんな時、
人間の原点に立ち返ってそこから再出発しなければならないことを、
自覚した人間たちがいる。
それは時代が必要としている詩人である。
にもかかわらず、
詩人は時代に受け入れられることは後のことである。
その時は苦難の道の途上にいる。
御供 2000/8/26

友へ


さわやかな気分を運んで来てくれる友。
ずっと前から友だちだった。
毎日会っている訳じゃない。
たまに会っても、
いつも同じことを考えている。
目的がひとつに見えてくる。
一生つき合っていくことだろう。
自分がそう考えている友は、
同じ考えでいてくれるから不思議だ。
人間に与えられたYESとNOの探求。
人間は愛した分だけ愛される。
同じ気分で会い、話し合い。
別れ際にさわやかな心の中。
人間に生まれて一生の内に会う人間なんて少ないもの。
世界の全人口に会えるわけじゃない。
会っても通り過ぎるだけでは友とは言えない。
いろいろな人がいる。
互いに相手のことを誠意を持って接し、
信頼というきずなで意見を交換できる友。
ふと思う時、いつも心の中にいる友。
海を隔てていても、
その考えは変わらないもの。
ジェントルな態度で迷惑などかけずに、
本根で語る。
大切な時にアドバイスをしてくれる友。
何かひとつ、そうやさしさという心の中でつながっている。
そんな友が友へ人生の喜びの時を探してくれる。
喜びの時を探してくれることは間違いない。
友よ、楽しい時間を大切に一生つき合って行こう。
御供 1999/2/26

気分というもの


いつも平性でいられる人間なんていないだろう。
揺れ動く感情の中、
どういつも戻ろうか考える。
気分というものはいつも変わり続ける。
そして平性をよそおう私がいる。
人が意識した時、
余計に気分はいつもとちがうものになる。
そんな毎日の中へ気分はいろいろな表現をする。
私のわがままの中で、
よかったり、悪かったり。
悲しんだり、うれしんだりする。
気分というものはできるだけハッピーに保つべきなんだ。
健康で他人に迷惑をかけない範囲で、気分する。
これが一番いいことさ。
御供 2003/4/18

2010/09/15

放浪者たちのカフェ


旅をしないとたどりつけないカフェがある。
地図も電話もなく。
人づてに聞いて行かないとたどりつけないカフェがある。
満月の光に誘われた夢という旅のゆくえかもしれない。
誰かにささやかれているから、あるとわかるだけ。
裸足の心がなかったらたどりつけない。
旅人は数々のストーリーを持ち、
名前を忘れ、
過去を忘れ。
そして、たどりつく。
そこではじめて、神妙に満ちた言葉を発し、
旅人は詩人なる。
次の世代の誰かにこの旅のゆくえを語るために。
このカフェではあらゆるアルカロイドが持ち込み可能。
ないものねだりの心多き旅人たちは、
そこで物々交換をする。
自分の未来と過去を取引する。
不安定だけれども、
黄金の夢をポケットに入れてまたカフェを後にする。
放浪者たちのカフェはあらゆる未来にあふれていて、
人間の限界のぎりぎりの果てにある。
ある者はたどりつくこともなく。
ある者はたどりついたにせよ、
出口を見つけられない。
そんなカフェには驚くほどいろいろな覚醒があり、
現実と非現実のはざまをさまよう。
旅人の時間そのものだ。
だからこそ、通り越したなら現実の社会で実力を発揮し。
心の中すべてを吐き出して成功という富と名声を手に入れる。
放浪者たちのカフェを探しあてようと、
今日も若者が旅立つ。
決して地図を持たず。
果てのない旅の果て。
心は遠のいて夢の中に立っている。
ある者は一直線に進むことをする。
ある者は反対の道を行き,
いつまでも帰らぬ人となる。
人生はそんな旅の途上。
放浪者たちのカフェで一休みして,
エネルギーを蓄えて人生をまた歩く。
そして、完結という終着点で笑う。
人生はハッピー・エンドでなくちゃ。
私はカフェで誰かと出会い、
共に歩き出すことだろう。
御供 2000/12/8