2010/08/31

ギャラリー


チェルシー・エリアのギャラリーを回る。
すごくゴージャス。
とても美しい。
しかし、どこもかしこもかしこまっているだけ、
もっと人間らしくEASYなアートがいい。
作り込んでしまい過ぎ。
もっと気楽に楽しんだらいいのに。
もっと表現に頼らず、
明るくハッピーなものにするべきさ。
人間が表現するものが苦しく暗いものだとしたら、
それはなくてはいいもの。
なくてはいいものはないもの無。
そんなものはこの世の中にいらないもの。
だったら創ってはいけないもの。
なのにミステリアスだとかいって鑑賞しているのだから、
お笑いぐさだね。
ギャラリーは格好つけ過ぎなんだよ。
社交の場として、
きれいに着飾った金持ち連中の憩いの場になっている。
もっとギャラリーの変化を要求したい。
御供 2002/5/16

メッセンジャーは


街を徘徊するメッセンジャー。
マンハッタンをぶらりぶらりと散歩していると、
いたるところで出会うメッセンジャー。
道を聞いたりするとやさしく教えてくれる、
メッセンジャー。
心を込めて丁寧に、
神の啓示のようにひびく声。
私をそっと導いてくれているかのよう。
彼らには余裕があるのかな?
とてもゆっくりと、
でも猛スピードでバイクを走らせる姿も見かけるのに。
時間、きっと時間の配分が違うんだ。
いつもあくせくと働く都会人と違って、
彼らには時間が逆さまわりする時計があるに違いない。
ゆったりとした時間の流れの中に身を置き、
自分だけの価値を自分の中に持ち続けているのだろう。
変わることなく、
自分の考えに基づき動く、人生。
美しい人生。
きっとそんなものの中に楽しんで自己流で生活しているのだろう。
同じここに住む人間なのに何故だろう。
他の都会人を見ていると目がちばしる。
金や社会というものに振り回されている人間が多すぎる。
この超文明のマンハッタンに住みながら、
時代の流れに流されているだけの人間。
どっちが幸せなんだろう。
少しのお金のために働くヤッピー。
自分のお金でもないのに必死でがんばるストック・マーケットの背広姿の能無しども。
社会の法というものを振り回す官僚ども。
もっとやさしさと思いやりを持って生きてほしい。
ここに来るまでのアメリカン航空の働き蜂の声は、
私にとってとても不愉快な悪魔の声のようにつきまとう。
そんなに偉くもないのにほざくなと言いたいくらい。
ただのつかいっぱと気づくべきさ。
文明の乗り物に乗っていたって、
多くの機械に操られているだけ。
マニュアル通りにやっているだけじゃないか。
原始的な乗り物、
自転車に乗って超スピードで走る。
メッセンジャーの無言の声を聞くがいい。
地球はもうそんなことじゃ長くは続かない。
資源をやたら使って、
どこが偉いというのだい。
もう少し、人間としての心で考えてほしい。
きみらのやっていることは、
今の社会では本当はやってはいけないことなんだよ。
もう少しでもいい。
正しい考えの中に動いていたら、
そんな悪魔の声は発しないはずさ。
私は見る。
すべての不条理の未解決な問題を。
どうすることもできないけれど、
人間の意識の上になりたっているこの世の中。
一瞬で「パン」という切り換えの時が、
やってくることを望んでやまない。
そう明るい未来を見ているのさ。
御供 2002/5/11

J・ケルアックに捧げる


<コーラス239>
チャーリー・パーカーは神だ。
チャーリー・パーカーはこの間死んだ。
何週間もの過労と病気の末に、
テレビで手品を観ながら笑って死んだ。
彼はパーフェクトミュージシャン。
その顔に浮かぶものは、
静かで、美しく、
深遠な東の人たちが描くブッタの顔。
閉じた瞳。
その表情は『すべてよし』と語ってる。
『すべてよし』
チャーリー・パーカーは演奏を通して、
音楽が伝えた言葉を告げた。
『すべてよし』
朝早い時刻の感覚でなければワイルドなジャムセッションのパーフェクトクライ。
チャーリーが吹き出すその息、
スピード狂の望むスピードに達する。
そして彼らはチャーリーよ、永遠の減速を望む。
偉大なミュージシャンで、
偉大な様式の創造者。
それが遂に時代の声となった。
<コーラス240>
ベートーベンに匹敵する音楽家なのに、
誰もそんな風にはみない。
世界の歴史に残る、ストリングス・オーケストラ。
それらを前にして柔和な指揮者。
もの静かで誇り高く、
音楽を率いている者。
サックスを切り裂くように透き通ったアルトの嘆き。
完璧なチューン。
輝くハーモニー。
こみ上げる感情を抑えきれず、
やがてすっかり呑み込んでしまう。
そのもの全体が揺れ動き、
みんながいい気持ち。
チャリー・パーカーは、
サックスを指揮棒変わりに吹く。
永遠の湖まで誘い出す。
じょうじょうと虚殺の水に注がれる白い肉、死ぬ。
ひとりまたひとりと順番に。
<コーラス242>
チャーリー・パーカーの語り口は、
レコードでもセッションでも、
由緒正しいクラブで聴いても本当に甘い。
陽気に鳴らしたサックスはパーフェクト。
どこも変わりはなかったよ。
遅れ、あなたのまなざしに答えられなかった。
何か送っていれば、それを切っ掛けに何かやってもらったのに。
チャリー・パーカー、私のために祈っておくれ。
優しくて広大な、あなた自身のニルウ゛ァ−ナから。
私とみんなのために祈っておくれ1
あなたはもうチャリー・パーカーじゃない。
私自身の声に出してはならない名前。
上へか下へか、
東へか西へか。
ここから計れないほどの価値の名。
チャリー・パーカー、
私をみんなを破滅から救い出しておくれ。

J・ケルアックに捧げる


<コーラス239>
チャーリー・パーカーは神だ。
チャーリー・パーカーはこの間死んだ。
何週間もの過労と病気の末に、
テレビで手品を観ながら笑って死んだ。
彼はパーフェクトミュージシャン。
その顔に浮かぶものは、
静かで、美しく、
深遠な東の人たちが描くブッタの顔。
閉じた瞳。
その表情は『すべてよし』と語ってる。
『すべてよし』
チャーリー・パーカーは演奏を通して、
音楽が伝えた言葉を告げた。
『すべてよし』
朝早い時刻の感覚でなければワイルドなジャムセッションのパーフェクトクライ。
チャーリーが吹き出すその息、
スピード狂の望むスピードに達する。
そして彼らはチャーリーよ、永遠の減速を望む。
偉大なミュージシャンで、
偉大な様式の創造者。
それが遂に時代の声となった。
<コーラス240>
ベートーベンに匹敵する音楽家なのに、
誰もそんな風にはみない。
世界の歴史に残る、ストリングス・オーケストラ。
それらを前にして柔和な指揮者。
もの静かで誇り高く、
音楽を率いている者。
サックスを切り裂くように透き通ったアルトの嘆き。
完璧なチューン。
輝くハーモニー。
こみ上げる感情を抑えきれず、
やがてすっかり呑み込んでしまう。
そのもの全体が揺れ動き、
みんながいい気持ち。
チャリー・パーカーは、
サックスを指揮棒変わりに吹く。
永遠の湖まで誘い出す。
じょうじょうと虚殺の水に注がれる白い肉、死ぬ。
ひとりまたひとりと順番に。

J・ケルアックに捧げる


<コーラス229>
大洋にすごく悲しい亀がいた。
悲しそうに目をとがらし、
再び見つかるはずのない唯一回の例外を追っていた。
昔ある日の午後、
濡れた鼻ずらを水面に出した亀の、
その鼻ずらの先に浮いていた。
それこそいにしえの、
かくて亀は永遠に結ばれた。
教えてくれ僧よ。
そういうことが起こる見込みはいかほどかを。
亀は老いており、
かってに流れ七つの大洋はこの小さな亀の住処である。
どれようにも広い。
見込みは薄い。
何百、何千、何憶、何兆分の計算。
永却のひとつ。
いつか亀が放される時、
難しいのは、このカルマの地上で、
人間が人間として再び生を得ることだ。
<コーラス230>
くずれゆく愛の広大な夢場。
勇者たちのこぼれ落ちた乳。
砂岩によって揺れたる絹のスカーフ。
目隠しされ、縛り付けられた勇者たちの愛。
この世に生を許された生粋の偽善者。
指で関節を交換する。
やさしさの象の震える肉を、はげたかが引きちぎる。
精巧な頭かい骨の受胎。
黄金の希望の変わりに冷たい希望。
木造りの船体にはりつく濡れた秋の木の葉。
今はないセンチメンタルな「アイ ラブ ユウ」
性別不要の恐ろしく魅惑的で神秘的な人たち。
私たちの得る代償は、子猫たちにキス。
するみたいにうららかに。

チェルシー・コモン


今いるレストランはとても静かで、
まるで時間が止まったようなところ。
いつまでもこのままでいて欲しい。
チェルシー・コモンのカウンターでドラフト・ビールを飲む。
カウンターの中にはだんまりのバーテンダー。
でもここはスモークできる数少ないレストラン。
ニューヨークへ来て4課目。
気持ちのいいタクシーの運転手に、
気持ちのいいバーテンダー。
だって二人ともスモークが大好き。
ここはまるで残された天国のよう。
私の心は天に舞うように洗われる。
ここは時間のゆっくり流れるところ、
まるで私がここにいることがディジャブ。
前にあったかのように感じることができる。
ゆったりとした時間。
気持ちのいい時間。
この時間が一番欲しかったのかもしれない。
私の心は旅の彼方へ舞い上がる。
こんな気持ちになれるなんて不思議だ。
ここはとても面白い老若男女が集まり、
自然に楽しんでいる。
壁にはアート、
人形がところ狭しと飾られている。
誰にも干渉はしない。
自分というものの中に時間をつくり、
そして行動するだけ。
そんなレストランが今もなおいきいきとしていることが、
うれしいじゃないか。
みんなのために。
御供 2002/5/16

人間の欲望


みんな見栄をはって欲望など表面にださない。
だから、隠された部分が一番の人間の欲望なんだと思う。
心から何かをやりたいとか、
歌いたいとかいうのは本当のもの。
人間の欲望はつきやしない。
ただ空気を吸って生きているだけじゃつまらない。
自分の意見を発言することさ。
社会のいろいろな部分について自分なりの意見を持つ。
人間ひとりじゃ生きられないのだから。
みんながよくなるように考える。
それが大切なんだよ。
すべての人がまどわされることなく、
楽しんで暮らすことのできる社会。
人間の欲望が素直に受け入れられる社会。
そういう日が来ることを祈ろう。
頭でっかちの奴らの自由になんてならない。
自分の意見を持ってそれを発する。
いつもそうなんだ。
発表することだよ。
御供 2002/5/23

死んだように


べットの中にいる私。
何も考えることもなく。
世の中とのかかわりはBSのTVの声だけ。
携帯電話が時間を確かめる唯一の手段。
起き上がろうとしても起き上がれない。
太陽はすでに昇り傾いた。
何回それを繰り返したかわからぬまま。
ベットにとらわれの身となる。
たくさんの夢の中に現実が見える。
今、私はどこにいて、
どこへ向かおうとしているのか。
わからぬままここにいる。
まるで死んだように。
たった一日か二日なのに、
こうして死んだように寝ているとすぐに不安になる。
自分は世の中との接点を求める。
そうしなければいけないという意識がいつも頭のどこかにある。
人間はひとりでは生きてはいけないものだから。
人間社会と離れて生きることなんて考えられない。
それがたとえ一日や二日でも不安になるのだから。
ゆっくりした時間の流れの中で自分流に生きる。
そう考えていた自分なのに。
死んだように寝ていただけで不安になる。
私はやはりこの社会の一員。
人間社会に生きていると感じる。
愛し、愛され、
それを繰り返して生きていく。
そんな毎日の中に葛藤していて生きている。
人間としてやることをやって生きていく。
必要なことは誠実であること。
そうすれば快適に生きていける。
御供 2001/9/24

美しい地球


この物質社会の時代に生きている。
地球エネルギーは争いや権力によって経済だけが主張する。
世界を片目でにらみ、
大きなメッセージを送りたい。
私たちが待っているのは、
インドネシアに起こった津波のような災害の波ではない。
もっと優雅に乗れるチューブのような波である。
サーファーたちが待ちわびる。
大きな波が必ず来る。
自然の摂理は必ず聖なる風によって運ばれて来る。
私たちの住むこの地球は、
青く青く輝いている。
御供 2005/1/18

リスペクト


戦争はいけないよ。
争うなんて馬鹿げてる。
愛することをしなかったら、
もう先はないと思うよ。
心温まる行いこそ、
相手を安心させ喜ばせるんだ。
心優しき者こそやわらかい精神というものを、
狂わせはじめている。
今必要なのはリスペクトの心。
他人を敬う。
正しい心じゃないだろうか。
御供 2001/12/5

ファッション


ロックは物質から心情への架け橋。
ファッションによるコミュニケーションこそ、
固定した価値観ではない。
夢を見ている時ではない。
語ってばかりいる時ではない。
反対ばかりしている時ではない。
遊んでいる時ではない。
甘えている時ではない。
ヒステリックにわめいている時ではない。
謳ってばかりいる時ではない。
被害者意識ばかりもっているばかりではない。
平和のために働く時である。
何もしないで文句ばかりを言っている時ではない。
何もはじまらない。
何しろはじめなければいけない。
新しい生活。
人間的平和。
平和な生活。
自然な生活。
心情な生活。
そのために今働かなくてはダメだ。
働くことをファションにしよう。
今的に働こう。
労働は遊びやメシを食うためにするのではない。
我々自身が生きている意味を知り、
生きているための充実感のためにするのである。
すべての無駄な議論は終わった。
自分の生活を変え、
そのちからを広げ、
大きな変革に変えていくためにワーク・フォー・ピース。
共感、共同体の形成。
そのために働こう。
それが一番格好いい生き方になるんだ。
ファッションが人間の目の光を変え、
モノの味方を変え、
生き方の姿勢すら変えていく時代が来ている。
ファッションとは自分の現したいこと。
自分のやり方で現すこと。
そこには当然、普遍的なものが生まれてくる。
それが捉えがたい時代の風がファッションである。
その捉えがたいものを嗅ぎ分ける力こそファッションだ。
御供

ロンドン


2日目のロンドン・ナイトはとても元気で、
身のまわりのかたずけをしている。
よしこれからといわんばかりに準備万端。
何を考えているのかもわからぬまま。
ただひたすやにロンドンに来て良かった。
そう思って。
御供 2001/11/11

忍の母


これからの起きる楽しいことや悲しいことを、
じっと予感している。
それを言葉にすることもまだできない。
でも脈々と生きている。
世界の国のどこに生まれたからって変わりはしない。
追い立てられ、
急がされ、
型にはめられ。
どんな田舎も容赦なく貫く味気ない大きな道路。
センスの悪い大型店が立ち並ぶだけ。
でも生茂った緑の山を見ると、
涙を流してしまう。
おもちゃのような湖のように音をたてない海。
この国にしかない自然を愛している。
今は何が起こっても不思議でない時代だ。
小さな島を守るために真剣に会議が開かれ。
同時にカラスが猫を殺す。
昔ながらのお祭りを楽しみ。
神輿を担いでいる時、
誰かがみんなの食事に毒を入れる。
何を信じたらいいかわからない。
でも私は愛されている。
私はこのめまぐるしく動く時代の中で、
いろいろな人を見過ぎた。
今やどこから来たどんな外見の人でも恐れることなく、
出会うことができる。
本能を信じて、
こだわりを捨てて。
私たちの魂はどんどん素晴らしくなっている。
私は食べるのが、
楽しいことが、
健康でいることが、
人によく思われることが、
お金が好き。
でもその人のために生きているのではない。
したいことのために食べれなくても、
大変でも、
体を壊しても、
悪口を言われても、
貧乏でも、
醜いものをたくさん見てもかまわない。
そのくらいの覚悟はできている。
生きているということはいつも両方見ていること。
そんなに捨てたもんじゃないと思っている。
TVも新聞も悲しいことばかり言わないで欲しい。
今はまだまだはじまったばかりの旅の途中。
御供 1999/3/9

こつ然と姿をくらます


盗賊は路肩に100万円落ちていても拾ってはならない。
拾うのは乞食だ。
盗賊は盗まなければならない。
職業に貴銭のない時代に、
貴い指名を持って仕事に望むこと。
そして、ひとつひとつ成功させ、
力つきるまで良きものを作るということ。
なんの仕事であってもプライドを持って、
格好よくやり遂げること。
そう心に決めた自分が、
ここにいる。
御供  1999/2/17

人生の不安


私は何のために生きているんだろう。
いったい人間の楽しみってなんなんだろう。
ふとこんなことが頭をもたげる。
アンニョイな夏の日の午後のこと。
なにかけだるい。
字を追うこともかったるい。
外に出て行くには熱過ぎる。
電話する友もいない。
パッションの詩を書くこともおぼつかない。
この熱さのために破滅的になっているのかな。
遠い時間の先端を見つめる余裕もない。
何かを思いやることもできない。
大それたことをやる気もない。
こんなとき、人生に不安を感じる。
壊れゆく地球についての不安なんてものじゃない。
今をどう過ごすかという、
もっとも大事な大問題にぶつかっているのだ。
いったい私はこれからどこへ、
どういうふうに流れて行くんだろう。
精一杯生きるってどういうことなんだろう。
悲しみと喜び。
自由と平和。
心の中に問いかけても答えはでない。
じっとしていちゃダメなんだ。
動きつづけて人間。
止まると不安。
おかしなもので、
ちょっと角度を変えるとその不安はふっ飛んじゃうのだから。
今ある時間を使って、
ゆっくりと次の旅のことでも考えるとするか。
何をやったって変わるものじゃないのだから。
「楽しくなけりゃ人生じゃない」
御供 2000/7/26

健康とは


体が思うように動かない。
体の真ん中にしこりのようなものがあって痛む。
腰も痛い。
遊ぶことも仕事をすることも体が基本なんだと思う。
この重い不安感が目の前を閉ざす。
自由になるための第一歩は健康なのだと、
強く思う。
この体の内側からくるなんともいえぬ痛み。
何をするにも息苦しくて何もすることができない。
じっとしていることにしよう。
少しはよくなるだろう。
この重い体はどうしたものか。
自分の体じゃないみたいだ。
風邪だろうか。
何か得体のしれない病気だろうか。
今の私には何もわからない。
しかしこのもやもやはどうしたものか。
少し寝るしかないようだ。
寝ればなおるだろう。
人間の体は上手くできていているものだ。
体の変調をきたした今の不安といったらない。
でも私は私を信じて進む。
この体のことは私がいちばんよく知っているだろう。
このまま終わってしまうなんていやだ。
まだまだいろいろなことをやりたい。
私は体を壊してなどいられない。
どうにかして気力で回復しなくては、
体が大切なことは気がついた。
ヘルシーな生活がなかったら、
旅もクリエイティブもできないというわけ。
人間の楽しみである食べることとセックスと働くことは、
すべて体あってのことなんだ。
健康こそ人間のいちばん大切なものなんだ。
やわらかい精神というものを守るのも体というわけだ。
充分に気をつけて行動しよう。
でなくちゃ何も楽しめない。
健康を保つことがこれから先どんなに大切か。
御供  2000/12/29

北青山ホテル


看板もなく、
裏道のビルの2階にひっそりとやっているバー。
そのバーがビルの立ち退きのために店を閉める。
店の終わりの日に。
夏の終わりの日に。
みんなが集まってドンチャン騒ぎ。
「遊び」という合い言葉で集まっただけだから、
よけいに盛り上がった。
めちゃくちゃ騒いだ一日。
店にはボーイと呼ばれる人がいて、
ひろえちゃんという女のコがいる。
何人かの常連客がいて、
それだけのバーなのに人が集まった。
たくさんの人が集まり、
最後の日を騒ぎまくった。
人が人を呼び、集う。
文化となった東京の夏の終わりの一日の記録として参加した。
私が詩を読み、矢部くんがDJをやった。
ちかが写真を撮り、くしだがギターを弾いた。
久しぶりのポエトリー・リーディング。
昔からの知り合いもいて、
新しい仕事の雑誌「東京ジャーミン」のスタッフもいた。
みんな汗びっしょりになって騒いでた。
エネルギーを感じ。
夏の暑さにもめげず。
飲み明かした夜を過ごした。
私が東京に住んでいる実感がつかめる一夜だった。
このたくさんの人が住む東京という街に、
生きていると感じるのはこんな時間なのかも。
生活していると解らなくなる。
でも、きっとそうだ。
御供 

堕落論


堕落自体は常につまらないものであり悪であるにすぎないけれども、
堕落のもつ性格のひとつには孤独という偉大な人間の実想が厳として存している。
すなわち堕落とは常に孤独なものであり、
他の人々に見捨てられ、
ただ自らに頼る以外に術のない宿命を帯びている。
善人は気楽なもので父母兄弟、
人間どもの虚しい義理や約束の上に安眠している。
社会制度というものを全身に投げかけられて平然として死んでいく。
だが、堕落者は常にそこからはみ出して、
ただひとり荒野を歩いて行くのである。
悪徳はつまらぬものであるけれども、
孤独という道は神に通じる道である。
キリストが淫売婦にぬかずくのも、
この荒野のひとりいく道に対してである。
この道だけが天国に通じているのだ。
何万、何憶の堕落者は常に天国にたどりつけず、
虚しいひとり地獄をひとりさまよう。
この道が天国に通じていることに変わりはない。
御供

大都会


たくさんの人間が行き来する街。
ここは東京の中央ともいえる一番町。
大きなビルが建ち並び、
大会社のオフィースがある。
多くの人がそのビルの中に吸い込まれるように動いている。
夜や週末となると人寂しいくらい人口が少なくなる。
ビルの上の方には住宅があり、
土にまみれずにコンクリートの中で生活している人たち。
AMPMに代表されるコンビニがところどころに存在する。
24時間営業。
必要最低限のものはいつでも手に入れることができる。
時たま見かけるお年寄りは、
街の変わりようにもうさじを投げたようだ。
マイペースでゆっくりと散歩している。
若き日の街の風景の幻影を見ながら、
ときたま犬の散歩をしながら歩いている。
時代の流れに変わらずに生きている人たちもいるが、
酒屋や魚屋くらいのもの。
ほとんどの人が仕事のために、
ちょっと離れた街からやって来る。
仕事が終わると帰って行く。
一番町はそんな街。
大都会東京の真ん中にあってとても静かなところ。
そので、これからの街のあり方を考えてみよう。
御供 2002/9/12

J・ケルアックに捧げる


<コーラス228>
人間よ称えよ。
彼はミルクの中にあり、
檻に暮らす者。
彼のバイオリンの音楽は、
ミルクとクリームの虚白の中にある。
聞いてもいない。
奥の花弁を称えよ。
そして最もやわらかな思性の実をーーー
妄想をさざなみを称えよ。
永遠なる聖なる海を称えよ。
すでに死に、再び死して書き続ける。
私自身を称えよ。
木を称えよ、それはミルク。
根源の蜜を称えよ。
心地よい眠りを抱こう。
下なる地上の地獄の谷にいる天使たちの勇気を。
終わりなき終わりを称えよ。
地上の民の光を称えよ。
見張りを称えよ。
乳の中に住む、我が朋友を称えよ。
<コーラス229>
大洋にすごく悲しい亀がいた。
悲しそうに目をとがらし、
再び見つかるはずのない唯一回の例外を追っていた。
昔ある日の午後、
濡れた鼻ずらを水面に出した亀の、
その鼻ずらの先に浮いていた。
それこそいにしえの、
かくて亀は永遠に結ばれた。
教えてくれ僧よ。
そういうことが起こる見込みはいかほどかを。
亀は老いており、
かってに流れ七つの大洋はこの小さな亀の住処である。
どれようにも広い。
見込みは薄い。
何百、何千、何憶、何兆分の計算。
永却のひとつ。
いつか亀が放される時、
難しいのは、このカルマの地上で、
人間が人間として再び生を得ることだ。
<コーラス230>
くずれゆく愛の広大な夢場。
勇者たちのこぼれ落ちた乳。
砂岩によって揺れたる絹のスカーフ。
目隠しされ、縛り付けられた勇者たちの愛。
この世に生を許された生粋の偽善者。
指で関節を交換する。
やさしさの象の震える肉を、はげたかが引きちぎる。
精巧な頭かい骨の受胎。
黄金の希望の変わりに冷たい希望。
木造りの船体にはりつく濡れた秋の木の葉。
今はないセンチメンタルな「アイ ラブ ユウ」
性別不要の恐ろしく魅惑的で神秘的な人たち。
私たちの得る代償は、子猫たちにキス。
するみたいにうららかに。
   mitomo

J・ケルアックに捧げる


<コーラス224>
全能の神よ。
われらは何をなすべきか?
われらは何をすべきか?
メキシコの葬儀屋で尊大な嘆きやと解答者が歌ってる。
するとぴしゃりと一声。
頭上の雲がひびく。
『すべてはなされた』
上には『何もなく』というのと同様。
月光の数、何がなされたのか?
すべてが誰も一様に祝福された。
すべてがなされたって?
屋敷は建てられ、火宅の中で老いて死んだのか?
鈴の音から、鈴の音へ。
香水の手によって伝えられた。
『すべてはなされた』
『ゆえにいにしえ』
やすらかに!
<コーラス225>
眠っている間のあのひどく心地好い虚無には、
決まった場所もないのに皆に与えられたという。
内なる聖を求めて!
地理圏をあちらこちらと休みない精神の探求を続ける。
暗がりで顔をしかめ、
愚かな自分を諭す。
自分、何にせよ現実というものがあると。
信じるふりをしてみるのだ。
中でもとりわけ人を鍛え上げる現実というやつを。
荒野の試練。
スーパーマンの孤独。
星のまたたく夜。
雲ひとつない午後。
せまりくる壁のない、内なる眩しい天国の外には、
うれいも迷いもない。
永続する悟りの恍惚よ。
黄金の空よ。
私は迷ってしまった。
<コーラス226>
失うべき道などない。
道があるとすれば、
太陽が地を照らし、私は西へキミは東へ行く。
本物の太陽が追いかけるのはどっちだ。
本物が姿を借りているのはどっちだ。
どちらも本物ではないのだから。
唯一の本物の道などない。
太陽だって、二倍に。
また、百万倍に増幅された妄想の道。
道がなければ神もない。
達磨もない。
概念もない。
ただひとつの恍惚も心に満たすべきは、
道とはなにもない道だという想念。
すべては同じ道。
この啓蒙的な詩を書いたら、
次に私は何をするべきか?
自己の恍惚という魔法のじゅうたんに乗るか。
黒塗りのバスが走り去った後、
取り残された子供たちのように死ぬのを待つことにするか。
それとも?
<コーラス227>
くそ、みじめだ。
ひどいことになった。
無慈悲にもただ最悪の事態を持っているだけ。
どうにもならない、希望もない。
苦悩という概念が、
私の不自由な形式上不備をしめつけていると知っている。
歌うどころか存在さえない。
若い頃は仕事して、きちんと金をもらった。
仕事は楽しいし、
名声と慈悲の区別もつかず、ふせぐことなく、
靴もなく、目もなし。
肺もなく、幸せもなし、芸術もなし。
あることもなく。
別れる相手もなく。
うるさく言うヤツもなく。
作る楽しさもなく。
すいすい飛ばす言葉もなく。
恐怖と間に合わせの詩が、
定職をいやがる自分の隠れ蓑と知らないではない。
永却の地域にあって千倍に拡大されている。
     mitomo

歩く


知らない街をただあてもなく歩いてみる。
なんだかワクワクするみたい。
ここはとても小さなかわいい街。
行き交う人に目をやれば、
なんだか不思議な顔をする。
笑いかける。
すると笑いが返って来る。
ここに暮らす日常の営みが見えるから、
歩くのはちょっと早い時間の昼間がいい。
どこか店に入って食べ物でも手に入れよう。
見つけた店には新鮮なものが色鮮やかに、
私に語りかけてくるような。
ひとつひとつに見とれてしまうパッケージのラベル。
歩き疲れたら道路脇に腰掛けて、
街の様子をうかがうとしよう。
興味を刺激する。
それを私は心の記録に残そうとする。
どんなものにでもそうだが、
私の心は感覚で良し悪しを判断する。
この街は私の乾いていた心を、
とてもうるおいあるものにしてくれる。
なんだか素敵だ。
私はニンマリと街角に立ち止まり、
じっくりと観察する。
そしてそれをポケットに入れる。
ここで見る、
懐かしき暖かさはなんだろう。
考えても浮かんでこない。
また歩く。
どこへ行ってもあるのだけれど、
人は変化することでエネルギーを発する。
ないものねだりのこの人間の本質。
ふらりふらり風にまかせて歩く。
これこそが、人間の生き甲斐。
楽しみなのだ。
   御供 2000/7/13 12/10/18

海は


昔から海は少しも変わっていない。
人間が船という乗り物で出会った以前と全く同じ海だ。
そして、平和と危険が裏腹なのも昔のままだ。
多くの愛する友も、
この危険な海に出かけて行く。
海が危険だとわかっていても、
これが俺の生き様だ。
だから、今日もこの海に出て行くわけだ。
   御供

言葉は


言葉は不思議なものだ。
落ち込んだり、
自分の道を見失ったりした時に、
ひとつの言葉で救われたり勇気づけられたりするから。
人がぽつりと言った言葉が波のように意識の中に広がり、
後の人生を決める。
知っているだけの言葉ではすまされない。
単純な言葉がふとタイミング良く出ると、
とてつもなく自己形成の基本となる。
気負いのない自分らしい言葉がすらすらと出るのは、
何かに不満を感じているときが多い。
ひとつの言葉が、
からからになった人の心に冷たい水のように染み渡る。
人生のいらいらをすべて解消してくれる。
言葉は自分自身に言い聞かせると、
不思議と自分体になる。
言葉をかけて自分の外を探すより、
その言葉の意味を自分の中に見つけて信じること。
言葉を信じてはいけない。
言葉に触れて立ち直ったわけじゃない。
自分の心と対話しながら、
発せられる言葉を書きつづける。
自己保存、自己弁明のために作り上げた言葉はとても不公平だ。
他の声に耳を傾けてみよう。
嘘のない言葉。
軽い次元で発せられている言葉。
意識もなく出て来る言葉。
格言としての言葉。
喜怒哀楽の言葉。
言葉はこんな風にいろいろある。
言葉を容易に使ってはいけない。
噛み砕いて使い、
そして書くものだ。
    御供 2000/12/25  12/11/2

創作


書く、描く、演じる、歌う。
それが創作ならなんでもいい。
物語を書く時は思考を中断せずに書き続けたい。
象徴や印象をつける小説なら鉛筆で書く。
ビートとは共感かな。
わからんが人生の可能に幻滅したのかもしれない。
生き方は個人の問題だと。
「型にはまれ」という考え方があり、
それは窮屈で非人間的な型だった時代。
自分なりの空間や繊細さに想像力持つことも許されていなかった時代。
雲が流れるのを眺めるのは大切だと考えることも許されなかった時代。
社会通念の方がおかしく思えた。
深い感情を無視することなど浅く思えた。
だから、いろいろなことを変えようとする動きが起こった。
この共感こそがビート的な考え方なんだ。
御供 2000/10/23

地球の今


今の隠された言葉を遮断し、
ひねくれた社会を指示するシステム。
私はきっぱりと放棄する。
ひな鳥が卵のからを自ら壊し、
放棄するように。
ボーダーの中の権力にすべての考え、
すべてのものを放棄する。
そして、知らん顔して人間が争っている。
生きる原理を記述する思考には、
決して到達しない。
全世界に公開もされない。
官僚政治システムで財政的に維持されてきたものが、
壊れ始めている。
選ばれている地位も、
有利にする富も、
もう架空なものになっている。
計りしれないほど偉大な永遠に再生的な宇宙の先験的な知的統合性によって、
これから生まれて来る人間に栄光の飛躍を期待する。
美しい地球が有続することを祈ろう。
御供  2005/1/13

旅をした


狂気とパラノイヤの渦巻く季節の中で、
奇妙な別れと出会いのドラマが繰り返される。
ビート・ジェネレーションは、
アメリカの繁栄とはうらはらにいくつもの未解決な問題をかかえている。
こんなアメリカだからこそ、
ジャック・ケルアックのニューヨークからサンフランシスコへ、
疾走する旅物語の「オン・ザ・ロード」が若者たちの心をとらえた。
夢中にさせたのだろう。
放浪する天使がヒップ・スターのようにあがめられたに違いない。
これからのアメリカを予期するとき、
こんなひとつの自由な旅ができること。
それ自体がヒーローの証しだったに違いない。
狂った天使はあえぎながら、詩を書き。
ルート66を走り抜けた。
若者ふたり、
さまよいながら愛を探して旅をした。
それこそがビートなのだ。
御供 2000/10/28

映画


映画はふたつの道を通って発達した。
ひとつはスペクタルとしてである。
ファンタス・マゴリアと同じく、
その目指すところは感覚的世界を絶対的に模造すること。
もうひとつは覗き見としてである。
こちらの領域では実生活に対する放逸で色情的な見方である。
それは鍵穴、
または色彩、
音も威嚇も必要な窓に似ている。
映画が最も関係が深いのは、
絵画でも文字でも芝居でもなく。
庶民的な娯楽。
漫画、
テェス、
トランプや、
タロット、
雑誌、
そして刺青などである。
映画こそ、
音、言葉、色、絵、
すべての要素を持つ、
総合芸術であるはずなのである。
御供 1999/2/27

現実の後ろに


アカデミーの言葉。
「詩はそれがいかにして作られるかを理解していない無知で愚かな人間たちによって攻撃される」
政治への言葉。
「詩は天使的なうわごとであって、人間が人間を殺すことについての下らない唯物論的奇行とは何の関係もない。個人のイマジネーションの秘密は、、、それは超感覚的で非言語的である」
この意識に関係がなく。
その罠にかかって天体の音楽を聞く場合を除いては、
この世界には無用である。
天体の音楽を拒むものは、
詩を拒む。
ブレイクやシュリーやキリストやブッタに唾を吐く者だ。
宇宙は新しい花である。
バラに対して戦いを望む者はそれを所有する。
運命は大きなうそをつく。
快活な創造者が永遠に自分の肉体の上で踊る。
朗読では自由な詩的出来事やハプニングよりも、
読むにふさわしい霊的な何かがある。
その場に溶け込んでゆく行為できる状態の方がいい。
誰よりも裸だったホイットマン。
その予言は今やまったく真実となった。
このすべての途方もない芝居。
都市の生活者にのしかかってきた、
ひたすら物質的なベアリング。
その行きつく果てはすでによく判っていると言っておく。
それは未来の奥深くまで積み重ねられ手を伸ばして行き、
生活に敵対する。
敵対するのと同じほどに生活の中に危険な侵入をもたらす。
精神の霊化。
無垢な良心。
本当の美。
絶対的で本来的な男らしさ及び女らしさに対して、
つまり全現代文明に対してひどく浸透してくるに違いない。
どんなに改良しようと無駄なことだ。
我々はその運命、、、、すべてのものが等価になってしまう運命。
その途上である。
物語の中でしか語られないような、
未来永却に救われぬ状態。
この現実社会において我々は突き進んでいくのだ。
民主主義の展望
御供

生きる詩人


私は人間たるがゆえに人間を愛する。
愚か者の仲間である。
だが、当たり前の愛がちょっぴりでもあれば、
愚かな人間が奇跡を起こせる。
そして、地球を救えると信じてる。
詩人の心を持っていれば、
一語も書くことなく詩人である。
秘められた十字路の脇にある確かなもの。
偉大な詩人はそれを書き、
人々の心の中に生き続ける。
肉体を通して、
カタチをとって私たちの間に現れる詩人の言葉は、
機会を必要としている。
あるきっかけで自分の部屋をもつようになったら、
思うことをそのまま書く自由を身につける。
共同の今から少し逃れて、
自分だけの詩を書く機会が到来する。
詩人は詩人であることに気づき、
たくさんの人の心にしみ込む詩を書くのだ。
こういった機会を得た詩人を文字を通して読み。
生き方を見て、
その内なる世界に共感を持つのだ。
詩を書いていく人間と、
詩の心を持った人間はつながり友となる。
未来の不可能や、
正しい道を歩くことが生きる。
とりあえず社会の中の「自分の部屋」を、
持つことからはじめることが大切。
人生は短い。
あまりにも短かすぎる。
ひとつのアイデアを実現するチャンスがあれば、
他の3つや4つのアイデアを捨ててもそのチャンスをつかむことだ。
いつまたチャンスにめぐりあえるかわからないのだから。
その中で、もし好き嫌いを言うことができたらいいと信じる。
人生はそれほどチャンスをつかむことが難しい。
話しや見ることだけの人間が多い中で、
すぐ行動に出る準備が必要だ。
人生のチャンスは今、
そして明日にもやって来るかもしれないのだから。
目を凝らして、
耳を傾けてしっかりとつかむことこそ、
人生に至福を持ち込める。
人間になる。
もしあなたがそうなりたいのなら、
近づいてくるチャンスを引き寄せることが大切だ。
御供  2000/7/12

私の詩


詩の中に自己の確立をした。
毎日書く、詩と散文の中にいつも私は自己を見つめ直す。
複雑な世界の中で人生の意味と目的を見つけようとしている。
創造することによって日々の生活の中に楽しみを見つけ直す。
私にはたくさんの夢があり、
たくさんの計画を企てていた。
新たなアートを確かに創造し続けることこそ、
私が生きていることへの探求。
身の引き締まるような静かな朝を迎える。
私は独りで孤独に耐えている。
そして何かを幻視したような覚醒をしている私。
かけがいのない朝の時間。
私の深いエモーション。
様々な文学的イメージをちりばめられた詩。
そして続く文字の流れの中に泳ぐ私。
かつてはヘッセやケルアックに夢中になり。
吟遊詩人のように旅を繰り返し、
アメリカに向かって声高らかに遠い思いを語る。
まるで何かに引かれるように旅の途上にいる。
旅先で多くの人と出会い。
いろいろなことを学ぶ。
それぞれの国の文化に触れる。
私がすべての人に言いたいのはお互いに思いやりを持ってほしいということ。
今最も大切なことは、
我々がお互いに刺激しあうこと。
この地球を奇麗にしていこうということ。
地球が破壊されて行くのに気づいて、
これから私たちは何かをしなければならないか。
経済的な発展だけを考えるとますます物質的になり、
公害をまきちらす。
この地球を守るために物質社会から、
精神の世界へと変化していくかなくてはいけないと思う。
みんながそれに気づくべきなんだ。
電気製品や自動車が大切なのか。
奇麗な自然や海が大切なのか。
私は私のいくつもの時間を通してメッセージを送る。
御供 2000/10/25

秋という日


いろいろなものが熟成される期間っていう感じのする秋の日。
社交的より内向的。
饒舌よりも沈黙を。
たまにはひとりで秋の夜長を過ごすことでリラックスする。
秋はスポーツと芸術の熟成期でもある。
ひとりでゆっくり本でも読んで知識を身につけたい。
自分のまわりをかたずけて、
快適な明日を迎えるための準備をしよう。
たまには友と会わなくたっていいじゃないか。
ひとりの時間を有意義に使って、
自分を高めるための考える時間を大切にしよう。
秋の日こそもってこいのそんな時期。
頭をクリアにして未来を見つめて、
よりよい人生を作り上げるために。
いろいろな計画を立てる時期にしたいものだ。
秋はじっとこれからのことを考える。
寒く厳しい冬へ向けて準備しよう。
御供  2000/10/9

解決がある


大都会の真ん中で同じ時間を共有している私たちは、
愛というやさしい衣を着ている。
青い惑星地球をキープすることを目的意識として考え。
愛と自立と信じる心の目を持って、
大きく深呼吸している。
きれいな空気をたくさん体に入れて、
エネルギーを蓄えて旅をする。
あてのない旅。
人はみな昔から旅が嫌いじゃない。
ディスカバリー・ワールド。
ボーダーのない地球を考えてみるがいい。
心に来る会話。
体験を語り、
友を良き方向へと導き、宇宙へと飛び出す。
勇気を持って地球を破壊することなく、
キープすることを祈ろう。
みんなに明日があるように、
目の前の問題にはかならず解決がある。
太陽はかならず昇るのだから。
御供 2000/11/23

誘惑者


たくさんの戸口の前で私は待ち続けた。
何人もの人たちの耳に、
私の詩を歌って聞かせた。
たくさんの人を至福の世界へ誘惑しようとした。
私の歌は世の中に対する心の詩である。
だから、私はそれを実行しなければならない。
そしてひとりでも多くの友を。
私の人生はこの詩の中に隠されている。
聞き手に伝わり至福の社会へと。
幻想は現実になることを信じて。
時に私は失望した手に不幸を握りしめ。
少しでも理解し合える友が欲しくて。
心から頑張って詩を書いている。
長いこと書き続けた詩のひとつが宙を舞って、
すべての人の心に届くまで。
私のこの声が果たして届くのだろうか。
やはり毎日書き続けることが必要だ。
私の時間のすべてを。
あとはなにもなく、
私の人生など台無しになってもいい。
ある日私はベットから悲しみのあまり立ち上がった。
そして、幸福を、
世界の平和を夢見てぐっすりと眠りについた。
私の快楽は世界の愛を伝承すること、
いつも孤独という言葉を引きずって。
ああ平和よ。
私の誘いを。
私は何も所有することを望まない。
どんな現実も夢を破壊しないでくれ。
私の詩の声を人々に伝えて欲しいんだ。
この世の中に響く笑いのような幸せを、
歓喜に満ちて抱いた夢を。
私の心に美しい花を。
すべての人の心に花を。
新しい奇麗な花が咲くことを祈ろう。
どんどんと変わって行く新しい世界に、
私の詩を投げかけよう。
自分のための詩、
そしてみんなの詩。
美しいリズムにのせて、
人々の心の中に誘惑の声を語りかけよう。
御供 1999/2/23

2010/08/30

平和


私は私の孤独な瞑想の中で、
未来のたよりを聞こうとしている。
私は耳を澄ましているが、
平和の声は聞こえてこない。
未来は沈黙を破って便りをくれるだろうか?
この地球はいつまで存在することができるのだろうか?
誰もの心の世界にポジティブな意見が確実に秘そんでいることを祈ろう。
この美しい青い惑星地球を未来の子供たちへ!
人間は誰でも自分探しの旅をしていることに気づくべきだ。
その旅は果てしのない、
限りなく続く人間形成の旅。
すべての人が願う。
裏切ることのできない平和への旅。
何とか生きているうちに1ミリでも自分に近づくことができたなら。
いや近づこうとするなら争いなんてできないはずさ。
すべての人が権力を守ることをしない。
人をうらやむことをしない。
愛と創造の旅をする時間を楽しむことを祈ろう。
やさしさや思いやりの中にリスペクトすること。
自分勝手に考えなければいいだけじゃないか。
残り少ない地球なんて考えたくない。
キープするパワーをみんなで共有しよう。
何をそんなに不安がっているんだい。
自分を信じて無駄なものを蓄えなければいいだけじゃないか。
便利になり過ぎた時代の甘やかされなけばいいだけじゃないか。
頭を使って少し考えれば平和は来る。
自分よがりの頭のいい官僚たちが、
もう少し正義に目覚めて欲しい。
政治家は国民のための政治をすればいいし、
戦争の恐怖を私たちに起こさせないで欲しい。
経済はどんなに良くなろうと、
人々の生活はいつになっても楽にならない。
子供たちは生まれる前から死を!
豊かな食べ物がいつ耐えるか?
エネルギーがいつ底をつくか?
わからないということを誰もが理解して、
生きるべきなんだ。
御供

幸せと不幸


幸せでない分だけが不幸だとは思わない。
『あの人の幸せが許せない』
と、言う人が許せない。
ニコニコ笑っている人が幸せとは限らない。
皆が幸せになればいいんだ。
不幸な人がいるから、
幸せな人がいるとは考えたくない。
皆が幸せになって不幸をなくせばいいじゃないか。
幸せが普通になる世界。
何もないけど希望がある。
とにかくそれだけあればどうにかなる。
堂々と見せられる幸せを持ちたい。
ビデオデッキが再生できる幸せ。
そう幸せをつかむんだ。
それは一日一日を充実させ、
すべてをしっかり生きること。
幸せを増やそう。
不幸なヤツを減らそう。
このふたつで100%をしめているわけじゃない。
みんなで良くなればいいじゃないか。
御供  2000/10/1

心なしかという


ふさいでいるのに意味なんかないのさ。
ちょっと体調が悪いだけなんだ。
心なしかふさぐのは、
健康のことをちょっと考えていただけさ。
健康じゃないと何もできない。
何もする気になれないとわかったからさ。
人間というものはちょっとしたことで、
上へ下へと揺れ動くものなんだ。
鉄人のように強い人間なんていないのさ。
弱虫なんかじゃない。
暴れ回っていて気分が乗らなくなってしまうこともあるのさ。
ちょっとした体調のフシンで変わってしまうものなのさ。
何もかも考えどうりにはいかないものさ。
そんな考えはないものと同じ。
心なしか。
心なしか。
生きるってことは心の方向に向かって、
一歩一歩進むしかないのさ。
だから、自分を信じてあせらずに、
少しづつ進もうじゃないか。
行きたいところ。
楽しいやから。
そして、自分が心なしか欲しているところに、
行くしかないのさ。
御供  2002/6/14

心の中を


見せろ、心の中を。
見せろ、人生を開いて。
そして、愛を見せろ。
憎しみを見せろ。
自分自身を見せろ。
どんな国か?
どんな帝国か?
見せろ、宇宙を。
見せろ、精神を。
見せろ、全世界を。
永遠なる魂を。
素晴らしい夢を。
輝かしい肉体を。
黄金の重い笑いを見せろ。
魔法を、
錬金術を堂々と見せろ。
見せろ、ワザを正しく。
そして、知恵を見せてくれ。
その大らかなやさしさと、
野生のような目を見せろ。
カメラのレンズの目を、映像を見せろ。
今までの角度を変えて、
人生を見せてくれ。
そのフィルターをかけた光を見せてくれ。
これからの未来に向けて、
すべてを見せろ。
見せてくれ。
光に写った自分を見るんだ。
御供  2004/10/10

必要なことは


生きるために必要なことは、
愛と創造の旅を続けることである。
人間同士が助け合い共に楽しい時間を共有すること。
私は思う。
多くのものは捨ててもいい、
必要なものは少ししかないと。
心から欲しいものを幾つか手にいれればいい。
むやみやたらに欲しがることの醜さを知った時、
一段階人間は大人になる。
自分だけが良くなることを考えるよりは、
みんなと一緒に良くなることを!
絶対ひとりよがりは良くないと思う。
必要なものを確かめて生きる。
必要なもの以上のものを欲しがっても、
それはエゴというもの。
自分に必要なものを問いかけながら生きていく。
心が叫ぶ声を聞こう。
その時はその声に逆らわず、
正しい判断の中に必要なものを手にいれよう。
それが人生にとって必要なことだから。
人間が生きていくのにどうしても必要なもの。
それを手に入れたら動かなくなってしまうかもしれない。
御供 2001/10/9

2010/08/29

ニューヨークにて


巨大なマンモス都市ニューヨークは、
静かなエナジーを秘めてひっそりと佇む。
ビルの16階の窓の外に広がるマンハッタン。
かつていろいろな移民が世界中から集まってきて、
人種を問わない大コミューンを形成した。
消費文明の先端をなすこの街は様々なアートがあり、
多種多様な音楽が存在する。
すべてのものがるつぼのように渦巻き。
感情というフラッシュがところどころで爆発している。
人々の魂を魅了してやまないこの街は、
最上と最低が存在し、
あらゆる人間の悪と善が拡大されている。
アップタウンからダウンタウンまで、
街角にはいろいろな匂いが香る。
そこには人間模様が日々刻々と移り変わっていく。
大きな街のビルの谷間に、
人間がエネルギッシュに自己表現。
こんなにまでパワーを蓄えた街は他にない。
自己主張しなければ生きている証しすら見出せない。
ひとつの形にはめることもない。
ひとつの形にはまることもしらない。
この街に来て活躍する人の顔は輝いて見え、
笑顔の素敵な瞬間がまばゆく見え隠れする。
ここにやって来る人たちの誰もが思うことは成功。
そしてリッチ&ゴージャス。
何かを目指して、
一流という言葉にかりたてられ、パワーアップする。
このNY NY。
街角では何が起ころか予想もつかない。
ハプニングがつきない。
だからこそ毎日がわくわくする。
マンハッタンという小さなエリアに、
大きく造られた摩天楼というビル。
人間の歴史の中でこれほどまでに人間が集中したところがあっただろうか?
すべての人工的なものが揃って、
競い合っているこの街の持つエネルギーは驚くほどだ。
秘められたパワーは数え知れない。
私もこの街をスルーして、また訪れる。
人間として生まれて何かをやろうとした時、
ここは見なくてはならない。
何かがある街なのだ。
また来てしまった。
御供  2001/6/2

2010/08/28

J・ケルアックに捧げる



<コーラス224>


全能の神よ。
われらは何をなすべきか?
われらは何をすべきか?
メキシコの葬儀屋で尊大な嘆きやと解答者が歌ってる。
するとぴしゃりと一声。
頭上の雲がひびく。
『すべてはなされた』
上には『何もなく』というのと同様。
月光の数、何がなされたのか?
すべてが誰も一様に祝福された。
すべてがなされたって?
屋敷は建てられ、火宅の中で老いて死んだのか?
鈴の音から、鈴の音へ。
香水の手によって伝えられた。
『すべてはなされた』
『ゆえにいにしえ』
やすらかに!
<コーラス225>
眠っている間のあのひどく心地好い虚無には、
決まった場所もないのに皆に与えられたという。
内なる聖を求めて!
地理圏をあちらこちらと休みない精神の探求を続ける。
暗がりで顔をしかめ、
愚かな自分を諭す。
自分、何にせよ現実というものがあると。
信じるふりをしてみるのだ。
中でもとりわけ人を鍛え上げる現実というやつを。
荒野の試練。
スーパーマンの孤独。
星のまたたく夜。
雲ひとつない午後。
せまりくる壁のない、内なる眩しい天国の外には、
うれいも迷いもない。
永続する悟りの恍惚よ。
黄金の空よ。
私は迷ってしまった。
<コーラス226>
失うべき道などない。
道があるとすれば、
太陽が地を照らし、私は西へキミは東へ行く。
本物の太陽が追いかけるのはどっちだ。
本物が姿を借りているのはどっちだ。
どちらも本物ではないのだから。
唯一の本物の道などない。
太陽だって、二倍に。
また、百万倍に増幅された妄想の道。
道がなければ神もない。
達磨もない。
概念もない。
ただひとつの恍惚も心に満たすべきは、
道とはなにもない道だという想念。
すべては同じ道。
この啓蒙的な詩を書いたら、
次に私は何をするべきか?
自己の恍惚という魔法のじゅうたんに乗るか。
黒塗りのバスが走り去った後、
取り残された子供たちのように死ぬのを待つことにするか。
それとも?
<コーラス227>
くそ、みじめだ。
ひどいことになった。
無慈悲にもただ最悪の事態を持っているだけ。
どうにもならない、希望もない。
苦悩という概念が、
私の不自由な形式上不備をしめつけていると知っている。
歌うどころか存在さえない。
若い頃は仕事して、きちんと金をもらった。
仕事は楽しいし、
名声と慈悲の区別もつかず、ふせぐことなく、
靴もなく、目もなし。
肺もなく、幸せもなし、芸術もなし。
あることもなく。
別れる相手もなく。
うるさく言うヤツもなく。
作る楽しさもなく。
すいすい飛ばす言葉もなく。
恐怖と間に合わせの詩が、
定職をいやがる自分の隠れ蓑と知らないではない。
永却の地域にあって千倍に拡大されて

メッセンジャーの


メッセンジヤーとはとてもいい言葉だ。
今なお未知で不可解なことをひとつひとつ解き明かし、
次なる時代へと連れて行ってくれるメッセンジャー。
大いなる水先案内人。
いつの時代でも時代を味方に、
とても楽しく、時代という波に乗る。
サーファーと呼ばれるメッセンジァーもいる。
メッセンジャーは時間という最も大切な神様の贈り物を心に抱いている。
四次元からやって来た宇宙人のよう。
遊びというパスポートを持った地球市民であり、
心には耐光性をもったメッセンジャー。
音という粒子を浴びて、光の世界に向かって!
時間という小舟に乗って、その小舟を見事にあやつる。
人間にとってなにが一番大切か?
という、天の声を運んで来てくれる。
私たちの住む地球には、
多くのメッセージが届けられる。
そのメッセージは破壊されてゆくものをKEEPする、
パワーとなって生まれて来る。
この丸い美しい青い惑星地球を子供たちへ!
すべての生あるモノに、
その平和な心が来ることを祈ろう!
御供

勘違い


生きていると楽しいことばかりじゃないさ。
思ってもいないことを口ばしる時、
人間は反省する。
時間の中に孤独を感じる。
生きていることに嫌悪を抱く。
だけど、考える角度を少し変えればいい。
また楽しいと感じるだろう。
すべての環境が感情を引き出す。
人間の中に不安が芽生える時、
勘違いが生じる。
ひとりひとりの中に意志が現れ、
互いに方向を変える。
勘違いはいつもの日常に起きる。
仲のいい間に限ってよく起きる。
ちょっと安心していると起きる。
こんな考え方をするヤツもいるんだと、
疑ってしまうことがある。
人間はいつも自分のことを中心に考えてしまう。
心の中をよみあえはしない。
静かに考えてみればわかるはずなのだが。
誰もがみんな知らんふり。
みな自分中心に地球が回っていると勘違いする。
人間同士が自分の立場のため、
傷つけあったり、
戦ったりすることをヤメなければいけない。
戦争はいつの時代もいけないことなのだ。
本当に人間が平等で、
本当に人間が平和に生きられる時代が来ることを祈ろう。
御供

年を


何と不思議な奇妙なことだろう。
髪には白色が目立つようになり、
顔には皺が刻みこまれ、
茶色いはんてんができる。
そうして、眠くなり、重くなり、
体は動くことを知らない。
やがて静かに真剣に、
今までの自分がうそのようになる。
若い頃の写真と見比べる。
人間の細胞は7年に一度生まれ変わるらしい。
それで7年おきにこうも変わっていくのだろうか。
朝から夕暮れにかけて疲労が、
ビルの谷間の間の風が居座る。
それは言葉のない音の別れの歌。
なおもしばらくは忘れようとして、
でも居座り続ける。
何かわからないものが。
それからしばらくは色が失せて、
また思い出す。
疲れたようにめくるめく来る時間。
古い傷が体を痛めつけ、
古い喜びがあざやかによみがえる。
もう一度おののきながら、燃え上がり。
若い頃の自分と、
今の自分の境界をハッキリと写し出す。
やすらかにいつまでも夢見ていたい。
なおひととき考え、
考え込んでいる自分。
内気でそっとかがみ込んで行く。
返してくれるなら、返して欲しい。
あの頃は、今のことなんて知りもしなかった。
まわりに目をやっても考えもしなかった。
それは生きるのに充分に夢中で、
先のことなど考えもしなかった。
ああ、このまま終わらせないでくれ。
もう少し考える時間が欲しい。
信じたくないのだ。
でも現実だと早く知った方がいいのかもしれない。
年を重ねて見えてくるものもある。
老いが天使の翼だと考えもしたけど、
天使は私ではない。
何事も悟っていたと思っていたけど、
考えることから逃げていたのかもしれない。
すべてをのみこんで今を生きる。
実はそう悟った自分が、
ワクワク楽しくなることだって知っていた。
いろいろなことをやりすぎて、
ひとつの固まりになってしまっただけ。
細かくヒモとけば、
もうこれ以上やることも言い残すこともない。
これからのことをしっかり頭に入れ込んでいこう。
7年後をゆっくりと正しく生きて行く。
若い頃も今も同じ心で、
信じていたものを持ち続ければいいだけさ。
御供

眠れること


人間の人生の3分の1は眠りの中にある。
幼い頃は本当によく寝た。
歳をとると共に寝る時間が短くなる。
でも自分の寝たい時に寝て、起きたい時に起きる。
当たり前のことかも知れないが、
一般からみれば、とても幸せと言えるんじゃないかな。
寝たくても眠れず、
医者からもらった薬を飲んで眠りにつくヤツもいる。
それは少し医療権力の中に引き込まれた人間たち。
医者からもらった薬ほど怖いものはない。
酒もそうである。
医者に通って処方され手に入れる薬。
国民健康保険で3割負担でもらうあれ。
合法的な薬ほど怖いものはない。
常識的社会人はみなその薬を信じてる。
信じるのはいいが、信じすぎるのはどうかと思う。
少しでも医者を信じられなければ、
病気は悪化する。
とどのつまりは薬にたより、薬ずけ。
そして死に向かって早足で歩いてる。
自分自身の体は一番自分がわかってる。
医者からもらった薬は、
何かの処方に会わせて必ずデザインされている。
精神病の薬については特に言えるんじゃないかな。
精神というやわらかいものを侵されている人は認めないかもしれないが。
自分のどこがどうなっているのか認めない。
一方通行で、自分のことだけ話だす。
それも同じことをなんどもなんども繰り返し。
相手が真剣に聞いているにもかかわらず、
まったくの無視。
ただ自分の過去を、
過去のトラウマをああでもないと話すだけ。
自分に都合のいいように解釈してアレンジして話すだけ。
それも楽しければいい、
ほとんどと言っていいくらい聞きたくもないことばかり。
誰かを悪者にして話すだけ。
自分勝手に抽象する。
精神を病む人は、
これからの社会にますます増えるに違いない。
人間に嫌いなヤツなんていない。
相手が立場を守らなければ、
自分の意見だけを押し付けてくるなら、
その忌まわしい抑圧にはたえられない。
問題といったって、
そんなに深い理由があるわけじゃない。
狭い社会のルールを誰かが押し付けているだけじゃないか。
私は何につけても意見を持っている。
無意識に判断した私流の意見でしかないかもしれないが、
大きな声に出して言える嘘のないこと。
相手から誤解をされることがしばしばある。
私の良しと思ったことに、
社会のルールが歯止めをかける。
決して何も変わりはしないのに。
ルールなんてものは、
すべての人間にあてはまるものじゃない。
気にしないで眠ろう。
この週末はゆっくり寝よう。
H.MITOMO

50歳になって


さあ、始動開始。
といったところだがこの寒さ。
つい風邪をこじらせてしまい。
あっというまに10日過ぎてしまう。
冬もたけなわで、
外を見ても停まったまま動いているところなどないのでは。
お金を稼ごうにも何から始めたらいいのか?
仕事が始まらない。
受け身であったらダメだ。
能動的に動くには、
どこをどう動いけばいいのか?
皆目検討がつかない。
そこで、良く言われるように、
「家宝は寝て待て!」
何か動きがあったら、
すっと参加してしまうということになった。
どこからどう仕事が来るか解らないから、
いちおうたくさんの人に会ってアピールだけはしておこう。
そして出来ることから確実にやっていこう。
そうすれば、神様は見ていて、
何か私にできることを授けてくれるかもしれない。
神様お願い仕事が欲しい。
お金が欲しい。
たくさん稼げる仕事が欲しい。
御供

ある日


今、6月2日PM2:00代官山の西郷山公園にいる。
何という時の流れを感じることだろう。
私がよくここに通ったのは20年前。
代官山の駅前に住み、
時間を見つけては散歩に来たものだ。
見える景色はあのときのままだ。
流れる時代の空気と、
そこにいる人々の目はどこはかとなく変わっている。
どこが変わっているのかは解らない。
変わっていないのかもしれない。
でも、このやるせなさにも似た、
このけだるさはいったい何だろう。
誰もがハッピーな顔をしていない。
草に戯れる若いカップルさえも、何故か?
真剣にカメラを向こうにむけている人。
隣で本を読んでいる若者。
通り過ぎる女の人。
考えこむ老人。
何が変わって、何が変わっていないのか?
近くに見えるよく入った公衆トイレは、
以前より奇麗だ。
入口には洒落たカフェさえできている。
また女の子が二人通り過ぎた。
ちょっと余裕を感じさせる歩き方。
中年の男の人が上半身ハダカで、
若い女の子が水のボトルを片手に。
左側では草刈りをする作業の人がいて、
手入れに余念がない。
この公園は前よりも奇麗で立派になった。
でもそこに集う人々の顔は何故か暗い。
笑い声も聞こえてこない。
全体的に疲れた感じだ。
朝のニュースでアメリカの大手車会社のGMの倒産を報じた。
失業者が増え経済はますます悪化するという。
その余波が日本の東京にも影響しているのは事実だ。
先ほど昼を食べた西麻布のモンスーン・レストランは元気だが、
空元気のような気がしてならない。
都会人は何を楽しみに、
何に向かって歩いているのか?
その目標は定まっているのか?
今、二人の若いカップルが通り過ぎた。
女の子はとても日本人離れしたスタイル、
アニマル・プリントのTシャツを着て細身のジーンズ。
今度は色っぽい人妻が犬をかかえて通り過ぎた。
泣きもしないおとなしいあの犬は幸せなのだろうか?
解らない。
解らないづくしだ。
人の楽しみはそれぞれ違う。
楽しみがなかったら人は生きていけないだろう。
好きなモノを手にする幸せ、
好きな人と一緒にいる幸せ。
愛することの幸せ。
愛はどこへ行った。
愛は風に飛ばされて帰る道を忘れたのだろうか?
解らない。
でも、小さな花を見て幸せだと感じる一瞬がある。
この一瞬を生きることが大切だ。
h.mitomo

やさしさと勘違い


いつもいる友達、
もうなれあいのようになっている。
毎日会っていても、何も感じない。
友達だからこそ、自由にふるまう。
少しくらいの失礼だったらいい。
いつものことだからと、
何も気にしない私の心の中。
でも、角度を変えて見れば、
積み重なる失礼はどういうものだろう。
しかも、年下の友が、
自分のことにかまけて、私を侮辱する。
なんと甘えていることだろう。
自分は今少し、楽ですからと、
なんと悪ぶれもなく批判する。
まわりのみなを利用する心。
その友は考えているのだろう。
外国での生活が永かったため、
うぬぼれているのではないか。
東京で一生懸命やっている人に対して、
利口でもないくせにとバカにする。
自分の生活もままならないのに、
人を利用しバカにする。
自分だけは英語ができるからといって、
優越感にひたる。
自分は兎小屋に住んでいてくせに。
理論ばかりをぶちまけて、
自分は格好いいんだとバカにする。
暗い性格でひとり立ちもしていないのに。
すぐに人のことを落とし入れ、
たいそうな文を書いて来る。
日本語の漢字もろくに書けないくせに。
自分が一番だとケチなヤツ。
若い頃、がむしゃらにお金に困ったことは解るよ。
でも、それを知りながら女の子とつきあっておきながら、
みえみえに尻尾を振っていたじゃないか。
少しコネクションができると、
弱い女の子に手を挙げ、暴力に走るヤツ。
自分はケチな人間さと知りながら、
芸術家なんだとうそぶくヤツ。
もっと人のことを敬え。
そして、恩を感じろ。
社会をあざむくな。
少し形になったからってえばるな。
他の人を踏み台にして、
用済みになれば悪口をいうな。
ひとりで立派に育ったわけじゃない。
もっとまわりの人の気を使え。
面と向かって言えよ。
女の腐ったようなヤツだ。
他人の気持ちになって考えてみろよ。
御供

探しているもの


僕が探しているもの。
それは真実。
僕が欲するもの。
それは知りたいという思い。
WHY,WHAT,WHERE,HOW,,,,,.
それがいつも僕の中で渦巻いている。
僕は見つめる意識の中で、
現実の中に事実はあり、
日現実の中に真実は存在する。
僕は真実を知りたいんだ。
だから、非現実の世界に入り込む。
常識が正しいとは限らないし、
非常識が間違っているとも限らない。
ご都合主義の賜物。
我、狂気を持って遊ぶ常識人。
忙しすぎです。
脳が休まない。
—ケッケー
TO MITOMO

パーティ


この巨大都市東京の中で旅しよう。
出会いを求めて。
人間の住む森で肌のぬくもりを、
味わいたくてゆっくりと。
時の船に乗って旅しよう。
みなこの大都会の片隅で精一杯生きている。
選挙に行かないわたしだが、
誰よりも平和を願っている。
今日のカンバセーションラウンジ「SUNSEX」=耐光性は、
都市の真ん中中目黒にある。
築80年あまりたっている元軍事工場。
そこに遊びたいスケーターのために、
ランページに作ってしまった。
戦争=遊び+平和。
こんな大都会のオアシスをみんなに見てもらいたい。
ここはとても気持ちのいいところ。
音も回るし、
風の流れが、たぶん昔に比べたら良くなったんだろう。
それってとても深い意味があると思う。
昼の2時くらいからゆっくりと、
集まって会話をして欲しい。
出会いというダイヤモンドを探して欲しい。
大都会という人間の森に住んでいるんだったら、
ゆっくりとたっぷりと。
肌のぬくもりを味わいたいね。
私がこの「GEOGRTH」を見た時、
この空気をみんなに感じてもらいたい。
だから、パーティ。
ただ、それだけのカンバセーションラウンジ「SUNSEX」
なのだ。
御供