2010/06/30

イサム・ノグチ


宿命の越境者。
夢を追い続けた巨人の生涯!
母の国アメリカ。
父の国日本。
枢機な運命と歴史の嵐の隙間で、
ミケランジェロの再来と謳われた少年の過酷な旅がはじまる。
父子の別れ。
戦争。
そして、栄光と孤独。
波乱万丈の84年を生き抜ける。
舞台装置。
商業デザイン。
庭園。
遊園地。
例外的な多様さ。
水銀的=手強い。
フラーは創造をかき立てる偉大な教師だった。
イサム=フラー=EARTH。
テトラヘドロン=6つの辺と4つの角で作られた、
4つの窓からなる宇宙の最小構造。
オクタヘドロン=8つの等領地と6つの頂点を持つ三角形システム。
人に寛容に思いやりをかけ、
決して礼と教養を失ってはならない。
そう考えていたイサムは自分の思想の中にいた。
「パブリック・アート」
彫刻の創造性と存在意味において。
個人での所有は公共の場で人々が楽しむことに比べると、
意味がはるかに希薄だ。
この本来の目的なくして、
彫刻という手段による創造には疑問符がつく。
     御供      11/12/20

日々と


地に足をついていない一日が過ぎていく。
あたたかな休みの日。
なにするでなく、
街のあちこちを散策してみる。
何を期待するでなく、
ぶらりぶらりと人やらファッションを見てまわる。
移りゆく時代。
若いパワーを知り、
経済のゆくへを心配してみる。
かと思うと、
のんびりとファッションをやっているものを発見する。
どちらが豊かなことだろうと比べるみると、
変わらぬ豊かさをとるような私。
何を基準に計っているのかわからない。
精神性か?
物質性か?
見えにくいものの中にこそ、
本質があると知っている。
自分が素直に感じるがままに判断することの正しさ。
何を決めるのもいつも自分なのだと決める。
いろいろな要素が耳からインプットされる。
それが広がっていく。
目の前にした時、
インフォメーションは消える。
自分の意志が見える。
すべてがそこで白紙になり、
新たな見解が浮かぶ。
それがいつも正しい。
それ以外に頼るものはない。
この見解こそ、一番正しいと生きている。
移ろう街をそぞろ歩いて気づき、
発見し、確かなものになっていく。
私の日々と見解。
   御供 2001/5/14  11/12/20

間違い


人はちょっとのことで腹を立ててしまう。
どうしようもない時、
その場を立ち去るのがいい。
何を、もう何をやっても同じように怒ってしまう。
人はどうして意志の疎通なくして間違うのか。
もう少し、じっくり話し合えばいいと思うのだが。
自分もすごく気の短い方だ。
怒ってしまってはいけないと思う。
この地球上に生まれて生活して、
人間同士が間違いによって言い合ってもつまらない。
何の特にはならないのではないか。
あたふたしている。
こんなことなんてあるんだろうか。
もう少し気を長く持つことに努めよう。
間違いだらけの人生でそんなに怒ってどこへ行く。
じっくりと足踏みしていよう。
人と人とが仲良くなれるように努力しよう。
間違いをなくそう。
笑って会話をすることを努めよう。
私は私で私の字を書いた。
みんな仲良くできる日が来ることを夢見て!
  御供 2001/5/26  11/12/20

ビートとは


ビートの基本精神は共感だ。
やさしさと思いやり。
悪意、恐れ、敲対心。
差別意識、競争心。
鎧で心をガチガチにした人々が築いてきたものが、
足元から砂のように崩れ去ろうとしている。
今、私たちはもう一度、
自由で裸な王の物語。
詩、伝説に目を向けるべきだ。
彼らがそれぞれ手にしていた裸電球が豊かに点滅する。
有機交流電流となって次の世代に多くのことを、
メッセージしたように。
今もなおそこには次の世代の世紀に向かう。
新しいハート・ビートのダッシュ・ボードがある。
愛を込めて!
 御供  2001/3/17 11/12/20

人の流れ


人生に決まりきったカタチなどない。
人生は偶然で不平等で気まぐれなものだ。
カタチは決めなくていい。
肩書きなんてなくていい。
何ものにもとらわれず執着せず、
流れるように生きて行きたい。
まるで波に乗るように。
真っすぐに漂っていたい。
風の吹くまま。
気の向くまま。
  御供 2001/1/17 11/12/20

旅をする前に


5月になったら日本を脱出しよう。
6月の梅雨時は日本にいたくない。
もっと天気のいいところに行きたい。
今度の旅は長くなるかもしれない。
きっと人生の岐路に立つことになるだろう。
前から考えていた長期の旅。
この旅を前にしていろいろなことを考えなくてはいけない。
私の旅はきっといい方向へと向かうだろう。
きっと、、、、、、。

  御供  2002/4/10

何かがある


この街のパワーは何だろう。
マンハッタンを少し離れたブルックリン・ウィリアムズバーグ。
この街の明るさに秘そんでいるパワー。
この街の脇には川が流れ、
人々のクリエィティブに静かなるエネルギーを与える。
川の流れ、豊かなる川の流れを見ていると、
この水のたどり着く所を想像する。
花開く一輪の花のように開花を待っているようだ。
私は思う。
人間の住む街というものがいかに広がり、
その中に実りをもたらそうしているか。
人間同士の相乗効果によるものに違いない。
街をつくるのは人間だ。
  御供 2002/4/24

何年か過ぎて


人が通り過ぎる時間の中で、
スローモーションのコマ送りのような時間の固まりがある。
いつも同じ早さではないって考えるよ。
何年か過ぎてはっきりすることもある。
でも今が大切。
今を生きたけりゃ、動くことさ。
時間は待ってはくれないのだから。
自分は人生の過渡期に立っている。
今やらなかったら、
きっと手遅れになってしまうに違いない。
実り多き人生にするためにも立ち上がろう。
はじめは時がすべてを解決してくれると考えていたよ。
でも、繰り返される不条理の中で、
同じことをやったってつまらない。
何年か経ったら、笑っていたい。
死んだように生まれて来る日々よ、さようなら。
私は私の時間を心に抱いて生きて行きたい。
幸せになりたかったら、
今を幸せだと感じとることだよ。
救いだそうとしても、救いだせないもどかしさ。
自分が気づかなければダメなんだ。
ひとりよがりがどんなにみじめなものか、
わかりたいのかい。
いつまでも甘えていたって、
ぼろぼろになるだけだよ。
もう一度考えてごらん。
今を生きるということが、どんなことか。
わかっているんだったら、
信念を持ってやりこなそう。
足をひっぱりあうのは、もうよそう。
私の中で何かが変わり出している。
マイナスを切り捨ててプラス思考の人間になる。
迷ったりはしない。
人間なんてみな完璧じゃない。
私は私の愚かさの中で、
悩み、あえぎ、苦しみ、無力さを感じる。
角度を変えて、この流れを違う方向にもっていく。
私は私の心の中で、
鬼の心でその作業をしなくてはいけない。
勇気は幾度となく繰り返される中で、
どんどんと膨らんでいるようだ。
  御供 2000/12/5

再会


風が吹いて来て目の前でおだやかになった時、
確かに何かからの祝福を感じた。
ふと気がついたリズム。
その音を出しているキミと私は出会って間もないけれど、
確かに感じた再会。
はるか遠い場所と人。
何かをつなぐ、
このブリッジ・バビロン。
確かに感じた再会。
   御供

地球白書


これからの地球を考えると不安を感じる。
みな同じことだろう。
地球白書なる言葉の響き。
こんな言葉に引かれて文字を書き始める。
何も次の文字が出てこない。
どうしてなのか?
  御供  2001/1/4

旅へ


海が壁をノックする。
小さな丸い窓の中の夜が青い。
そして、私を遠い海の彼方へと連れて行く。
いくつもの海を越えたら、
私の落ち着く場所があるのだろう。
友の住む平和な国。
暖かく私を迎えてくれる国は、
この地球上にあるのだろうか?
赤道も越え、海は果てしなく続く。
また向こうに大陸が見えて来た。
その緑の生い茂る豊かな大陸は、
本当に私の安住の地であるのだろうか。
ひとつの大陸にはいくつもの文明が育み、
豊かな実りを持っている。
そしてやさしい風が吹いているところ。
草木はやさしく語りかけ、
私はその草木に愛される。
この瞬間が、私を安住へと誘う。
人間の欲している。
安住の地。
  御供  2000/9/19

時間のギャップ


人生を生きていると、
時間を経て再び会う人がいる。
昔、机を並べ、
悪さをしていた頃の旧友だ。
再び会ってみると、
深い時間の亀裂の中で生きる方向が変わっている。
そりぁ、いつ会ったって同じ方向を向いているヤツもいるさ。
だが中にはもうオヤジになりさがっているヤツもいる。
そういうヤツと何を話したって同じこと。
時間のギャップは生き方すら変えてしまうもの。
もともとそうだったのだろうが、
わからなかっただけなんだ。
心の扉を開いて飛びこんでいっても、
もうどうしようもない壁ができている。
深く話すことすらできない。
時間、いやギャップ。
そうどちらでもいいことさ。
明日は明日の風が吹くのだから。
常に生きてるって感じられること。
ゴルフをやって、カードでお金を払って。
若い女の子を相手におやじジョークを言う。
こんなことでどうする。
時間のギャップを感じないヤツと会おう。
 御供 2004/10/10


木は誰にも気がねせずに、
葉を茂らし、
花を咲かせ、
実を落とし、
天を目指す。
年ごとに年輪を加えながら驚く程長生きだ。
人間が死んだ後でも、
遠い未来を見てしまう。
やっと、枯れていく時を私は知らない。
途方もなく地球を見ている。
ゆめゆめ油断をしてはならない。
その根は私たちの魂を、
しっかり掴んで離さない。
その若者はきらめく陽光を浴びて、
私たちをうっとりさせる。
その幹は無。
みな無表情で、
どんな暴君の歴史にも知らん顔。
そして木はいつの世にも旅人を包み、
極楽を夢見させる。
木はその緑で私の目を彼方へと遊ばせる。
大きく広げた枝で、
私たちの騒がしい未来を抱き寄せる。
木は葉のささやきで、
私の耳に永遠の幸福を与えてくれる。
木は誰もあがめられない迷惑者だから。
木は人よりもずっと神に近いのだ。
私たちは木を大切にして、
木に祈らなければならない。
 御供 2004/11/21 11/12/20

2010/06/29

独りで


人は誰も独りで生まれてきたわけじゃない。
『母のない子なんていないのだから』
だから、独りで死ねないはず。
過去と未来を通り、
今という現在に生きる。
人は誰でも自由に心を持っている。
だけど、誰でも自由を失うことだけ恐れている。
目覚めることはあるのさ。
何度でも。
私は今も詩を書く。
どんなに世界がダウンしようとも、
私は詩を書き続ける。
苦しいことがあったって、
恋に破れたって、
たとえ社会が変わろうとも、
地球がある限り、私は書き続ける。
この不確かな詩というものを書き続ける。
それが私のできること。
私が私である限り、
私は文字というものを遊んで詩を書く。
言葉というものを並べ替えて詩を書く。
これが私にとって唯一できること。
私は社会を少しでも救えることを祈りながら。
  御供 2004/11/21  11/12/20
PS:これで500個をアップした。なんだか信じられないがこれからも続くだろう、私の独り言。

現代というもの


何もかもが加速度的にスピードを増して行く。
情報というものが反乱し、
殺伐とした大都会。
こんなはずじゃなかったんだと思う。
権力のいいなりになんてならない。
集中的に人口は片寄って集まる。
あまりにも便利になりすぎて、
動くことをしない。
それじゃだめだ。
今まで通りの生活の中、
人と人の会話をしていかなくちゃだめだ。
現代は正か悪かが見分けにくい時代。
気づいた時にはもう遅い。
無の中に真があり、
真の中に無がある。
すれ違った人間同士挨拶も交わさず、
お互いに知らん振り。
何でもっと思いやりを持てないか。
こんなにも人間が多すぎて麻痺しているのか。
個人個人がやわらかい精神というものを犯されている。
精神に異常をきたしているにも気づかない現代人。
ひとりひとりの心というものを豊かに持ちたい。
みんなで良くなればいいことじゃないか。
重箱の隅をつつくようなことをして傷つけあっている。
もっとリスペクト・マインドを持つがいい。
何をしたってたいしたことはないよ。
自分だけ良くなることを考えればいいことじゃないか。
壊れゆく美しい青い惑星地球を、
キープすることを真剣に考えて欲しい。
ちょっと頭がいいからって、
権力を振り回して弱い者いじめをする官僚ども、
もっと賢くなってくれ。
人を傷つけたら自分も傷つくことに気づいて欲しい。
世の中そんなに都合よくできてはいないよ。
現代というもの。
もっともっと楽しんで美しい人生を生きたらいいんだ。
未来に愛を込めて!
 御供  2002/2/26 2005/2/4 11/12/20

生まれて


人間はみな生まれてから死ぬまでの一生の間、
自分は何故生まれて来たのか、何のために地球に?
本当の生き方というものがあるのか。
悩みはつきない。
だけどここにいる。
どうしてと考えるよりここにいるという事実。
ここにいる事実。
だから生きなければならない。
どうやって生きるかは、
自然に自分が選んでいる。
だから、今がある。
人間らしく、
人間らしく生きたい。
 御供  2004/3/20 11/12/21
PS:シアトルにあるジミヘンの墓の写真

社会で


現実の社会の中で生きる。
ビデオの中で生きる。
CDの中で生きる。
書物の中で生きる。
あるいはテレビの中で生きる。
新聞の中で生きる。
この社会で自分が自分であるべき中で生きる。
社会という壁越しに愛を確かめる後ろめたさ。
社会と共存して生きたいと思いながら、
愛し愛されたいと頭の中で生きる。
同じことを繰り返して、
最後と考えてしまう。
社会はそれを待っているかのよう。
社会は社会の財産を持っていなかった。
社会は新しい壁をボーダーの変わりに、
別のもので離している。
遠い宇宙を漂う気持ちになるけれど仕方ない。
人間社会で考える。
銀河系社会で考える。
アンドロメダの流れ星も、
今日もふっと消える。
人間も消えて行くだろう。
しかし、この社会で人間として人間らしく生きている。
死ぬ時は笑って死にたい。
いい仲間たちとずっと生きていたい。
 御供 2000/12/21 11/12/21

私は詩を書く


毎日こうやって詩を書くのが私の日課。
落書き帳にむかいフローアップする言葉を、
萌芽のままの状態でいっきに書く。
私の詩は嘘のない真実の言葉。
大都会の東京で、
ただ言葉に中毒しているだけかもしれない。
こうやって書いている時が、
私はいちばん癒される。
安心する時間の中にいる。
私の詩は上手くないかもしれないが、
社会に投げかけた本根の詩。
何故詩を書くのか、
自分自身ですらわからない。
心の中をかきまわしてメッセージを投げかけて、
少しでも良い社会になればいい。
ある時はひっそりとしている東京の街を嘆いたり。
心の声を誰かに聞いてもらいたくて。
寂しいだけかもしれない。
私は詩を書かずにはいられない。
私は詩を書く。
だから毎日書いている。
私の無言の声を聞いてくれないか。
空気を通して、
風によって運ばれる私の声を聞いてくれないか。
私の熱い心の声を耳を澄ませて聞いてみないか。
とても美しいメロディのように聞こえるだろ。
私の無言の情熱がキミの心に届くといいね。
きっと解ってもらえるはずだから。
解って欲しいから、
私は今日も詩を書く。
 御供  2000/11/22   11/12/21

2010/06/28

イーター=EATER


壊れていく日本。
あらかじめ失われた子供たち。
みんなどこへ行こうとしているのか?
そんな見えない時代の中でも、
揺るぎない自分を持った人たちがいる。
そうどんな時代でも、
時代に飲み込まれない強固な意志を持つ人がいる。
カウンター・カルチャー。
アンダー・グランド・ピープル。
パンク、インデペンデント。
オルタナティブ。
呼び方は様々だが、
彼らには一貫した流れが確かに存在する。
それは異端の流れのように見える。
実は淀んだ大河に導かれる、
隠れた本流にほかならない。
そして、その深くはさらに先へと続いている。
DEEP STREAN。
60年代から90年代、
そして21世紀へ。
  御供  2000/9/27  11/12/21

サブ・カルチャー


モッズ、ロッカーズ、スキンヘッド、パンク、、、。
彼らが持っている表現力には豊かな形式があり心引かれる。
異端児として追放され非難されたが認められる。
ある時は公秩序への脅威とされたことさえある。
ある時は無害な道化者として扱われた。
安全ピンや先の尖った靴、
オートバイなど。
ごくありふれたものの中に共通点を持っている。
これらはありふれてはいるが象徴的な形を持っている。
自己に課した追放の印だ。
作用、反作用の弁証法を再生させ、
これらの事柄の意義を解消する努力が必要だ。
サブ・カルチャーの表面はどうであれ、
二重の意味を持つ、日常品で作り上げたスタイル。
その中に反映が見える。
社会に対して警告し、
不自然な笑いの中に真の異なるものがある。
その正を問うものにはかなわない。
サブ・カルチャーの意義については議論が耐えない。
相反する定義が最もドラマチックな力でぶつかり合う。
『拒絶』の行為には行うだけの価値がある。
そのジェスチャーにも意味がある。
その微笑みとあざ笑いには破壊的な価値がある。
それは落書きかもしれない。
落書きは人を惹き付ける。
人の注意を引く。
落書きは無力の表現であり、
ある種の力。
モノを醜くする力。
その表現が落書き。
様々なスタイルに埋め込められた意味。
それがサブ・カルチャー。
サブ・カルチャーという言葉は、
神秘に満ちている。
この言葉は秘密のようなフリー・メイソンの誓い。
暗黒街などを連想させる。
サブ・カルチャーからはこれ以上大きく、
しかも困難な『文化』という概念が浮かんでくる。
そう文化の概念の中にあるサブ・カルチャー。
 御供  2000/9/28  11/12/21

シティでは


お盆の東京は静かで人間のいない森にいるようだ。
人間の森は全てを包みこむ。
街を歩いていると、
ひとりぼっちの地球の上にいるような気がする。
それに夏は暑くてべたべたしている。
空気はとてもメタリックだ。
田舎から観光で来た精霊でいっぱいなんだ。
都会の磁場は普通じゃない。
プラスティックや金属で満たされている。
何が起こっても不思議じゃない。
定義付けなどできない出来事が起こる。
マグネティックに引き寄せられる人間がいる。
人間が人間を呼び、
人間の精霊をともなうことを忘れてる。
たぶん何千年もの昔、
いろいろな星からやって来たエイリアンが精霊を持ち去って行ったに違いない。
人間の本質ってやつさ。
そいつはとても静かで、とても強い。
人間たちは都会という集団生活の中で、
助け合いというやさしさや思いやりという本質を忘れている。
心にもないことを言うなよ。
人間は人間に対して、
愛し、愛されたいものなんだ。
人間が作った本質。
本質が作った人間。
みな現実を呑み込めずあえいでいる、
この都会という人間の森で。
都会は魂を忘れた人間たちの集まりなのか。
命は人間へのパスポート。
ストレスにさいなまれ、
充たされることがどういうことなのか飢えている人々よ。
もう現実から逃げるのは終わりにしよう。
この都会で考える、
美しい惑星地球を守りたいなら助け合おう。
人間同士リスペクトして生きて行こう。
美味しい御馳走と楽しい時間と、
美味しい空気をたくさん吸って生きる。
人間同士がジェラシーを感じあうことなく生きる。
ちょっと角度を変えればいいことだと思うんだ。
都会はマスコミが殺してしまった。
そうは思わないかい。
心のない記事が、
巨大なカーニバルの余興のショウにしてしまったんだ。
それにミュージアムや博物館というものが、
人間の本質を変えてしまった。
お盆の東京にいると小さな入口からやって来る、
エイリアンと話ができるんだ。
ぶっ飛んでいろいろな問題について話せるよ。
とくに都会で生活しているのが嫌になっている人々よ、
役人に搾取されないようにしよう。
国が命を守ってくれるわけじゃない。
隣人や創造という勇気が守ってくれるのさ。
都会の物質社会というやつは、
クリェイティブをこの世の中から消そうとしているわけじゃない。
そのシステムを変える原動力を与えてくれているのさ。
飢えるアーティストの神話はもう終わった神話。
飢えるアートは金持ちの銀行家と金持ちのレディが、
投資するときに始まったのさ。
奴らの手中にアートを納めて起きたかっただけなのさ。
アーティストが金を持っちゃいけないなんて話しはない。
誰が言った。
ピカソを見ろよ。
飢えているアーティストは、
まわりの人が飢えているから飢えるんだ。
いいアーティストになるために飢える必要なんてない。
だからみんなでリッチになればいいのさ。
だが、愛、洞察、強い視点を持っていなくちゃだめだ。
いつもどんなときでも好奇心を持っていなくちゃね。
腐敗とも戦えなくちゃいけない。
妥協もしちゃいけない。
アーチィストってそういうものなんだ。
金があろうが無かろうが関係ない。
マティスを見ろ、
彼は銀行家だったんだぜ。
富と貧困を生み出すものは金以外にもあるということだよ。
今の世の中、正直者が馬鹿をみるというけど、
もう時代は変わって来ているのさ。
誰もいない大都会で四次元の扉を開けてやって来る、
エイリアンと話をすることは勇気のいることさ。
だいたいエイリアンと話したなんて誰が信じる。
つまり自分の意見を持つということさ。
みなアーティストって奴らは、
そうやってさも自分が考えたかのように意見して行動するのさ。
好きなようにね。
山の中もいいけど、
人のいない都会もいいものさ。
社会の間違ったシステムがはっきり見えてくる。
盆と正月の人のいないシティが私は大好きさ。
発見があるからね。
 御供  2004/8/28  11/12/21

スペクテイター


イデオロギーが政治や社会を改革できると、
誰もが信じていた。
60年代が幕を閉じた頃に、
情報という目に見えない価値が世の中を支配し始めた時代。
時代は大人になった。
気がつくと、
既に高度に情報化されていた。
無意識の内に消費というゲームに誰もが没頭していた。
人よりも早くたくさんの情報を手に入れる。
それが、個性豊かで文化的な条件だと信じて疑わなかった。
ところがここに来て、突如ゲームは違う方向へと移動した。
携帯やインターネットのおかげで、
努力して情報を手に入れなくてもよくなった。
情報の方から勝手にやって来る時代になった。
情報はまるで空気のように見えないで舞っている。
ある時は巧妙な手口で日常に入り込み、
欲望を刺激する。
地球の裏側に暮らすリアルな日常も知ることができる。
だが、ちょっと待てよ。
情報って?
リアリティって?
一体なんだろう。
その問いが大切だ。
何が新しいかではなく、
どう新しいかだ。
どうしたら情報と上手くつき合っていけるのか。
世界中で起こっている様々な出来事を通して、
そんなことを考える。
単に鮮度だけにこだわるのではなく、
あらゆる角度から情報を検証しないといけない。
そうすれば生活で必要なことが見えてくる。
消費のための情報ではなく、
役立つ不可欠は小さな価値のある情報。
そしてそのための人生という問いに戻る。
自分自身を知ることから模索すべきなんだ。
 御供 2001/1/1  11/12/21

ノー・ネイチャー


人にとって最も身近なものってなんだろう。
自分の手足。
思想を作り出すこと。
知識、それとも回想。
台所や寝具。
それとも自分の言語。
自分が生を受けるということ。
生まれつき何かを持っているということは、
何と素晴らしいことだろう。
生まれてこの方、
私はひとつの言語を好きなように使って生きてきた。
どこで暮らしていても、
長い間その言語によって肩をほぐされた。
面白がられた。
またかつて波乗りもして来た。
無性としての自然。
どんな人間社会でも愚劣な流行。
集団幻想。
そして人をかつげるような神話を持っている。
日常の生活もある。
野生の自然でも同じようなもの。
すべてお馴染みの風景の中で、
数限りない生き物が生きている。
自然とは同時に物理的宇宙、
それは都会的なもの。
産業的なもの。
有害なものも含んでいる。
私たちはそうやすやすと自然を知るわけではない。
私たち自身のことでも知っているか怪しいものだ。
実際にそれが何であろうとも、
私たちの期待や理想的規準を嫌っている。
この世には自然界としての自然。
物語の性質としてのネイチャー。
何ひとつ型にはまり固定されたものはない。
私たちは自然に対して敬意をはらい、
いちばん大きな自然と仲良く共存すべきなんだ。
自然に愛を持って生きること以外、
私たちは生きていけない。
ネイチャーはいつもそばにある。
  御供     11/12/21

憂鬱


私の心は子供のようにある。
太陽が輝いている時には外に出て、
木々を眺める。
とりとめもないおしゃべりに時間を費やす。
好きな音楽にも耳を傾ける。
なのに夜となると私の心はおびえる。
風が吹き荒れ雨がしとしとと降るように、
どうしようもなく悲しみに包まれる。
すべてが震え上がる。
泣き叫んでいる中を、
ひとりあてもなく歩かずにはいられない。
そして、私は耳を傾け、
一心に小さな音を聞く。
暗い夜が手探りしながら、
私の傍らに忍び寄って来る。
空の彼方に絶望の高笑いが響いているのが聞いている。
身を揺らしながら狂おしい声で叫ぶのを聞く。
昼、快く思うものすべてにベールがかかり、
まるで別のもののようにおそい来る。
だが、またその憂鬱は夜が来て、
昼が来ると、暗闇の中に消えて行く。
   御供    11/12/21

戦場へ行くのをさけた時代


ロングヘアーにピアスに、
ネックレス。
派手な花柄模様の格好でピッピーと呼ばれた。
東洋であるネパールや、
インドやタイを目指し旅をした。
踊りの衣装と街売りの小物を持って旅をした。
ポケットには優しさと思いやりを入れて旅する。
古里とはおさらばして、
戦場に行くんだったら、カナダへでも旅した方がいい。
私には戦場に行っている暇はない。
たくさんのやりたいことがある。
父母には申し訳ないと思うが、
非国民になる方がいいと決めたんだ。
国のために人を殺し英雄になるよりは。
人を傷つけないで、
明るく楽しんで生活したい。
だから、国のルールだって私には通用しない。
正義と誇りは国によって決められるものじゃない。
自分の意志の中にはっきりと生まれるものなのさ。
ナバホ族やホピ族だったらどうだろう。
そんな馬鹿げた、
国の攻撃にしたがいっこないだろう。
現代社会が生んだ醜い権力の下に私たちがいる。
それがすべて正しいとされている。
それに逆らうヤツは犯罪人。
私には何が何だか解っていない。
解らない。
巨大開発の利権屋によって争いがはじまる。
またその手先によって、
自分の生き方さえも変えさせられてしまう。
伝統的な生き方を受け継ぎ、
しっかりとものごとを自分の頭で考える。
考えて行動することが大切なんだ。
自然との共存共栄を目的に、
慎ましく、自給自足することを考える。
そのことに気づいた時、私は知った。
醜い社会から立派に自分の意志で生きている人間がいる。
それを支える一握りの人間が水先案内人としている。
私は勇気を心のうちに持つ。
人権も民主主義も踏みにじられて、
破壊の危機に瀕している。
現代社会の悪ふざけ。
正義を掲げた権力者によって、
モラルさえも失われていく。
この国という規模のルールによって、
私は居場所のない苦痛を感じる。
新たなる嬉しい挑戦に望む。
この世に生命を受けた限り、
他人を傷つけたくない。
奪い取ったりしては良くないことだと解るだろ。
少しでも明るくポジティブなパワーを出した天使だ。
進化の最前線をひた走る者たちよ。
戦争に行くなんて考えないでくれ、
「100人殺せば英雄だけど、ひとり殺せば殺人とは?」
よく言ったものだ。
ある人が当時のことを語ってた。
「大きく煙を吸い込んで、自由を吐き出して情熱に火をつけていた時代」
そんな時代があったわね。
私の拳は相手を傷つけない。
ただ、自分の力に病んでいる。
   御供    11/12/21

明日に


人間はみなひとりで生きているわけじゃない。
突然明日になるわけじゃない。
昨日があり、今日があり、
そして、明日になる。
今日までの暗い毎日が続くとも限らない。
生まれて死んで行くのに理由などいるか。
明日、太陽が昇り、
人間として目覚める。
大きく変化していくことだってあるんじゃないか。
明日に希望を持たなかったら、
どう生きるのか。
今日よりは明日のほうが素晴らしい。
無謀なくらいに変わることだってある。
今、私が日常で苦しんでいるのは、
何なのか?
何があるというのだ。
足が痛かったり、
内蔵が少し痛かったりしても大丈夫。
跳ね返す力はある。
何かにとりつかれ、
何かがどうにもならないと思うことなど何があろう。
こうして明日を迎えている私です。
  御供    11/12/21

映画のように


生きているとふと思う。
今の社会は当然のことのように、
決してありえないと考えていることが起こりえる。
街を見渡せば、
すべての建物はハリウッドの映画のセットのようにできている。
ハリウット映画に一本エキストラとして出演した。
すべてが現実で、夢のよう。
映画のような、現実のようなワンシーンの中にいた。
私は多くのつながりと人間の生き方を学んだ。
朝方近くから撮影の現場につくと、
まるですべてがそっくりの真実に近いフェイクの世界。
それぞれの人は何を考えて、
その映画のストーリーの中にいるのか?
多くの人種がいる。
日本語の他に英語やいろいろな言葉が入り乱れる。
映画のワンシーンに集中する時間の、。
私は過去にタイム・スリップ。
未来への予感を感じる!
このスチェーションはまるで私に中にあったことのように、
映し出されていた。
それが今、映画の中で現実のものとなり記録されている。
その場にいた自分。
人生の中の一瞬を、私は楽しく過ごした。
私の初体験はとても輝いて、
少しの時間が深く心の中に刻まれていくのを感じた。
昔あった時間のようであり、
これからの時間のようでもあった。
私は私の内に秘そんでいる何かが、
現実のものとして花開いていたような気がした。
うれしい快感におそわれる。
帰路でバイクに乗り大都会の中を疾走していくブルーの光の中。
多くのこれから訪れるであろう事を考えた。
とても充実している中に私はいた。
完璧の朝を迎えた。
私はまるで、
『現実の中にある映画のワンシーンの中に住んでいる自分を見た』
そんな気がした。
何か懐かしくもあり、夢のようでもある。
まったく違う心の至福を味わった。
それは社会の物質的なものとは全く別のもの。
考えられないが、起こりえる事実だと確信した。
いつもこんな楽しいワクワクを味わえたら、
あたりまえになってしまうかも知れないかもしれない。
少し不安になったことも確かだ。
うれしい挑戦の旅のドアを開きドンドンと叩いたような気分だった。
   H.MITOMO    11/12/21

時間の行くえ


私はいま、ボーとしたアンニョイな時間の中で、
まったりとしている。
何も決っていないのに、
動くこともできやしない。
何もない私に動くこともできない。
何故私はここにいるのか解らない。
でも歩き始めなければいけない。
一歩一歩前へ進みどうにかして、
自分のいる場所を作らなくてはいけないと思うんだ。
でも、明日でさえも予想できない自分がいる。
   御供

人生に悔い無し


私は私の歩いて来た道ばたに多くの、
なつかしき思いをはせる。
なにげないことが大きく浮かび上がり、
なにげないことが小さく遠ざかっていく。
幸多かれと思う中、
苦しいこともたくさんあった。
酔いしれるように過ごした時間。
そして生きてみた。
今日から、そして明日まで無我夢中でかけぬけてみた。
そして今思っている。
昨日までの私の人生に悔いは無い。
これからもこうやって生きて行くだろう。
人生の達人とはいったい誰なのか?
わかっていたら教えてよ。
達人がいるんだったら、私も達人になれる。
この世の中に人の心がよめる者なんているのか。
時代の先がよめるとしたら、
『私は時代がよめる』なんて言わないだろう。
少しでも時間の未来がよめるとしたら口を閉ざし、
何も言うことなく行動するだろう。
賢者は努力して時間の先をよむ。
いろいろなデータを計ってよみとるのだ。
たとえそれが間違った判断だとしよう。
だが、とりまくもの全てが彼を信じ、その予言を信じるなら、
かならずやその時間の先はやって来る。
間違いなく時間の先をよんだものとして記録されるだろうか。
何故か?
その理由はキミの心の中にある。
地球の軌道が少しずつずれていこうが、
たとえ真実でないにしてもだ。
もう時代は示され歴史となって残るのだ。
   H.MITOMO   11/12/21

伝統


昔からのことをひとまとめに伝統というなえあば、
伝統とはなんと賢くてつまらないものだろう。
私は伝統という言葉が嫌いではない。
伝統よりもトラディショナルと言った方がいいかもしれない。
ある種の決められた文化の総称を『伝統』と呼ぶならば、
伝統を見習って私は成長していくような気がする。
京都という街には良きにつけても悪しきにつけても、
いい伝統がごろごろしている。
考えを変えて、美意識についていうならば、
何と素晴らしい『美』が存在することだろう。
若者たちが育っていく過程で伝統を見る。
見て育つということはとても良いことである。
京都という街では、
他文化を持った外国人が大勢いて暮らしている。
彼らこそがここの伝統を楽しんでいるかのように見える。
『日本の心』と言われる、
ワビサビの世界をより理解しているのは、彼らのように思う。
独特の京都の残された文化。
無くなっていくというが、
さみしいがあたりまえのことである。
アカディミックなものや、
ストリート的なものは残っている。
伝統は時代の中で、
おかされているように見えるところがある。
京都のいい意味での伝統は残っているかもしれない。
伝統にがんじがらみになって、
身動きできないよりはいい。
白紙の状態に向かって自由に動き続けた方がいいだろう。
ここ京都には土台になる多くの文化があるという、
喜びを感じていた方がいい。
美味しいものを食べて、
美しいものを見て、
素敵な格好をする。
愛を感じて。
愛を送ろう。
   H.MITOMO    11/12/21

地上に朝が


目の前にブルーの時間が訪れる。
心の中を見えそうで見えない現実が、
リアルに繰り広げられる。
ミラノの朝は夏早くスクーターで通り過ぎる。
洒落た女の人。
東京の朝はゆっくりと、
グレーのスーツを着た人たち急ぐ。
地下鉄の入口からビルの中へと消えて行く。
モロッコは、インドは、
そして中国はどうなんだろう。
南太平洋に浮かぶ島の朝はのんびりと、
市場に人たちが集まる。
ゆっくりと規則正しく、
海の近くのまわりに人たちがブツブツ交換しているようだ。
私は今どこにいて何をしようとしているのなか。
やさしさと思いやりを抱いて思いっきり、
これからのことを考える朝がある。
この丸い地球には誰にも平等に朝がやって来る。
   御供

場を生きる


環境がよごされている時代に生きるということは、
どういうことを意味するのか?
人間であるということは何を意味するのか?
トランス・パシフィックの現代、
生きる場をどのように決めるべきかを知っている者は少ない。
21世紀という環境危機の中で生きる。
自分の生きる場を知り、決めて、
環境と立ち向かう。
もう一度という。
ヒューマンとノン・ヒューマンを泳ぐように生きる人間。
力強い希望を持って、
生きる喜びを味わうこと。
21世紀という現代に生きる意義とは何か?
人間は生まれた場を持ってはいるが旅立ち、
次なる生きる場を探す。
また、場を持たない人間も生まれている。
太古の昔、
人間は安住しないで暮らしていた。
だが、いつの頃からか、
そう農耕がはじまった頃から人間は定住した。
少し昔、定住こそがいいとされた。
旅をすることが悪とされた時代があった。
場を強く考える時、
人と人の間と書いて人間というようだ。
助け合いながら、
思いやりとやさしさにつつまれた社会があったに違いない。
だからこそ、定住したのだ。
移動する人間の行為が意図的に、
社会的な文化的関係を絶つ行為だと考えられた。
このような考えは権力となった。
その権力によって、
強く社会の正義とされたのだ。
「自由とは歴史の中で、面倒な逃亡とされた時代が長くつづいた」
いつの時代にもマイノリティの中では場を切断することは、
「自由を模索する仲間であると理解され存在したに違いない」
家族や記憶や時間というものから、
連続的な時間の中に身をとうじる。
永遠性を存しないものとして、一過性のものであった。
「空間」と「場所」という概念には、
オーバーラップする概念がある。
「空間」は数学的、物理的な意味を有する。
人間がその中で、移動する枠組みのみを示唆する。
「場所」は人間の日常性を意味する言葉。
「場所」は「空間」に包含されるものであるが、
そこでは生活の蓄積の中から歴史が創造される。
「場所」においてはアイデンティティが形成される。
帰属感や職業が獲得される。
人が通過して行くだけではなく、
日々の生活を重ねる中で記憶が蓄積され、
未来が方向づけられる。
「空間」は地理的な概念として遠くから眺望され、
人間が土地と接触する際具体的である。
「空間」は定住の中で「場所」へと変容していく。
このように場を生きるということは、
確かにいろいろな要素を持つようだ。
   御供    11/12/21


天災


世界各地で多くの地震が発生している。
東京にも来るかもしれない。
天災というやつは、
どこにどう起きるか予想もつかない。
現代社会では予測できるものなんてありゃしない。
一時間後のことも、一年先のことも、
そして十年先のことも、何ひとつ考えられない。
いつ何が起こってもおかしくない。
こんな世の中に生かされているのさ。
そしてこの世の中がつづくのだと思う。
人間がいかにシンプルに生きるか。
それが大切かなんて、現代人は考えないに違いない。
生きて行くのに理由などいらない。
どんな時でも神様は見ていてくれる。
今日のことも、そして明日のことも。
きっとやり遂げることができると思うんだ。
天災はすべて、人間に対する忠告。
そして、次に輝かしい未来がある。
新しい知恵が生まれるから。
   H.MITOMO      11/12/21

2010/06/27

自分の中の環境


環境は考えてから生まれるものである。
心のあり方と出来事は完全に連動している。
人生は良い方、
楽しい方へ向かっていく。
逆に環境が自分を作っているから、
どうしようもないと考えている人もいる。
その人はずっと今のままだ。
『むかつかせる奴がいるから、私はむかつくんだ。』
と思っている人がいる。
そのような人が現れて不快な思いをすることになる。
今は社会がこうなんだから、仕様がない。
そう考えている人は今のままだ。
自分が原因であり、
現実が原因の結果だ。
自分の心が環境に反映するんだ。
だから心のあり方に注意しよう。
心の中の怠惰、
嫉妬、
卑屈、
責任転嫁、恐れ。
貧欲などを見つけたら改善して人格を高めること。
結果として環境は良いものに変わっていく。
自分を社会の産物だと思い込んでいる以上は、
その今ある環境に打ちのめされていく。
でも何が最良か?
どうしても解らないことがある。
本当の意味が解るのは、ずっと先かもしれない。
でも、きっと何か素晴らしいことがあることは確かだ。
人生はいつでも誰にも素晴らしいものなのさ。
   H.MITOMO

2010/06/24

私は見た


私は見た。
小さな光が私の内に入っていくのを見た。
光、それは小さな栄光。
光、それは私が生きて来た道の上にひろがったダイヤモンドの原石。
どんどんと光に磨かれていく。
うそのような現実。
私はひとりボートに乗り込む。
外は雨が降っているが、
太陽が降り注いでいる。
不思議な晴天のようなもの。
私は背後に驚くような拍手を感じる。
親密に近寄ってくる甘く激しい笑い。
神様は私のそばに座り、私は言葉も話せない。
口に手をあてがいあえいでいるようにみえるかもしれないが、
私はこっそりと笑っているのだ。
未来は壁、完璧な壁。
私は写真に撮るようにそれを現実のものへと呼び戻す。
空っぽの天国。
海は荒れてはいるが、
私の乗るボートはちっとも揺れたりはしない。
希望の劇は本当に叶い、
私のために人々は歓喜の声を上げる。
私は波動を放ち、皆を結びつける。
天使の翼を持った素晴らしい老人に敬意をはらうのか、
私は拍手の中にいる。
笑え、すべてが狂気と知っているから。
笑え、私たちは愛に包まれている。
すべての人のために生きる。
私は母のために輝く瞳を持ち、
目から大きなやすらかな光を放ち、
大いなる者たちにささやきかける。
私は本当にバカさ。
いっさいを笑い可能にする。
熱狂的な内面下の叫びは、
中毒症状を副作用から預かっている。
くそ煙草かい。
神様、それはあったかくて凍えるほど寒い。
私と時間を分け合ってくれてありがとう。
大丈夫だ、さあ行こう。
私たちのそれぞれの違いをみきわめる。
今、どうやってこの運命から逃れるのか。
血まみれのサーキットが音をたてて疾走する。
シンプルな情熱を享受せよ。
誰が今日のことを書いた。
霧に包まれたこの想いを読むようにぶちまけろ。
灰色と青と茶色が素早く落ちて来る。
美しい色使い、濡れ落ちていく。
私は今ここに居る。
そして、次の場所に移動しようとパッキングしている。
今ここがすべてだが、
私は自分の旅を何もかも素直に記録しようと考え出した。
現実はリアル。
私の旅は今ここにある。
ここで生活して糧を得る。
それについてはなんの疑問もない。
旅に出よう。
   御供   11/12/21

足踏み鳴らして


少し前に[太陽]という手創り新聞に出会った。
西麻布2丁目界隈を愛する人たちが創るフリー・ペーパー。
西麻布2丁目界隈の人たちのための新聞。
隔月/毎偶数日3日。
サブタイトルにアナログ&フリー。
現代という「非常時」に、
なんていう地球の中を泳いでいるんだと感じた。
そう、「常時」には「常識」が横行するが、
「非常時」には「非常識」がまかりとおる。
だから、「非常識」に生きたいと考えていた時だった。
桜の花の下で、
狂い咲きしたように騒ぎたい。
一丁目よりも二丁目。
青山墓地の下にあり、
[太陽]というタイトルなのに太陽があまり照らさないところ。
でも、その太陽の発する光は目では見えないほど、
早く、心の奥底まで入り込んでいくようだ。
時間という色目を使う亀裂の中に落ち込んだこの現代。
デジタル時代に突入した時間に逆行するかのように、
アナログ的に生きる面白さ。
強くつながりをもち、
世間一般のルールの外に生きる。
手の中に入りそうな小さなやさしさと思いやりを味方にね。
どんなに浄化しても消えないことが消える街
人間の社会の悪という都会の真ん中に位置し、
ちょっと経済的安定を無視したヤツらの集まる界隈。
都会というネオンの街角に棲む闇を見つめ、
人間の底にうごめくものを感じるところ。
見栄と虚構を増殖して生きる人間と知りつつ、
狂気と無縁の歌をうような笑みを浮かべる。
人がうらやむようなエリート人生では飽き足らず、
大都会という人間の森を迷いながら歩いている。
「どいつもこいつもとんでもないヤツらさ」
「ちょい悪」だなんて言えないな。
そんなこと言っても、
一言ではかたずけられないような生き様をしているやから。
東京でアリのように生きて行く人生を選んだヤツらに、
何がわかると言うんだ。
ただ、西麻布二丁目界隈でできることは至福に向かって、
刻まれて行く時間か時代を生きること。
そこに逃げ込んで来た子羊たちの声に耳を傾ける。
作り話にも似た映画の中のワンシーンのような、
おべっかではない声が聞こえる。
肯定と言う言葉ではいい現せないものに目を凝らす。
派手に言っちゃえば、
自分の信じた心地よい生き方を泳ぎきる。
たとえ、結果的にオオカミ少年になろうが、
夢想家と言われようが生きる。
その時、その時は、
本当に確信を持って良しと考えていたことは間違いない。
人間っていろいろいるけれど、
この西麻布に来る人間はとても幸せだよ。
こんな足踏み鳴らして、
楽しみ、悲しみ、苦しみ、立ち止まったり、転がったり、
そしてまた、歩きはじめる。
いい仲間がいるところに身を置くことができるなんて幸せだ。
なんとなんと楽しい地球の中!
そりぁ、たまには完全にいっちまって、
現実と夢をまちがえているヤツだって迷い込むさ。
でも、そのポジティブな前向きなユーモアに心動かされるか。
はまりこむという、時間の流れに気持ちよく泳ぎ喜ぶ。
上等だよ。
今夜は飲み明かそう。
浴びるほどに飲もう。
人格をなくしたって知ったこっちゃない。
人間なんてものは悪さできるから、
生きることに真剣なんだ。
神様が隣にいたら正座しているよ。
まっぴらだよ。
人間は人間らしく格好よく生きる。
間違いを繰り返しながら「達磨」のように、
七転び八起きで生きる。
この方が悔しいくらいに格好いいだろ。
足踏み鳴らして声高らかに、
ちゃめっけいっぱいで生きている街。
西麻布二丁目。
彼らが彼らのために創る新聞[太陽]。
それで充分だろ。
ああ、少し光が長くなって来た。
   御供      11/12/22

2010/06/22

目的に向かって


誰の人生も思い通りにはいかないだろう。
常に目的を定めずに来た。
目的に向かって来たのだろうか?
知らず知らずのうちに時間の経過があった。
決して休息することは願わずに来た。
私の道は果てしないように見えた。
そして、遂に見た。
私の歩む道を見た。
その道は輪を描くだけだった。
私の道は旅の途上にある。
人生の変わり目は見えないものだ。
神のいたずら。
どの道を歩くかは、もう自分が決めている。
生まれた時から、
目的に向かっている人間なんているんだろうか。
そりぁ、決められている者はいるさ。
でもある日突然変わることだってあると思うんだ。
誰もが幸せというものも解らずに向かってる。
人生を誰もが遊び暮しはしないだろう。
すべてはとうに飛び散って、
喜びと楽しみの夢は消えていた。
燃える心は凍えて固まり、
でも何か目的を求めていいる。
目的に向かわなかったら人間は死に向かう。
生きるってことは何かに向かうことなんだ。
子供のように好奇心を抱いて!
見えるものを見て生きる。
新しいおもちゃのように人生を生きる。
ワクワクすることを探して生きる。
時代のせいにして生きる。
遊びも冗談も、
地上の些細な慰めごとも抱えて生きる。
あの雄々しい勇気はどこへ消えてしまったのか?
いつの時代も何かに向かって歩いていいる。
その何かはとても甘く、明るく、楽しいものさ。
じゃなかったら向かう意味がないじゃないか。
どんなに時代が変わったって、
人間の持つ目的はそんなに変わるものじゃない。
ひとつの小さなことに心動かされる。
諦めていたことを再び試みて、
時間という流れの中を泳ぎきること。
誰にでも悩みはある。
体も心も打ちのめされ、
苦しいと思うことだってある。
目的に向かって今を楽しむことだ。
バカだって言われようが、
ワクワクすることを手に入れる。
心はいつもオープン。
誰にでも、何にでも、
やさしくなれる自分でいたい。
ある時思う。
私はまたしてもひとりぼっちだ。
さようなら、全世界に君臨する者達よ。
人々はみな服従して、素直に洋服掛けを差し出すのか。
私も服従と感覚を摩滅させているのか、
服従することなんてできやしない。
うんざりだ。
自由もまた悪魔の餌食となる。
それはいつでもいちばん高く登る煙だったから。
それを信じろというのか。
たわいもない会話。
感じてない感じ。
居心地がいい。
今を忘れる今を持って、
あたり一面に喜びが響き渡っていることなんだ。
そう悟った。
考えない考えの中にいる。
そんな楽なことはない。
ストレスもない。
人間の生きる目的なんて考えること事態ダメなんだ。
風に乗って時間ははさまっているんだよ。
人間と人間をつないで今を生きる。
これがいい。
私は無の中にすべてがあるとやっとわかる。
少しではあるが今を大切にする。
そして、見るもの、触るもの、
いろいろなものに「ありがとう」と言う。
   御供     11/12/22

待っている


太陽が沈む。
ちょうど大都会のビルの谷間に沈む。
人間たちが帰路に着きはじめる。
高層ビルの谷間のカフェで私は待っている。
懐かしい友との再会を待っている。
10年くらいのブランクは何も感じない。
私は私の道の上を歩いて来た。
友もいろいろあったらしいが、
癌にも耐えて必至に生きている。
楽に暮らせるところなんてどこにもないのさ。
もしあるとしたら、ここに違いない。
友のいるこの街に違いない。
だって、地球上には60億から70億の人間がいて、
そのみんなに会えるわけじゃない。
心を開いて飛び込んで行こう。
そうすれば、楽しいね、面白いね。
何をやったかなんて問題じゃない。
これから、何に向かって何をやろうとしているかが問題なんだ。
私は思う。
この丸い地球に少しでも多くの愛せる友がいたらいい。
愛せる友と共に過ごした時間がある。
楽しい想い出がポケットにたくさんあれば人間は生きて行ける。
人間はひとりで生まれて、
ひとりで死んでいくわけじゃない。
まわりの人をやさしさと思いやりを持って思いっきり愛する。
これは人間にとって最高の幸せに違いない。
この非常時の社会で何が正しいか?
何が悪なのか?
わかっているヤツは本当に利口なのかもしれない。
でも、何があっても楽しくやって苦しいと思わない。
そんなヤツほど、
心に大きなダイヤモンドを持っているヤツだ。
考え過ぎはよくないよ。
ストレスがいちばん人間の肉体をむしばむとわかって欲しい。
好きなことをやって、
好きな所へ行って、
好きな人と会って、
極上の時間を持つことが大切なんだ。
そうすれば神様がくれた時間という素晴らしい贈り物を手に入れられる。
   御供    11/12/22

心が踊る


空に雲が気持ち良さそうに踊っている。
だから、私の心もハイな気分で踊ってる。
人間が楽しいとき、
体は自然にリズムを取りはじめる。
宇宙のリズムは地球のリズム。
地球のリズムは私のリズム。
物理学者が数字的原理で考えることなく、
夢と希望するポジティブな心で訴える。
それがすべて現実となる。
地球の未来や時間の先端を見る。
すべての知恵とポジティブな心でわかっていた。
そんな人生は心が踊る。
心の声が今やっと耳に届いたばかり。
   御供     11/12/22

心の中


深く心を見つめよう。
フラフラと街をさまよい歩こう。
ひとつの目の前のモノにまどわされるな。
心の中へと進もう。
時代はとても早く変わっていく。
止まれ、待つんだ。
心の中に進むんだ。
やさしさの心の中へ進もう。
もうひとりの自分を探しに行こう。
太陽は輝いて笑いかけ、
大木は呼びかけの声を発してくれるだろう。
心なんてものはないに等しい。
じゃ、いったい真実はなんなんだ。
わかりそうで、わからない状況から来るものもある。
人間が生きていくのに心の中が見えたらな。
禁欲者はその欲望からの対象から逃れるが、
欲望そのものを捨てたわけじゃない。
人は現実の世界に入る時には欲望を置き忘れている。
心の中に入り込んで行く。
私は私の心の中に入り込んで行く時に、
価値観の硬直がある。
何が起こっているのだろうか。
真に知的な状態にある人間は、
硬直した価値観を持っていない人間。
そんなことは本当にあるのかな。
もう一度、心の中に入ってみよう。
そうして、じっと待って確かめるんだ。
自分自身の心の中を見つめよう。
自分は自分になっていく。
   御供     11/12/22

2010/06/21

タゴール


この世の市場に多くの日々を過ごした。
多くの富が手に積まれても、
何も手に入れていないことが手に残る。
忘れることなく悲しみを持って、
眠っても、夢を見ていてもいい。
もう歩き疲れて道の上に座り込む。
ほこりのうちに骨折って床をひろげられるなら、
すべての道のりが残っていることが心に残る。
忘れることなく悲しみを持っていてもいい。
眠っても夢見ていても多くの笑いが起こり、
家の中には多くの笛が鳴り響く。
おお、どんなに家を装い整えても、
あなたを家に連れて来ていないことが心に残る。
忘れることなく悲しみを持って、
眠っても、夢見ていても。
—ギュータンジャリーー
   御供

どうしてなのか


私はなのも手にしたことがない。
勝利の快感も、
お金も、財産も、家も、
社会的な地位も、
はるかなる道を旅することも、
美しい女性からの求愛も。
どうしてなのか?
私のなしてきた仕事が雑誌のファッションだったこともあって、
時代とともに消え去っていった。
しなやかにこまやかに飾られることもない。
私の仕事がもてはやされた一瞬も確かにあった。
しかし、長くはつづかなかった。
はかなく、かすかな悲しみの中に消えた。
私の心は時代に揺り動かされて、
時代をつづけることはできなかった。
折において夢と夢の会い間に身をおいた。
生が私をかきたてはしなかった。
思うがままに、私は私の道を生きてきた。
人生はいつも明るい大通りを歩いていた。
ほがらかに誘い、
泣いて、私は夢を見つづける。
目覚める瞬間に訪れる夢のような、
現実とはかけ離れた夢。
すぐ後ろにあるような気がする。
私の生まれもった夢は何だったのか?
眠っている私の上を夢の影が走り過ぎた。
色を失った絵の具のようだ。
ふるさとを持たない風のように、
どうしてなのかわからない。
おごそかに私は私の夢と向きあったことがない。
風の中を舞い散る花のように、
私の夢は短い命で美しく咲かせたのか。
蒼ざめて、ゆるやかに、
夢の道を進んだことなどなかったのではないか。
私は高い柵にもたれて立ち尽くしいて、
実は歩いたことなどないのではないのか。
空の彼方に雲がゆき、
この道の彼方に風が渡る。
道の彼方にさすらうのは、
私の知らない迷い子。
私は願ったわけでもないのに、
さらなる旅へと憧れる。
幾度となく不安を抱いていた。
旅ゆく私をなぐさめてくれる風。
私は目的も道筋も知らぬ旅人。
遠い闇をあてどなく迷いながら歩く。
すると、見も知らぬ壮麗な出会いが私を待っている。
いかなる時もこのハプニングは私をとりこにする。
私は知らない。
今世界で何が起きているのか知らない。
何も起きていないのか?
世界に眼があり、
宇宙も見ている余裕はない。
なんと重い日々なんだろう。
どんな太陽も笑いかけてはくれない。
すべては空虚でなすすべもなく、
ひとりで立っている。
私は知ってしまったのだ愛は死ぬんだと。
燃えるように費やした日々に、
出来上がったのは幾つかの詩。
騒がしい世の中では誰もわかってくれない。
陽気な人が足取りも軽く通り過ぎる。
この詩の出来上がった術をひとりとして知らない。
この時間は無駄だったのか。
楽しい至福の時間であった。
目標だけを飛ぶように追い求める日は、
旅人の甘い味わいを知ることはない。
どうしてなのか?
   御供     11/12/22

セックス


セックスは鍵のかかった鍵穴のむこうにある。
機械みたいに、
音をたててる自動人形。
若者はせかせか急ぐ。
年寄りは、年寄りで情熱に身をまかせる。
息もぜいぜい。
若者は息をこらえる。
娘も年増も待っている。
天使はそっと気を配り、
満ち足りたようにぐったりとする。
びっしょりと汗をかく。
こみ上げてくる何かを思い出せない。
欲情で顔を赤くそめる、
お決まりの時間。
穴があくほど見つめ、
自分の欲望の影を見つける。
それでもまた時間が来ると同じことにぶつかる。
あの糞真面目で、
誠実な種馬のようになる。
どうしてなんだろう。
おでましなさる。
いつだって気がつかないうちに来る。
へんてこりんな時にかぎってやって来る。
よだれたらたら、嬉しがってる。
連れ込みホテルでは繰り返される。
毎日、同じことの繰り返し。
だって、ここは休息するところではない。
人間のやることなんてなにも変わらない。
人間が誕生した時から、同じことの繰り返し。
獣となんら変わりない。
セックスなんてそんなもの。
だれもが皆同じように取り憑かれてる。
きっと太古の昔から、そうなんだ。
だから、流行なわけじゃない。
いつもそんなことばかり考えていたんじゃ、
なにも進みはしないよ。
自慰とは時間をかけずにするもんさ。
時間は待ってはくれないからね。
でも、こうやっているうちにもやって来る。
考えなければいいんだと思う。
でも生きていて、楽しむことさちゃんと。
奇麗な足の女が通り過ぎた。
   御供     11/12/24

セントラル


どこの都市にもセントラル・ステーションというものはあるものだ。
東京でいったら東京駅がそうだろう。
東京駅はオランダのアムステルダムのセントラル・ステーションを、
模倣した建物らしい。
東京では上野が一番似ているかもしれない。
その駅から、
地方に向けて電車が出ているのだ。
逆に中央に向かって、
それぞれの田舎から目的を持ってやって来る。
そして、初めて降り立つ駅なのだ。
そこには色々な人種がいて、
決して豊かではない人たちがいる。
その日暮らすためのお金をかせぎ生活する。
ある者は人生を投げやりにして何かに中毒している。
イタリアのセントラル・ステーションに今私はいる。
マクドナルドの上にある一泊50ユーロの小さなホテル。
シャワーだけで電球も切れている。
エアコンは壊れていて動いていない。
もうかなり前から動いてなさそうだ。
TVは色あせた人生のような、
ぼやけた色をしている。
TVでは昔の映画を再上映している。
内容は人間が貧しさから立ち上がり、
自分の世界を創るために精一杯やっているというものだ。
こんなホテルにいて感じることがある。
初心に帰りハッキリと目的意識を持って、
がむしゃらにやっていた20代の私を見ている。
若い頃の私は10ドルの安モーテルでも、
ワクワクしてアメリカを旅して回った。
やがて慣れてきて少し裕福になると、
お金でサービスが手に入れられることを知った。
高級ホテルに泊まる。
そこにはダイヤモンドの指輪をした老人がいる。
ゆっくりと動いて目はもう何も見ていない。
私は今ここにいてビートを感じている。
ビートの作家たちも、
こんな安ホテルで何かを感じ行動を起こしたに違いない。
そしてアメリカを、世界を変えて行ったに違いない。
私は今イタリアはミラノの安宿にいる。
この気持ちこそが一番欲しかったものに違いない。
ここにいるとたくさんのことを吸収できる。
私は生きている。
これからもきっと楽しく生きられると確信している。
東京で何度も成功と失敗を繰り返し、
私は生きて来た。
とても楽しく、いい友に恵まれて生きて来た。
この旅を機会に、きっともっと変わっていくことだろう。
私は東京での生活を反省している。
人間が愛を持って人間に接するということを考える。
今の東京にはもう愛は無い。
いらないことばかりが多すぎる。
余裕を持てなくなっている。
今回の旅の発見は大きく、
私のコレからの人生を大きく変える。
変わる予感に包まれている。
新たな気持ちで生きていこうと決めている。
きっと何かを発見する旅とはこういうものなのだ。
シャワーのお湯も出ない、
小さなベットの上で詩を書いている私。
大きな未来が手が届くところにあることを予見する。
何が何でもやってやる。
フツフツと思考が沸き上がる。
ストリートで店をやっているパキスタン人と友になった。
その友人で韓国に住んだことがある、
キキというパキスタン人にあった。
セントラルの近くに住んでいるドイツ人らしくないドイツ人にも会った。
私はこういうところにこそ悪と正があると思う。
キキは私に忠告した。
「気をつけろ、持ち物は絶対に手から離すな」
日本人である私は油断し、
まんまとパスポートを取られてしまった。
だが神は私に味方したのか?
パスポートはホテルのフロントに預けてあったので救われた。
それを知ったのか、奴らは私にパスポート入れを返してきた。
ポリスに言いつけられるのがイヤなのだろう。
私だってポリスに言いつける何てイヤだ。
話もしたくない。
幸運なことに何もなくてこの場はすんだ。
私はファイトする振りをして、自分をアピールした。
パキスタン人の店をやっている若者は、
ゴーカー・フェイスでまるでスーパーマン。
母と弟たちを食わせ、生活の面倒をみているというから立派なものだ。
キキはミュージックが好きだ。
そしてとても優しい人だ。
若干22歳だというのに国を出た。
韓国に住んだ体験があり、
旅人のような空気のような存在を自然に身につけている。
「彼らは盗みが仕事なんだ」と軽々と言う。
そう聞かされた私は、
セントラル・ステーションのルールを少しだけ身につけた。
権力に押し付けられて、弱者同士が必至に生きている。
強がっているわけじゃない。
生きるための手段なんだ。
心の中の問題じゃない。
そうしなければ、
この世の中で生活していけないとわかっているのだ。
だけど人間とは不思議なもので、
顔を見ただけでいかなる人種であろうとわかるものだ。
私は初めて店の彼を見た瞬間、彼も見た。
「東京から?池袋を知ってる」と、彼が言う。
「知っているよ。東京ボーイだからね」
「でもあまり行ったことはない」と、言う。
彼は流暢な日本語を話し、
いろいろと日本のことを聞いて来た。
私はカフェラテを飲み、コーラを飲み、
ポテトチップスを買った。
そばにいたキキが、
ここよりこの公園の外に行こう。
その方が安全なんだ。
片言の英語をお互い使い。
このミラノのセントラル・ステーションについて話した。
そして生き方のことについて話した。
世界の状況。
パキスタンとインドのカシミールを舞台に争うことの意味。
彼は争いは嫌いだ。
MUSICが好きだ。
だから、キキは音楽を聞いている時が幸せだと言った。
私も思わず言った。
こうやって旅をして、
いろいろな人間と少しでも多く知り合いたい。
それがやりたいことなんだ。
人間は何を目的に生きているのか?
人間はどこから来て、どこへ行こうとしているのか?
ビートの連中はアジアをスルーして、
アッシジまで行った。
そしてアメリカへ帰り、
英雄として、文学として型を残した。
それは国境を超えて、
私にも受け継がれている。
1920年代、パリを舞台にインドの詩人タゴールが異邦人を読んだ。
『ここではない。ここではない。もっと遠いどこかへ行きたい』
ミラノもそうだが、あらゆる都市にはあらゆる人種が住み着いている。
新しいルールを作り出している。
それは生きて行くためのすべであり、
愛と友情がささえる。
自然発生したもので公的には認められていないかもしれない。
だがここには、ここの生きるためのルールがある。
私は置いて行かれ、金もなく途方にくれた。
だが私は楽しく日々を過ごした。
何も不安がなかったわけじゃない。
いくつもの不安が頭をもたげた。
このペンの薄さもそのひとつだ。
ドラッグのあり方についても私は良く考えた。
自分に余裕がなかったらやるもんじゃない。
日常という繰り返される渦の中に、
沈むことな、元気に生きることの大切さ。
イタリアのセントラルには夕日が、
アスファルトに輝いた。
仕事をしてお金を稼いで回りの連中を楽にリスペクトしたい。
ストリートの目線で街を見て、生きて行く。
この生きていくという難しい問題に、
いかに対処していくべきか考えた。
私は強く深くこれまでの体験をひとつひとつあげながら考えた。
私は今、その準備を終えて、
朝のセントラルの街へ出て行くところだ。
   H.MITOMO

バイクのこと


いつも一緒に行く。
どこへでも一緒に行く。
この大都会で自由に動ける、
一番の相棒バイク。
ドア・ツウ・ドアで、
街角をスイスイ走る気軽なバイク。
どうせ乗るんだったら、
普通の顔をして速いのがいい。
ルックスだって気になる。
そう、私のファションの一部。
だから今、乗っているイタリアのピアジオは、
とても気に入っている。
心から彼を信頼している。
速くて、壊れないし、
共に過ごす時間はとても長い。
彼にまたがって、
出かけるととてもいい気分。
まずコーナーなどのきれがいい。
超未来なデザイン。
メーターもデジタルで時計もついている。
何よりも気に入っているのは、
隠しポケットがある。
こいつには驚いた。
この大都会で乗るにはもってこい。
50CCだからガソリンも食わない。
税金も一年で1000円。
いいこと尽くめだ。
このバイクは私の足。
歩くのが不自由な私にとってなくてはならない翼。
天使の翼と言ってもいい。
このバイクに出会えて本当に良かった。
私は今日も、バイクに乗って街を徘徊する。
何しているかって、
もちろん、まだ見ぬ出会いを探しているのさ。
真の友への愛を見つけたくて、
走り回っているのさ。
それで、充分だろ。
   御供

2010/06/20

地球を救うためにやって来た、天使の翼を持ったメッセンジャー

WE DON’T BE AFRAID OF ISOLATION .WE WANNA BE HREE!

 80年代にハワイのノースシュアで大波に乗るサーファーを見たとき、彼らは宇宙から来たエイリアンに違いないと思った。そして、2001年、マンハッタンで車と車の間をスイスイと泳ぐように走るメッセンジャーを見たとき、ここにも四次元の扉を開けてやって来たエイリアンがいると思った。自分の命をかけてまでブレーキのない自転車に身をまかせて走るメッセジャー。彼等こそ、この地球を救うためにやって来たエンジェルなのではないだろうか。
21世紀のメッセンジャーとは?
マンハッタンを徘徊するメッセンジャーは2000人〜3000人といわれている。このメッセンジャーという職業がいつ生まれたかは定かではないが、時代が生んだ今もっとも注目したい職業であることは確かなことだ。
最近「メッセンジャー・スタイル」という写真集が発売されたのをご存知かな?この写真集を見ると驚かされるのだが。メッセンジャーこそ、この地球を救いにやって来たエイリアンに違いない。こう考えるのは私だけだろうか、、、、、?
彼らは自転車というもっとも原始的な乗り物に乗って、ブルックリンからマンハッタンまで15分もかからずに、車よりも速いスピードで突っ走る。まるで天使の翼を持っているかのように。メッセンジャーたちの体は鍛えられ、目は澄みわたり、とてもやさしい。社会から逃げるのではなく、社会とスレスレの接点を持って生きる。社会から逃げていたのではなにもはじまりはしないのだと。ビート世代が失敗した教えの中から学び、失敗を繰り返さないように生きている。メッセンジャーたちはもう目に見えない第三次世界大戦、それは壊れゆく地球、そう自然との戦いに無言で立ち向かっているかのようだ。「ルールなど持たないルールの中に自由を!」しっかりした自分流で生きているのだ。いつかメッセンジャーたちが通り過ぎていく空気に触れたき、どこからか囁かれた言葉を耳にした。「心ゆくまで走らせて、エネルギーを入れるのは旅の途上!」と。私たちの住む地球において、石油などの化石燃料を掘り起こすことへの「ノー」という絶対的な事実を理解したメッセンジャーたち。彼等のスタイルこそ『正しい未来型』なのだと思う。
ビートニクが、サーファーが、ヒッピーが、エコロジストが、グランジ・キッズが、スケーターが。夢見ることを決して止めないメッセンジャーたちにとって『約束の地』はいつも先の道を示す。メッセンジャーは黄金の精神に満ち溢れている。この壊れよく美しい惑星・地球で今日も心の中に祈りを込めて、希望の種を蒔き続けている。彼らはビートの詩をうたうかのように、ルールの外に自分の立脚点を置きたがるあまのじゃく。生まれたばかりの情報を自分だけの聖書のように伝え歩く。心と美をいつも磨きながら、時間という一番大切なものの中をゆっくりと泳いでいる。宇宙飛行士よりもアドベンチャー精神を持って生きている。錬金術により笑いと愛を持ち続ける。ムービー・スターよりもシャイで、ロック・スターよりも反抗し、こっそり自分の存在の中に価値を見つけ出している。超文明シティに住むものたちの中をスイスイと泳ぎまわるメッセンジャー。その叡智と願いはすべてをひとつの啓示のように都市生活者にメッセージ投げかけてやまない。そこにとどまるロボットのような操り人間たちに大いなる時間の先端を見ることを知らせる。次なる時間の社会、文明、芸術、文化、生活のあり方を問いかける。私たちもメッセンジャーたちに見習い。人生に賢く、社会に強く、愛に素直に、心に忠実に、手を掲げて生きていくことを学ぼう。
メッセンジャーの住む街。
そんなメッセンジャーたちの住む街、ウイリアムズバーグ。彼らはマンハッタンの隣町・ブルックリンのウイリアムズバーグに住んでいる。実際に来てみなければわからないかもしれないが、このウイリアムズバーグに流れる空気は優しい愛と創造のエネルギーに溢れている。すべてが磨かれていないダイヤモンドの原石のように。それはすべての今ある規制概念の外にルールを置き、そのルールの中に自由を求め、人間が人間らしく生きることを体現しているかのようだ。ボーダーを持たないアース・ピープルたちがどこからともなく集まって来て、ポエトリー・リーデイングをやり、ギターのコードで会話してジャムる。そして、光の覚醒の世界へと導いてくれる街。メッセンジャーたちの住む街、ブルックリン・ウイリアムズバーグ。
映画『イージー・ライダー』の中でジャック・ニコルソンが言った。「宇宙人は我々と同じ太陽系の連中だ。しかし、戦争も通過制度もない。指導者も必要としない。高度技術で日常の必要は競争なくして満たされるんだ。何故我々に姿を見せないんだ?地球には指導者がいる。情報の公表は彼ら次第だ。地球にいるエイリアンは全階級の人々に接している。人間が神のように制御できれば、人間は飛躍し進化できるんだ。現体制に与える衝撃を和らげよう」と。そのエイリアンがメッセンジャーなのかもしれない。情報が氾濫する時代の中で、全階層と接し、気づかないように地球をいい方向へ導いている。メッセンジャーたちの世界大会もあるらしい。先日の大会の打ち上げではストリッパーがたくさん来て盛り上がるらしい。とりあえず、楽しそうで目が離せない。
   御供[NEW WORLD NEWS EDOTORS]

ビートな言葉


アメリカは世界有数の消費国家である。
派手に戦争もするけれど、
一方では良心のように消費文化に対する行為に対抗する文化がある。
カウンター・カルチャーだ。
根強く流れている心優しき人々たちが、
自分の土地から追い出される。
路上で放浪させられて飢えに迫られている。
故郷を捨て、
自分たちの進む道をカリフォルニアに見出そうとする。
サンフランシスコのノースビーチに彼らは拠点を置いた。
そこで言葉による革命が生まれた。
ポエトリー・リーデォングによる人間の、
アイディンティティの回復だ。
ビートな言葉はここで生まれた。
この時代に住む人々に大きな影響を与えた。
心ある生き方の水先案内だったのだ。
ビートニクはニューヨークのビレッジに生まれ、
飛び火してカルフォルニア・サンフランシスコで花開いたのだ。
シックス・ギャラリーに集まったビート・ジェネーション。
そこで心の底から沸き上がって来た言葉を発した。
新しいアメリカへのメッセージを詩に載せて、
歌い、確かめ合い、触れ合い、
心から願い、共感していったのだ。
これこそがビートの言葉。
真の人間の言葉となって多くを変えていったのは間違いない。
このビートの言葉は、
現代この東京にも確実に要求されている。
大都会東京に住む人たちは、
迷い寄りどころを求めて止まない。
ビートな言葉が、
もしこの東京で発せられたらいい。
どんなに心から救われることだろう。
詩という形式にとらわれず、
沸き上がる言葉を萌芽のままの状態で発する。
病んだこの大都会東京に必要なのは、
このビートな言葉なのだ。
私は私の心に決めてこのビートな言葉を発する。
これが私にできる唯一のこと。
だから、今日もこうして書いている。
   御供

ベストなこと


いつでもベストなことを考えていたい。
いつでもベストなことをやっていたい。
いつでもベストな場所にいたい。
そうすれば必ず幸せでいられる。
自分がどんな状況の中でも、
自分がどこにいるのか思い悩んでも仕方ない。
生きるってことは、
心の中をポジティブに表現するとこと。
何があっても角度を変えて、
一歩引いて考えてみれば幸せでいられるんだ。
ヘッセの『幸福論』を読み返してみる。
そんな毎日だったらどうしよう。
幸福であるということは、
不幸でないと考えるのは私だけだろうか。
何があってもおかしくないこの『非常時』
『常時』には『常識』が横行するが、
現代は『非常時』だから『非常識』がまかりとおる。
大都会には人口が密集し、
建物が壊されては、どんどんと造られている。
大規模なテナント・ビル。
六本木ヒルズ。
ミッド・タウン。
表参道ヒルズ。
ハリウッドのセットのように造られるハリボテは、
映画の中のワンシーンのような街並みだ。
私はそんな映画のセットの中からぬけだして、
ひとつの人間のひとりの人生として生きたい。
文明の力で、
科学の力で、
人間の英知で、
こんなにも早い時間の流れがあっていいものだろうか。
真の喜びは、
真の人生はこんなものではないはずさ。
豊かな心、
豊かな考え、
豊かなやさしさや思いやりの中で、
育まれていくはずさ。
良かったと思える時間との出会いがある。
大切な小さなことへの正義が失われていくこの世の中で、
ホっとすることの時間の流れを大切にしたい。
そんな自然な流れの中を歩いていこう。
ちょっと角度を変えて、
見方、話し方、考え方を変えればいいことじゃないか。
そして私は私の道の上、
時間の先端を見つめて歩いていこう。
   H.MITOMO

大官山の集い


料理をふるまって、
飲み物を持ち込んで集う。
そして、指輪やらネックレスを品定めして売る会の集い。
個人的な情報から呼び寄せられる。
あてもなく時間もなく集まってくるさみしがりや。
さみしがりやが孤独なわけじゃないけれど、
年を老うごとに大都会という人間の森はさびしさを増す。
それは確かなことだ。
この大都会をあてもなく歩いている。
楽しみを求めて歩いている。
人間のぬくもりを探して歩いている。
コンピュータで至福になるのはホンの一時。
泣いたり、笑ったり、会話をしたりして、
ホットする時間を手に入れる。
大切な時間を手に入れる。
それは仕事かもしれないし、
心の中にある「美」だったりするわけだ。
人間の密集している大都会で、
会ったり話たりするのは限られた少ない人間だ。
たくさんの人間の中で、
人生の中でとても少ないだろう。
だって、地球にはこんなにもたくさんの人間が住んでいる。
ある者は家もなく。
ある者は公園を住処に。
ある者は今、車の中。
もしくは列車や飛行機。
またある者は暖かい家族というものに囲まれて、
週末は美しい妻と子供。
郊外の白い垣根の家でドライマティーニを飲んでいる。
街の中の商店の二階では仲むつまじく、
TVを観ている者もいるだろう。
飛行機の小さな窓から下界を見下ろせば、
それぞれの場所にいろいろな光がある。
赤く輝き人間の性を癒すところ。
ほのかなろうそくの光で瞑想にふけるところ。
蛍光灯の人工的な光の中で勉強している光。
暖め合ったり、
ののしり合ったりしている家々。
たくさんの光の中にたくさんの人生がある。
誰もが願ってそこにいるわけじゃない。
自分が選んでそこに居る人だっているんじゃないかな。
私はこうしてペンを走らせて、
わけのわからぬ散文を書いている。
集いをそうそうと引き上げるとしよう。
「人間の出会いは、実に不可思議なものである」
ある出会いを通して世の中が急に広がったり、
人生が思わぬ方向に動いたりする。
いわば「出会いの連鎖」を誘発していく。
喜びも悲しみも、
そして目前に広がる有様も。
人生のすべては物質であり、
脳の中にある現象でしかすぎないのか。
それでは寂し過ぎる。
もったいない。
私の脳の中は違うものをとらえてやまない。
世界をより深く感じたりする。
物質文化の社会で大量生産された醜いものに、
それにさえも愛情を感じるのだ。
あまのじゃくな私の目で見て欲することを行う。
だって、私はなんにつけても自分の意見を持っている。
さみしがりやではあるが群れたりはしない。
スーツを着て白い車に乗って、
ブランド品など身につけない。
たくさんのものを観て来た私の目は、
あるモノを、そして人間を一瞬で好きになったりする。
受け付けなかったりもする。
そのワガママは仕方ない、
それが私なのだから。
私は社交的のわりには人みしりをする。
エネルギーを磁場のように感じ取るアンテナがある。
人が集まるところにいて的確な言葉をパッと返して、
不思議なチャネラーを感じる。
集うところで、
同時に7人の話を聞いている。
笑いを与えてあげたり、
ひとつひとつに答えたりする。
そんなことをよく考えるよ。
でも、本音を言うとしゃべらないでいることだと解ってる。
世の中に対して「あかんべぇ」と言っているヤツの中にいる。
その方が居ごこちがいいかな。
今はもっとも世の中が頼りない時代だからね。
有名だろうが、無名だろうがかまやしない。
自分の道の上をゆっくりと歩きつづける。
ヒップだと言ってゆるされる雰意気でいたいんだ。
人たちが狭い地球に住んでいても、
すれ違わないのが大都会さ。
東京もいいけれど、
3ヶ月以上いると一回くらいはどこかに出て行きたくなるよ。
ひとりでふらりと旅に出たいな。
知らない街に行って、
満月の夜をさまやいあるくのもいいね。
今は代官山の集いに行こう。
   御供

2010/06/19

心の浄化



やわらかい精神というものを大都会が壊しはじめている。
ちょっとした心の亀裂から入り込んでくる、
人生に対しての不安。
ひとり取り残されたらどうしよう。
私はこう考えているのに社会はどうなんだろう。
私は正しいと考えることに傾きを感じた時に、
とても心が動きはじめる。
ふと気づく、
心を浄化してかからないといけない。
人間同士が許す限りの愛を込めて生きれば、
人間同士が深くつながることができるのに。
ゆっくりとした時間の訪れと、
やさしさと思いやりがあったら浄化されるのに。
人間の今のこの社会は、
人間同士が助け合うことを忘れてしまっていたかのようだ。
そんな錯覚に落ち入る。
もっと信じ合う。
心の浄化でしっかりとつながることができればいい。
心の浄化。
浄化すれば至福に迎えるのに。
  御供  2002/12/9