2010/06/28

場を生きる


環境がよごされている時代に生きるということは、
どういうことを意味するのか?
人間であるということは何を意味するのか?
トランス・パシフィックの現代、
生きる場をどのように決めるべきかを知っている者は少ない。
21世紀という環境危機の中で生きる。
自分の生きる場を知り、決めて、
環境と立ち向かう。
もう一度という。
ヒューマンとノン・ヒューマンを泳ぐように生きる人間。
力強い希望を持って、
生きる喜びを味わうこと。
21世紀という現代に生きる意義とは何か?
人間は生まれた場を持ってはいるが旅立ち、
次なる生きる場を探す。
また、場を持たない人間も生まれている。
太古の昔、
人間は安住しないで暮らしていた。
だが、いつの頃からか、
そう農耕がはじまった頃から人間は定住した。
少し昔、定住こそがいいとされた。
旅をすることが悪とされた時代があった。
場を強く考える時、
人と人の間と書いて人間というようだ。
助け合いながら、
思いやりとやさしさにつつまれた社会があったに違いない。
だからこそ、定住したのだ。
移動する人間の行為が意図的に、
社会的な文化的関係を絶つ行為だと考えられた。
このような考えは権力となった。
その権力によって、
強く社会の正義とされたのだ。
「自由とは歴史の中で、面倒な逃亡とされた時代が長くつづいた」
いつの時代にもマイノリティの中では場を切断することは、
「自由を模索する仲間であると理解され存在したに違いない」
家族や記憶や時間というものから、
連続的な時間の中に身をとうじる。
永遠性を存しないものとして、一過性のものであった。
「空間」と「場所」という概念には、
オーバーラップする概念がある。
「空間」は数学的、物理的な意味を有する。
人間がその中で、移動する枠組みのみを示唆する。
「場所」は人間の日常性を意味する言葉。
「場所」は「空間」に包含されるものであるが、
そこでは生活の蓄積の中から歴史が創造される。
「場所」においてはアイデンティティが形成される。
帰属感や職業が獲得される。
人が通過して行くだけではなく、
日々の生活を重ねる中で記憶が蓄積され、
未来が方向づけられる。
「空間」は地理的な概念として遠くから眺望され、
人間が土地と接触する際具体的である。
「空間」は定住の中で「場所」へと変容していく。
このように場を生きるということは、
確かにいろいろな要素を持つようだ。
   御供    11/12/21


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