2010/05/31

愛すること


まるで違うことをやっているのにひとつの方向を見ている。
キミは私の心の宇宙さ。
愛されるより、愛することさ。
だって、私の心ははりさけそう。
ここに居る今がある。
時間を共有し、共に同じ空気を吸っている。
愛っていったいなんなの?
楽しむことでしょ。
人間が人間を愛することの大切さ。
少しくらい会わなくたって、
気持ちはいつも同じ方向を向いている。
むしろ、その時間の空間が仲を強くすることだってある。
二人が求め合い、愛し合い、
ひとつの屋根の下に暮らすことの難しさ。
白洲次郎は『共同生活のコツは一緒にいる時間を短くすること』と、言った。
ユーミンは23歳で嫁いで30年間、
まあどうにかやっていると言う。
円満の秘訣はハッキリと言っている。
『耐えること』
ユーミンばかりが我慢しているわけではないだろう。
二人が共に生活するということは、
お互いがお互いに必要としているはずだ。
その快適さを知り得ているからに過ぎない。
もちろん金銭的なこともあるだろう。
とにかく赤の他人が違う育ち方をして一緒に暮らす。
そんな二人が上手くやっていく方法はたくさんあるだろう。
相手を理解し、
思いやりを持って接する。
初めて出会った日のことを思い出す。
そうして、歳をとっても一緒にいるという大切な時間の経過。
大切な時間を創造へと向けて行く。
これがもしかしたら、愛と言えるものかもしれない。
愛しいからこそ、憎さが増すことだってある。
相手の気持ちになって寛大な心で対処する。
そして、お互いのルールの中で時間を過ごしていくこと。
ある時は助けられ、ある時は助ける。
そうすれば、長く長く一生の伴侶となる。
幼い頃に出会い、また再会し、
愛する人もいれば。
一度か二度失敗を繰り返しながら成長し、
やっと見つけ合うふたりもいるのである。
愛することの意味は今だ、風の中を舞っている。
今この時点で、そこに一緒にいることが必要不可欠だ。
そう思えば一緒にいればいい。
お互いストレスを溜め込んでやわらかい精神というものに病いを抱くようだったら、
別れればいい。
そんな簡単なことが、
愛のゆくへなのかも知れない。
そして、今日にも赤い糸で結ばれた愛する人と出会うかもしれない。
旅立つ準備をいつもしていること。
大きな波が来た時に、
その波を待ちわびていたかのように乗りこなす。
これが日々続き、
気づいた時にはとても豊かな死を迎え得た。
それが、人生なら、
年老いて天使の翼を持った人間になる。
まわりの人たちに、
やさしい愛を持って偏見を持つことなく接する。
やさしさは勇気ある人間である証なのだ。
私は思う。
私の人生に悔いはない。
なんと楽しい、
波瀾万丈の人生だと思う。
笑って言えることを祈りつつ。
   御供
デニス・ホッパーに捧げる!
74歳までバット・ハートな心で楽しんで生きた彼へ。


2010/05/30

私は言葉に


君は私の心の宇宙さ。
私の見る大空に輝く星だ。
この世界を片目でにらみ、
この世界をさげすむ。
自分の灼熱に燃え尽きる。
私の言葉に嘘はない。
あまりにも単純で幼稚かもしれないが、
嘆きながら、おびただしい犠牲を呑み込む。
古い罪に、新しい罪を重ねながら、
発せられる言葉である。
私は国のない王様のようだ。
誇りに育まれ、
誇りに欺かれる。
私は社会から追放され、
そして今、立ち直りつつある。
私は言葉を声に出さずに発する。
私はモノ言わぬ情熱だ。
家もなく、金もなく、
争うための怒りも持たない。
だが、楽しい時間を過ごす天才でもある。
音も出さず、何も持たず、
旅することで人間と出会う。
これからの時間の先端について語り合う。
私には幾つもの体験から生まれた考えがある。
私にはルールのないルールがある。
私を悩ますものは何もない。
ただ自分の力に病んでいる。
遠い翼に乗って言葉が飛んでいく。
そしてもうひとつ加えられた言葉が、
その後ろを追って流れる。
高まり、逃げていく言葉もある。
ああ、私は泣く子供のように言葉を欲しがった。
私の言葉をつくり出したい。
歓喜の言葉が高まりの中で、
私を未知の世界へ連れて行ってくれる。
いつまでも心に残り、
心はその言葉を味わっている。
子供の頃に私が抱きしめてあこがれ求めた言葉。
それらは今も、私の胸に抱かれ、
私の世界の中に住んでいる。
別の世界から吹き捲くる言葉などものともせずにある。
夜ごと燃え上がる炎のように、
私を引きつけて離さない。
私はこの言葉に恋して止まない。
   御供      11/12/17

2010/05/29

余裕をもとうよ


あくせくと働く人間ども、
自分の立っている位置さえ確認できないでいる。
ひとつの作業に身を投じていたらもう夜。
ベットに倒れるように潜り込んで眠りについたかと思ったら、
もう朝を迎える。
日々の繰り返しの中に、
月日の流れるのも忘れる。
季節の変わり目にも気づかないまま。
お金がないので自由な時間も持てない。
好きなこともできず、
ただあくせくと動き回るだけ。
気づいたら一生の半分を通り過ぎ、
何もしなかったことの嫌悪感の中。
何もできなかったことに悩み出す。
こんなはずじゃなかったと思った時には後の祭り。
やっと手に入れた鳥かごのような家の返済に追われてる。
満員電車にもまれて、
大都会のコンクリート・ジャングルで歯車のように回っているだけの自分を認める。
もうどうしようもできやしない。
いやどうしようもしないだけ。
束の間の週末を家で過ごすと、
疲労のためベットから起き上がれない。
やっと起きたかと思うと家族サービス。
疲れたことを実感する。
どこに余裕があるというのだ。
どうやったら笑う余裕などあろう。
心の余裕。
肉体の余裕。
日々の生活にうるおいを持ちたい。
何に向かっているのかと悩む。
目的意識もない。
必要不可欠な自分だけの時間もない。
楽しみに埋めつくされた余裕を持とう。
人それぞれ違うかもしれないが、
好きなことをやっているという満足できる時間。
充実した時間。
そう時間と余裕は一番大切なものなのだから。
  御供 2000/9/12

信じることって


信じることができなかったら、
何があるというのだい。
矛盾だらけの状態の中、
生きることが闇に包まれる。
人間に必要なすべてを信じられる相手。
なのにその信じるってことに不安を感じる。
だって、どうしようもない時間が続いているのだから。
このやるせなさをどう発散すればいいの。
仕事に没頭しても、
ふとした時間の谷間に頭をよぎるやるせなさ。
こんな気持ちで朝を迎える日が何日続くのだろう。
できることなら、
このやるせなさから逃げ出したい。
でもそれもできない今、
私の頭の中ははちきれんばかりに不安の渦の中。
どうしてこんな気持ちになるのかわからないけれど、
信じることって一番大切なこと。
少しずつ崩れ落ちていくことを思わざるを得ない。
人と人がつながる時、
信頼がなかったら何があるというのだい。
信じるってどういうこと。
ひとりでいるのが怖いから、
信じることを忘れたつもりでいる。
その方が楽だからそうしてる。
それとも自分が信じられないから、
相手を信じない。
まず自分を信じることからじゃないかな。
   御供

子供のような


子供のようなワクワクする好奇心。
私たちに好きなことだけやって、
やりつづけることの素晴らしさを教えてくれる。
ガラクタでもいい、
好きなものを手に入れる喜びは変わらない。
知っていることと、知らないことは同じこと。
だって、知ろうとすれば知ったことになるのだろ。
何を知りたいか、
自分は何に興味を持って生きているのか知りたい。
知りたいことに対して、
自分の態度を決めることが大切だ。
子供のように好奇心いっぱいでね。
本や雑誌に囲まれて暮らし、
私の一日は散歩と雑学で暮れていく。
私の心の地図には、
人間や街や想い出が見える。
それは子供のようにいつまでも持っている。
いつも何かに興味を持ちつづけていけば、
いつも楽しく暮らしていける。
子供のように好奇心を持って生きる。
   御供 2001/2/11
子供のような好奇心をいつまでも。
そうすれば、
いつも楽しく暮らしていける。
人間は何かにつまずいて不安になることもあるけれど、
子供のような心を忘れなければ自由気ままに生きていける。
子供のようにいつも、
何かを知る気持ちがあればきっと楽しく生きられる。
自分らしく生きられる。
子供のような心って、
どうすれば持ちつづけられるのかな。
子供のように何にでも興味を持って、
知ろうとする心を大切にしたい。
そうしてずっと生きて行こう。
   御供 2001/2/12

心の中ではどうにか


世界の一部では人間同士が争っている。
悲惨な時間が流れている。
日本ではみんなが幸せだと確信しているのか。
そんな人が何人いるだろう。
同じアジアの片隅で、
食べ物にも困っているという人がいる。
日本では当たり前のように消費する。
心の中ではどうにかしないといけないと思いながら、
何もしないでぬるま湯につかったかのような生活をしている。
こんなに恵まれているのに心の中はどうにか。
政治には無関心で経済が下降しているにもかかわらず、
バブル時代の生活に自分の首を絞めつづけている。
当たり前のように浪費を繰り返し、
商社はいまだに地球の資源を無駄使いしている。
中味のない形だけのものをいっぱい作り、
金儲けのことだけ考えている。
車屋や電気屋は罪の意識もない。
人の上に立つ者が権力を使って、
弱い者いじめをしているように感じてしまう。
これこそがと信じるものがこの世の中にあるだろうか?
あったとしても信じないそぶり。
傷つけ合うことが怖かった昔は遠い過去のこと。
心の中を覗くことも、
20世紀を振りかえることもしない日本人たちよ。
戦争の辛さ、
核の怖さを繰り返さないで欲しい。
日本のトップは争いをしかけているアメリカに全面的に協力すると言っている。
資金だけの援助なら、
日本の経済がますます悪くなってデフレが起こってしまうのもわかるだろ。
アメリカに真っ先に従うなんて、
未だ植民地のようなことをしている。
本当の心の中はどうなのか。
心の中ではどうにか、
絶対どうにかなるなんて考えている。
どうだろう。
このまま空気が汚染されつづけたら、
人間は生きていけるのか。
ただ、答えは風の中。
  御供

こんなことって


生きているといろいろなことがある。
人間が人間をうたがうっていったいどういうことなんだろう。
自分の気持ちが相手に伝わらないことってよくあるよね。
でも信じ続けたい自分がいる。
どんなことがあっても、
どんな言われ方をしたってかまやしない。
自分は自分の信念の中に、
しっかりと生きているという自信があるから。
でも寂しい時がある。
精一杯のやさしさが伝わらないことだ。
立場を正当化しようとしてごまかしてしまう相手と、
まともに話し合えるのか?
そりゃ誰だって自分がかわいい。
自分の立場をまぎらわすことだってあるに違いない。
でもわからない。
説明のない堂々巡りの会話についていけない。
どうすればいいのかわからない。
世の中を自分から狭くするなんて。
聖人なんていやしない。
誰だって弱さと強さを持っている。
でも正と悪が存在する限り、
正は正であり、悪は悪だと思うんだ。
都合良く考えないで欲しい。
どんな誠意を込めて話し手も聞く耳を持たないなら一緒さ。
こんなことって無意味だよ。
御供  2000/9/6
弱虫に暴力を、女にふるうな。

エネルギー


人間の持つエネルギーはどうやって生まれるのだろう。
それは人間と人間の出会いから、
生まれるものなのかもしれない。
動いているとよくわかる。
街のエネルギーはとても強い。
それは、この街にやって来るたくさんの人々の、
ミックスから生まれるからだ。
人間の文化がミックスされ、
ありとあらゆる知恵や生活様式から生まれるエネルギー。
その違いが相乗効果をなして生まれるエネルギー。
人間に秘められた心の底に湧いてくるエネルギーは、
ちょっと角度を変えるだけで湧き出てくるものなんだ。
やさしさや思いやりという人間の持つ、
激しいエネルギーの中にある見えないパワー。
それが人間を動かす秘めたエネルギーとなってほとばしる。
動け、動き続けて人間を進化させろ。
人間の住むこの社会をいい方向へ持っていけ。
たくさんのエネルギーが交差するこの街は、
ブルックリン・ウイリアムズバーグ。
近くには川が流れ、
豊かなクリエイティブな思考が開花する。
ブルックリンから見るマンハッタンの夜景。
超豪華な光を放ち、すっと建つビルディングを見ていると、
いつかあの光のあるところまで行こう。
と考えるとエネルギーが発せられる。
空気の中にインプットされている隠されたエネルギー、
このエネルギーが溜め込まれる。
そうしていつか日の当たるところへ出る夢を見る。
望んでやまない若いエネルギーを蓄えて、
創造という形で発せられる人間のパワー。
そのエネルギーが流れ、
いろいろなクリエイティブが繰り広げられる。
この街、ウイリアムズバーグ。
毎日の時間の流れはとてもゆっくりで、
自分自身の中に価値を見出す。
ひとつの創造物を仕上げる。
エネルギーが流れるここは、
これからが楽しみなクリエイティブなスポット。
人間の文化が創られているところ。
いろいろな人間の持つエネルギーが交差するところ。
しっかりと見ておくことにしよう。
御供 2002/5/25

ビートとしてのラップ


ラップは20世紀後半のポエトリー・リーディング。
つまり、言葉に帰って来たというわけだ。
リズムに合わせて言葉を発する。
それは黒人音楽におけるパンクだったと言ってもいい。
それはもの凄い勢いで進化した。
人気も集めた。
ライフ・スタイルだったり、
思想だったり、
立場だったり、
歴史だったり、
旅そのものだったりする。
そう、ラップを通して言葉の復活を期待する。
   御供

メディア


メディアの新しさの中を泳いでいる人間。
メディアの木々を切り倒さないでくれ。
原子エネルギーの危険をわかりやすく報じて欲しい。
何故、定期的に書くジャーナリズムがあるんだい。
報じるテーマは小出しにしてくれるな。
安定している社員たちに言いたいものだ。
もっと働け、
もっと遊べ、
もっと創造して欲しい。
アナログ的情報を話題にする雑誌に、
同じダイレクト・メールが届くのはわかるだろ。
他の雑誌を見て企画を立てないでくれ。
パーソナルな情報から、
友人との会話からくる新鮮な嘘のないもの。
そんなコラムにして欲しい。
インテリジェンスを持った友人から得た情報をいち早く発信する。
それが流行をつくり出す。
アンテナを立てよう。
旅をしてアンテナを!
  御供
PS:青春を返してくれ、ハタよ。

ビートパンクスとは


ビートパンクス。
彼らの言葉。
その言葉。
とても多くの言葉。
記述、音楽、美しい言葉。
メロディ、引用。
ドラムの音に注意深く耳を傾ければ、
それはまるで鏡みたい。
彼らは透明。
まるでバック・シートにいるかのよう。
ドアにはハンドルもない。
ただ前には美しいドライバーがいるだけ。
彼女はどこへ行くのか知っている。
写真のように精密な愛でシーンを愛撫した。
情熱的な、
精密的な愛。
誰もが知ってたかのようにうつろぎやすい。
彼らの記憶はシェードを上下させた。
ドアが叩かれる。
荷物が届く。
何かが思いがけず訪れる。
すべてを記憶したメロディをひったくるよう。
ドラムのビートを記憶する。
とても速くいつまでも動いている。
言葉がドラムのステック。
はじき出すドラムのビートを間違いながら、
そう間違いながら。
突然のインスピレーション。
エッジ、コーナー、爆発、対流。
すべては速く、
スローモーションの風景が過ぎる。
そう速くスローモーションの風景が過ぎる。
ビートパンクスとはわからない。
  御供 2003/4/21 11/12/15

新しさ



ハジマリは新しさ。
すべてのことにハジマリがあり、
すべてのことに新しさがやって来る。
角度を少し変えて見ることが大切なこと。
20世紀が完全に閉じてしまった今、
過ぎ去った時間を小さな覗き穴から見てみる。
いろいろな未解決な問題が見えるだろう。
それを拡大してアクションを起こして、新しさを見つける。
いつの時代もこうした先駆者によって当たらしは発見され、
詩や文学によって伝えられる。
その言葉の意味を受けた学者が実験を試みて、
政治家が行動を起こす。
経済がまわる。
人間の密度によって文化が生まれる。
文化は時代が変わろうとしていることを告げる。
詩人が多くの感じたことを書いたとしても、
カタチになるのは10年先、20年先のことである。
あまりに前衛的なことを考えてしまうと、
社会から放り出されてしまう。
アイツは馬鹿だ、おかしいなどと言われ、
相手にされず冷笑される。
新しさはいつも気づかないうちに通り過ぎることもある。
今こうしている時でも、
常に新しさはハジマリ、古くなっていく。
時間は容赦なく色目を使う。
止まることなどせず欲望のごとく動きつづける。
悲しいかな時間と新しさの区別など誰ができよう。
その区別ができる者こそ、
時間の先端を遊び広がる心の中に規制概念を打ち破る。
新しさとハジマリをつくり出すのは数少ない者に違いない。
かつて多くの先ゆく者がその中にいたように、
時代というものは風のように流れる。
私はその風がやさしく気持ちよく、
心にうるおいを与えてくれるものだと信じている。
だから新しさに向かっていつも思考する。
それを現実のものにしようと動きつづけている。
新しさはハジマリ。
いつの時代にも、
その新しさを味方に新しいことが起こる。
はじめよう。
アクションしよう。
もうその時は来ているのだから。
 御供 2002/6/4 11/12/15

2010/05/28

考えること


「ある日の真実が、永遠の真実ではない」と、
あのチェ・ゲバラが言った。
正しいと思ってやって来たことが、
時代と共に背を向けることもあると知った。
私は青春をジャーナリズムという正義にかけていた。
だが、今の雑誌で解るようにそこには真実はない。
まるで、限りなく真実のようなフェイク。
読者を相手に騙し合い。
まるで広告のようになってしまっている雑誌の現実。
私たちが追い求めてきたものは、
いったい何だったのだろう。
嘘で固めたようなことばかり書いてあるメディアを見ていると、
腹が立って仕方がない。
でも、それが当たり前のように育ってきた編集者を、
攻めるわけにはいかないのだ。
時代というものがそうさせたのだから。
私たちの時代は良かったなんて言っていられない。
これからの未来をもっと良いものにしていきたいだけ。
読者だってバカじゃない。
いつまでもメディアやタレントに踊らされてはいないだろう。
コレからが私の出番だ。
一枚の写真と文字の大きな少しの文でいい。
そんな雑誌がその人の人生を変えてしまう。
そんな時代がまた来るんだと思う。
団塊と呼ばれる世代の人たちを含めて、
若い世代もそれを欲している。
善し悪しを見分ける時代がすぐそこまで来ている。
アナログからデジタルに変わる時代に情報はたくさんあり、
それらの情報を選ぶのもまた「個」である。
真の情報を理解した人たちよ。
嘘っぱちのメディアに左右されることはない。
自分の意見を持っていこう。
真の正義に向かって立ち上がろう。
やっと、それに気づいた人たちよ、
これから気づく人たちよ。
手を挙げて、声高らかに歌おう。
私たちのための私たちの歌を。
声よ、言葉よ、天に舞え、
愛と平和を連れといで!
人間として生を受けた原点に立ち戻り、
本当の意味の人間としての生き方をする。
時代は変わっている。
そう「パキッ」と音をたてて変わっているのだ。
他の誰かがいいというのではなく、
白い車が目立たなくていいというのではない。
自分は自分の個性というものを大切に生きて行こう。
社会のために生きたって、
国が私たちを食わせてくれるわけじゃない。
「地球の摂理がすべて理解できたら、宇宙が食わせてくれる」
と、誰かが言ってた。
人間はみな何かを見て変わっていく、
どこかで道を踏みはずすことだってある。
その入口に立った時、
私は戦争で100人殺した英雄にはなりたくない。
地道にモノを創造する人間になりたい。
今夜飛ぶ宇宙飛行士よりも、
大勢の大軍を率いる隊長よりも、
軽々と自分の荷を背負っていることだろう。
「私は戦いに行っている時間はないよ」と言いたい。
一生夢を追いかけて、
一生仕事に情熱を燃やしたい。
私のこぶしは相手を傷つけることをしない。
次なる平和に近づいて生きていたい。
何をやったってそんなに変わるもんじゃない。
だったら、思いっきり楽しんで、
至福への道の上を歩こう。
   御供

自分のやりたいこと


自分のやりたいことを探すのではなく、
やらなくてはいけないものを探すのだ。
精神の自由意志でやっているということ。
移り気な人は才にまかせて次から次へと、
いろいろなことに手を出す。
彼らが何事かを成し遂げた例はない。
いつまでも頭の中で夢想していたのではダメだ。
何もしたことにならない。
何かをやるとき、
必要とされていたり理解されていると感じることが生き甲斐。
仕事についても努力してその効果が上がり、
それを人に認められたときやったことになる。
自分のしたことが社会に明らかに役立ち、
人々に感謝されたときやったことになる。
社会の中で自己の存在を何者かと認められる。
確かに成功は生き甲斐。
だが成功と失敗は表裏一体にある。
成功のみ生き甲斐とする者は、
失意のうちに何もかも失うことになる。
認めてくれる喜びと出会う。
人はそうして楽しい人生を生きる。
それがいい人生。
 H.MITOMO

キューバを手本に





Renewable社会・キューバ

前回、江戸を見習えと言うお話をしました。しかし時代も国家規模も違うため、なかなか参考に出来ないというお話も一方でありました。しかし、過去の理想を現代に実現した国があるのです。

その国はカリブ海に浮かぶ島、キューバです。
1492年にコロンブスが発見したこの国は長年スペインの植民地でしたが、20世紀に入り独立し共産主義国として発展してきました。元々当時のソビエト連邦(現在のロシア)がアメリカの牽制策としてキューバを手厚く保護していたため、国では葉巻と砂糖だけを生産。必要な物資の大半を輸入するという極端な政策を取ってきました。1980年代の食料自給率は40%程度。今の日本と似ていますね。
しかし、ソ連の手厚い保護も1991年のソビエト連邦の崩壊で失い、反面、アメリカには貿易の禁止をはじめとする経済制裁を受けることになり、一気に物 資不足に陥り危機に直面してしまいます。その後、政策の転換を迫られたキューバは大改革を行ったのです。それはどのようなものだったのでしょうか。

キューバ転換の歴史

アメリカによる経済制裁を受けたキューバは深刻な物資不足に。その影響は国民生活を直撃しました。ソ連の保護を受けていた1989年とソ連崩壊後の1992年の一人当たりの一日の摂取カロリーは3100キロカロリーから1860キロカロリーまで激減してしまったのです。
まずは、カストロ議長が国民に向けて非常事態を訴えます。演説でカストロ議長は、深刻な物資不足の現状を説明し、国民に現状の理解を求めました。そして、これまで共産圏諸国に依存してきた状態から自立するための戦略を打ち出しました。
まず、石油がなくなったため自動車は使わず、交通は自転車を使う、そして薬は化学薬品が入ってこないので薬草を国内で栽培しました。そしてエネルギー供給も石油が無いという事で、太陽電池や薪を使い、自然エネルギーに転換しました。さらには都市を「分離型」から「混合型」にし、都心でも空いている土地は畑にして食糧を自給できるようにしました。
そして、これまで自由主義国家に対して開かれていない、閉鎖的な社会だったのを解放し、すべての世界にオープンな社会を作ろうという事を政策として訴えたのです。

革命後のキューバ

キューバ危機に際して、カストロが戦略変更を打ち出し、それでどうなったのでしょうか?代表的な例は医者の数です。日本の医者の数が520人にひとりの割合なのに対して、キューバは168人に一人。国民一人当たりの人数は日本より多いのです。しかも、医療費はすべて無料!キューバは医療先進国で、チェルノブイリ事故の患者の治療を引き受けたりもしています。そして薬は国内で生産した生薬を使用し、必要な医薬品の20%を賄っています。
さらに、共産圏の国に頼る事をやめた戦略により、食料の自給率が上がりました。これにより、首都ハバナの農地・牧場面積は全体の41%(2900ha)にまで増え、有機農法による野菜を100%自給できるまでに高めました。ちなみに東京の農地は、わずか6%。食糧自給率は、1%です。
そして、閉鎖社会から開放社会に転換して、観光も一気に拡大。1990年には国を訪れる観光客の数は30万人だったのが、2000年には6倍の180万人にまで伸び、収入もそれに伴い6倍の18億ドルに。これはGDPの7.3%を占めています(日本は0.08%)。
さらにエネルギーについてもバイオマス、風力発電、水力発電、太陽発電など自給できる資源を急速に拡大してきました。驚いたことにこの大改革、わずか10年で達成したものなのです。

キューバに学ぶ倫理観

わずか10年で達成したキューバ。そのキューバから日本は、何を学ぶべきでしょうか。
まず一番、手本としなければいけないこと・・・それは、政治家や公務員の「倫理」です。民間組織トランスペアレンシー・ジャパンが昨年暮れに発表した「日本の10大汚職・疑惑・腐敗事件」の中で、政治腐敗に関係しているのは、6つもあるのです。
さらに、こうした腐敗の程度を比べた、世界30か国の社会の清浄度順位では、日本は2004年で20位。とても下から10番目でした。逆にキューバを見てみると・・・官僚もすべて自家用自転車で通勤し、国会の議長ですら食料の配給には市民と同じように行列に並び、住宅などの優遇制度もないのです。
また、フィデラル・カストロ、ウラル・カストロ兄弟に次ぐ、ナンバー3の地位の政治家が、海外出張中に外国企業から自由に使用できるクレジットカードを提供されただけで党の除名処分になるほどルールが厳しいのです。また、公務員は同じ犯罪をしても一般国民の2倍の刑罰で、腐敗防止省という、省庁まであるのです。キューバのこうした透明性や公平性こそが国民の意欲を高める良薬なのです。

キューバに学ぶ環境保護

日本では数年前にニッポニア・ニッポンという国の象徴であったトキが絶滅してしまいました。トキと言えば、自然環境に敏感な鳥とされていますが、そのトキの数はキューバでは急速に回復しています。なぜでしょうか。
キューバはあれほど国家の危機を迎えながら、環境保護にも力を入れていて、特に湿原回復に熱心です。キューバの首都ハバナから東側130キロにカリブ地域最大のサパタ湿原があります。その大きさは、45万haで、日本最大の釧路湿原(2万1000ha)の20倍以上。キューバはサパタ湿原を保護するべく2001年、ラムサール(条約多様な生物を育む、湿原や湿地を保護する条約)に加盟しました。
かつて農地として開拓されていましたが、革命直後の1960年から植林を開始。自然回復に努力し始め、2万2500haという釧路湿原に匹敵する面積を自然に戻しました。さらに、この湿原の周囲の農場では、農薬や化学肥料を使用せず、農家の糞尿もバイオガスに変換して、地域のエネルギー源として使うようになったのです。その結果、トキが農業地帯でも。急速に復活しました。
「人は貧しさを憂えず、等しからざるを憂う」という言葉がありますが、キューバを見習い、政治にも環境にもクリーンな社会を作ることが、日本の再生するための重要な条件であるのです。
PS:つくりかけていた雑誌「ストラテジア」の矢部氏のもの。皆さん本当に失礼しました。すみません。

Free


Freeなんてものは架空。
だって人間の社会には多くのルールが存在する。
でも、私は私の道の上を歩いて行く。
Freeなんて言葉は使わなくても、
自分を見つめて生きていれば同じことでしょ。
『自由を語るな、不自由な顔で』
心の中の自由を持っているなら、
自分の体の中に入れるものは自分で決めるべきだ。
誰かはタバコで癌になって死んだ。
誰かは幸せだったのにストレスで逝っちまった。
誰かは多くの時間を持っているのに、
今日食べるものは何もない。
誰かは持ち得るモノすべてを手に入れたのに、
寄り添って生きる人がいない。
時間は無として過ぎて行く。
その欲の中に浸りきって生きている人々よ。
もっと自分らしさを表現しよう。
心の中の世界をポジティブに表現することはFree。
地球上に在るすべてのものに愛を持って接するのもFree。
そこかしこに転がっているFree。
私は私の道の上。
ゆっくりと流れる時間の中に自分だけの価値を見つけ出す。
その黄金を磨き上げる人生こそ、
Free、自由。
ザッツ・オール。
  御供 2003/8/2 11/12/12

心の中の目


余裕で世の中を歩いていく。
まわりなどあまり覗きこんだりせず、
思いっきり自分のしたいことをする。
自分は自分至上主義でいく。
そうすればこの社会はとても面白いもの。
例えば、人間の楽しみSEX。
今の世の中じゃ、
SEXは女の子の方に楽しまれているんじゃないかな。
オープンで何回でもいけるオーガニズム。
男性をあやつる。
もてあそばされたのごとくあやつられる。
楽しみ=いい気持ちで生きている女たちよ。
自分の体を武器にして、
元気にいい気持ちになっている女の子。
大きく心の中の目を開いて工事現場にいる人たちよ。
自分のビジョンを持って次を楽しもう。
ずっとそれじゃ困るだろ。
心の中の目を開いて世の中を見渡せば、
いろいろな面白いことに出会うだろう。
現実はリアル。
若くして金をつかんでいる者もいれば、
それに使われている者もいる。
自分だけの価値と、
世の中の価値でスライドさせようとしている者もいる。
メディアというものの中に本質を見失っている人たちもいる。
心の中をポジティブに表現している者たちよ。
次の世代へ旅しよう。
時間というものの中に価値を見出したいなら、
時空というものを遊んで世界を見よう。
行きたいところへ呼ばれたままに旅をする。
その未知なる喜びの中に入っていこう。
考えられないくらい心地良い風が吹いているに違いない。
心の中の目を持って歩いていこう。
  御供 2003/10/3 11/12/12

サイケデリック


都会に沈む夕陽を見た。
なんとなく輝き、まぶしくもなく、
語りかけもしなかった。
ビルの谷間に沈んで行く夕陽を見た。
ブルーの時間に洗われて出現する朝日が好きだ。
いや、もっとブルーの時間が好きだ。
東京のエアがブルーに見える頃、
ハッピー、ピース、ラブ、生きている。
ゆったりとした生活を感じる。
ブルーの時間は喜びを、
そして静けさを。
人間のぬくもり、
ストーンする至福。
創造への意欲。
この地球に人間として生まれて愛と生活を知る。
社会にあやつられまいと友と語る。
人と人との間を行き来する。
そして旅がはじまる。
この旅は終わりのないピースへの入口。
そして、出会いは愛のはじまり。
静かな時間の流れとLOVEを感じ、
ゆっくりとした進行をPEACEと抱き合う。
この地球にどうして生まれて来たのか考える。
考えをめぐらすのはいつもこのブルーの時間。
「心に来る沈黙」
絶望だらけの東京で至福へのバクハツ。
終わりのない楽しみ。
ひとつの宝は目的、
もうひとつの宝はストーンした時間。
ブルーの時間はサイケデリックな光。
ブルーの時間は甘い香り。
風に吹かれて来るサイケデリックな至福の時間。
   御供 1996/12/26

愛の歌と、この時を


耳を澄ませてごらん。
愛の歌をうたいながら生きていたい。
鏡の中のひとつの愛の歌をうたう喜び。
毎日の生活のリズムの中にやさしい心のうるおいの時。
いくつもの季節の流れの中で、
うったえかける風のように愛の歌をうたう。
時を楽しむようにうたう。
愛の歌をうたうカナリアは素晴らしい。
自由に生きるには、
『うたいながらパンを得る』ことさ。
空気のように、
風のように、
太陽や月の光のように。
自然とともにうたう。
力強く生きていくパワーを持っている。
それを見失ったら人の心などつかめるはずがない。
孤独の哲学者といったシルエットで愛の歌と、この時を。
ボブ・ディランのように社会にメッセージを与える詩。
そんな歌でなければうたう価値などないのか。
いや違うはずさ。
大きな地球の問題に立ち向かう人もいる。
音楽を通して若者の心をとらえるのがいいさ。
TVやラジオで流れる歌が世界を変えることがよくあるよね。
ベトナム戦争の頃のアメリカもそうだった。
ボブ・ディランの歌詞に耳を傾けてはじめて争いのおろかさを知ったに違いない。
金儲けだけのための音楽はもういらない。
男と女の恋の歌はもういらない。
真実を人間社会をうたって欲しい。
音楽に詩が大切なのはもちろんのことだけど、
ファッションにもスポーツにもすべてのものにメッセージが欲しい。
平和と愛という哲学が必要なのはわかるだろ。
人間が人間をリスペクトする方法はいろいろあるけれど、
芸術を通して意識を変える。
そんなアクションこそ世界を救い、
時代に必要なアートだと思う。
心の中にまで強く入り込んでくるアート。
それぞれの芸術が優れたものになればうれしい限りだ。
   御供

眠りの後の


なんとよく眠っていたことだろう。
無の状態で胃の苦痛に耐えながら、
良しも悪しきも無我夢中の状態がつづいた。
今は新しい目覚めのように地球に立っている。
私は私の道の上、
、、、、そして。
私はこうして生きつづけていくだろう。
一番大切な時間のはしごを登りつめ、
爆発の中に大切なものを込めて創造という時間の中におく。
私はとてつもないものをつくり出す。
心の中をポジティブに表現して心の旅を繰り返す。
パワーのある時間の中。
平和と愛と創造の上に自分の時間をおく。
無から生まれる極上の創造力。
こんなパワーが私にあったなんて驚くほどだ。
良きものが生まれる。
心をオープンにしてつきすすむようにつくり出す。
眠りの後の時間。
人生におくれまいと必至になっているのかな。
でもこんなパワーが自分にあることに驚く。
眠りの後の創造の時間は私の中の隠されたパワー。
ゆっくりと歩いて行こう。
   御供 2003/11/25

自分は


自分は夢をみる天使。
今をうたう詩人である。
都会生活の快楽者である。
動きまわる旅人であり、
何につけても自分の意見を持っている。
すべてが無。
すべてが悩みだらけ。
すべが矛盾だらけ。
奇抜の生活よりゆったりとした生活を好みたい。
創造と愛に生きる。
至福に向かって旅をつづける。
この自分はいったい誰。
教えておくれ、天の声よ。
自分は愛を持って世の中のすべてに接する。
心を開いて喜びの声を聞く。
自分はつまずくこともあるが立ち上がる。
そしてまた生きる。
自分は何かを追いつづける。
それがなんなのか自分すらわからない。
でもきっとあるはずさ、
心の目を開いて探し出そう。
豊かな発想と他と違う行動。
標準化することをおそれてる。
日本という社会のシステムに目をつむる。
自分には自分のモラルの上にルールをつくる。
風に吹かれて動きまわり、
風の中に夢を見る。
すべてが無駄。
すべてが無いもの。
でも自分の中には確かにある。
自分は平和や地上の人々に幸せが訪れることを願ってる。
自分の命は自分で守るしかない。
自分の体の中に入れるものは自分で決める。
先きゆく人たちに尊敬を持ち、
時間の先端を見つめている。
自分は自分でありつづけることを実行する。
神をも自分を変えることはできない。
  御供 2003/7/14 11/12/11

路上に再び


心魅かれる風に吹かれて旅に出る。
いつか夢見た甘い香りの大気のやさしさに包まれたくて、
ただひたすらに道の上を進むだけ。
私は私の道の上、
そして、、、、、、。
カルフォルニアのルート1号線を美しい海岸線にそって走り続ける。
若い頃走った道。
何度となく走った思い出の道。
私は思う。
私の人生でもっとも幸福を運んできてくれる道。
この風景に囲まれているだけでいい。
いろいろなことがフラッシュ・バック。
再び私は路上にて。
オン・ロード・アゲイン!
  御供 2003/11/17

都会人よ


片隅に住む人間を人間以下の野蛮人だというのかい。
キミがいう野蛮人は、
我々が足元にも及ばない文明人なの。
何故、我らは苦しむ。
何故だ?
大都会の人間は絶えず苦しみ悩んでる。
嫉妬、財産、金の心配、野望、
種々の不満。
もがきながら汚れた空気を吸っている。
彼らが難なく見つけているものを失いたくないんだ。
甘受な心。
穏やかな心。
信頼、他人への驚異。
我々とは大きく違う。
我々がとっくに忘れているものを、
彼らは持ちつづけている。
汚れなき心を真の優れた芸術家のごとく。
南の島の芸術性は造ろうと思っても都会では造れない。
今の時代も地の果ての南の島にはたくさんの人間の心が残っている。
豊かな時間が残っている。
恵みの雨を感じたり、
SOSの出ていない綺麗な空気を吸っている。
心の豊かさを感じて生きている。
オープンな心とやさしさという黄金を持っている。
都会人よ、
もう一度考える時が来たようだ。
   御供 2003/4/6

2010/05/27

連帯感


人間の意識を変える音楽。
ひとつのつながりを訴える言葉。
これらがタイミングよくMIXする時、
世界は少しずつ進化して行くことに気づくだろう。
音は一瞬にして人間の意識を変えてくれる。
さて青春とはいったいなんだろう。
その答えは人それぞれ違うだろう。
ひとりひとりの体の中にリズムがある。
このリズムが生活の音として響きだす時、
音は音楽へと変わる。
人間の生活の中にやさしい時間うるおいの時をもたらしてくれる。
リラックスできる時間の流れの中で自然体の生活は規則正しいリズムから生まれる。
それを知ってこそはじまる人間らしい生活。
音という雑多な音の中に生まれる。
豊かなメロディ。
心地良いリズムは幸せの空気が飛び交い存在する。
喜びと楽しみを与えてくれる。
生活のリズムはひとりひとりのリズムのパラドックス。
心の中のゆとりこそ、
止まった時間のようにうるおいの時。
この音、リズム、音楽こそ、
しゃれたおもちゃのように人生を楽しませてくれる。
天からの贈り物。
音に敏感になるということは社会をよく見ることと似ている。
自分の好きな音楽の中に身をまかせて生きていこう。
地球、そして宇宙と共に!
  御供 2003/6/14 1999/2/9

心の中をみる


私はじっとしている。
心の中をみるひまもない。
でも、私は心の中をみる。
私は私で私の中をみる。
もう、何も考えられないほどじっとしている。
しかし、私はみることができない。
私は心の中をみることができない。
変わらない私でいることが私だ。
そして、今私に必要なもの。
それは数本の煙草と酒だ。
こんなことは人間である私だけが言えることだ。
犬からみたら、こんなことは言えないだろうから。
フンして、吠えるだけのこと。
でも、犬でも人間でも思いは一緒。
何をしてもいいというわけじゃない。
私は心の中をみる。
みたいと思うからみる。
私はみるエピソードもない。
人に語るほどの武勇伝もない。
若いときには、そのような物語を持っているものに憧れた。
器が大きく見えるからだ。
自分を特権化したいのだ。
だが、私にはエピソードはない。
エピソードはその人となりを簡単に飾る物語なのだ。
たぶん、脚色されていることが多いが、それで平凡を超えよう。
それによって、小さな英雄になり、
面白い人間になったり、
異常な世界をかいま見た体験者になったりする。
彼が生きて来た人生と、
その世界が生きた彼という人物自身を色彩が帯びる。
うぬぼれはあっていいと思うが、
それを他人にみせようとするのは余計なことである。
うぬぼれのない自分は逆に危ない。
自信には根拠がある。
うぬぼれにはそれがない。
こんなことを考えて心の中をよみたいなどとよく思う。
まあ、明日からはちょっと違った方向からみられるかな。
心の中を読むことができたなら、
こんなことは考えないだろうに。
自分を振り返った時、
やっと何かが生まれる。
そうでもしないと形ができない。
こんなことを考えているときが一番幸せである。
そう考えをまとめて、終わりとしよう。
   御供

心ゆくまで


何をやったって成功などない。
何をやったって失敗などない。
消費文明の社会で心ゆくまでやり遂げたとしても、
それは砂上の城でしかない。
ひとつのことで一生を、楽しんで生活できるなんて思わない。
もしそれが現実にあるとしたら、
よほど悪いことをしてお金をためこむことだけだ。
そうしない限り、
稼いでも稼いでもなくなってしまうのだから。
何がセレブだ。
くそくらえ。
格好つけたって、
もがき、あがいている砂上の城でしかないじゃないか。
一発当ててやろうなどと考えること事態おかしい。
着実にこつこつとやっていくことさ。
自分だけの小さな城を築いて、
いい仲間をたくさん呼んで楽しむことさ。
目的を持つなっていっているんじゃない。
目標を持つことはいいことさ。
この社会のすべては無。
だから時代が味方して楽しむこともできると思うんだ。
そう信じて生きていこう。
明るい未来があると思うことさ。
そうすれば、すべて許される。
   御供

心無しか


心を呼ぶ声が聞こえる。
どこから湧いて来るのかわからない雑音と共に、
心に呼びかける声が聞こえてくる。
奥底まで震えるような声がひびいてくる。
どこから聞こえてくるのかわからない大きな声。
誰の声とも想像のつかぬこの声に引き寄せられて、
人間の心は上へ下へと揺りかごのように動きつづける。
心に呼びかける声は、はしゃぎ、踊り、狂い、悲しみ、喜び、
多くの魂を集めてひびいてくる。
どこからとこなく聞こえて心無しか消えていってしまう。
耳の奥に跡形もなく無くなってしまう。
精神下の声。
生きていくための魂の叫びのような声。
心の声はいつも風と共に私の耳に届く。
そんな時、多くのことを考える。
こんな社会の渦の中にいて私は幸せなのか?
アジアという世界の片隅で心の叫びの声を聞く時、
大きな矛盾と葛藤が入り交じる。
私の心は燃える。
突き動かされるかのように旅に出る。
あても無い旅は生きるという行為とともにある。
喜びの声とや楽しみの声となって心無しか訪れる。
一瞬の一時の中に、笑いながら押し入って来る。
目はモノを語らず、
口は何も開かずにいる。
耳はどの世界も聞かずして心無しかそっと忍び寄る。
私は必至でやさしい出会いを夢見て眠りつづける。
乾ききった空気を肌に感じて、
冷えきった風と共に動きつづける心の内面下。
音によって呼びもどされる。
光によって導かれる。
今になって目が覚め、
未知なるものに真っすぐ進む。
この動きはもう決まっている。
運命のように私を突き動かす。
神が決めたものでなく。
国が決めるものでもなく。
私は私自身の中に心無しか思うことがすべてを支配する。
そうわかっていても、
納得いかぬ暗い影によって謎とされているもの。
心の奥深くに秘そんでいる得体もしれないもの。
声は再び天高くから舞い降りてくる。
瞬間、瞬間を刻むようにして亀裂の破れ目から入り込んでくる。
どうしてふせぐことなどできよう。
私はただひとりの人間でしかないのだ。
心の声とはいったい誰が聞かせてくれるものなのか?
少し考えてわかってきた。
向かう方向を見失わなければ、それでいい。
心は正しく豊かに生まれ変わる。
恐怖のどん底から私ははい上がることをしっかりと知る。
心を元にもどす。
あるもの思いにふける時、
今ままでにもあったかのように繰り返されていく。
よりによって思いもよらない考えの中から、
未解決な問題がひとつひとつ解決に導かれる。
問題が解きあかされていく。
光は多くのものを明白にして心無しか消えていく。
この消えてしまったものを誰も考えない時が来る。
うれしい沈黙とともにゆるやかな時間が訪れる。
私は生きる喜びを知る。
生きているのに理由などいるか。
理由があるから生きるのか。
   H.MITOMO

思い立って


いつだって時間は待ってはくれない。
時間を几帳面に使って、
約束を守り、
人を裏切らない。
それは人間の基本だと思うのだが。
それが以外にできないでいるヤツが多い。
こんな世の中だから、
思い立って衝動的に何かをやる。
いつ何が起こってもおかしくない世の中だ。
諦めているに違いない。
諦めている人間ほど、対処にこまる人間はいない。
捨て身はとても怖いのだ。
テロを思い出してごらん。
毎日アメリカの空爆に悩まされて両親を殺され、
飲まず食わずの生活を強いられた人間。
アメリカに好意を抱くわけがない。
そんな人間はなんだって捨て身でしてしまう。
そうすれば、英雄としてあつかわれ兄弟は助かるのだから。
明日がないと考えた、
なんの夢も抱かなくなった人間ほど怖いものはない。
腕っ節にどんなに自身があったって、
上には上がいるんだよ。
ピストルがあったらどうするの?
喧嘩はどっちにしてもやらない方がいい。
人間同士は仲良くやらなかったらいけない。
思い立ってやけになったらいい方向に行くわけがない。
思い立って、動かされる行動ほど怖いものはない。
優しさがアダになって戻ってくることだってある。
あの時はあれで良かったんだと後でわかることもある。
社会なんてそんなもの。
その時の立場と権力ですべてのものが支配される。
賢くずる賢い者が正しい弱者をいじめる。
この地球を少しでも良い社会にするためには、
良いリーダーとヒーローが必要だ。
彼らが誕生することを祈ろう。
私は新しいヒーローが出てくることを願ってる。
地球を救うヒーロー。
そう、心から願ってやまない。
   御供

急ぐことはない


ゆっくり楽しんで歩いて行こう。
そんなに急いだって仕方のないことさ。
みんなと手をつないで、
あの坂を越えるんだ。
そうすれば何かいいことがあるはずさ。
ゆっくりと足踏みならして、
手をかかげて歩いて行こう。
都会という人間の森。
豊かな自然の道。
人生にはいろいろな道が待っている。
しっかりと大地に足をつけて歩いていけば、
何か目的が見えるはずさ。
心の中に火をつける。
情熱や愛という型のないものに必至になる。
精神がともなわなければいけない。
生まれて死んで行くのに理由などいらない。
私は知っている。
宇宙人はもう人間の社会のどの階層にも入り込んでいる。
だがまだ誰も気づいていない。
気づいたら、パニックになってしまうから。
輝く太陽を求めて進み出そう。
明日かならず太陽は昇るのだから。
太陽のおおらかな恵みを感じることができたら、
幸せの中に飛び込んだようなもの。
人間はそんなに急がないで進むべきなんだ。
心の中をポジチィブに表現して前を見て歩こう。
明るい明日が見えてくるじゃないか。
私は私の道の上、
そして時間の先端を見つめて生きる。
心に来る沈黙を、心に抱いて!
ゆっくりと急がずに歩いて行こう。
きっとこの先には楽しいことが待っているはず。
   H.MITOMO

2010/05/26

よみがえる


私は私の体の中に燃え上がる炎を見た。
それは文化というものへのうれしい挑戦。
武器を持たず、
相手を傷つけることをしない平和への至福。
アートという型で地球の人々に呼びかける。
何が平和なのかわかったもんじゃない。
でも戦いは楽しくないことを知って欲しい。
この丸い地球に住む人間同士が争って何になるというのだ。
心の平和。
『心の平和は時期を忘れた時期にやって来る』
人類の文化が未開発な頃、
みんなで助け合ったあの頃を思い出そう。
よみがえれ、人間の心。
よみがえれ、助け合いの心。
みんな一緒さゲット・ツゲザー。
楽しい時間を共有しよう。
争いに勝つことは人間の本質に負けたんだ。
人間の本質が何かなんてわからないけどね。
   御供 2004/2/23 11/12/10

地球の片隅で


人間はひとりで生まれて来たわけじゃない。
人間はひとりで生きているわけじゃない。
南極の上でひとりで住んでいるわけじゃない。
そう人間は助け合い、
肩を寄せあって生きているだけなんだ。
誰かが言ってた。
「俺は自由に生きてるんだ」と、
「自由に生きてるなんてわかるなんて、なんて不自由なんだろう」
自由に生きるってどういうことなんだろう。
人間を愛するっていったいどういうことなんだろう。
だってどこから来てどこへ行くのかもわからないのに。
あの坂を越えて、
あの夜をこえて、
みんないっしょさ楽しくやろう。
みんなでそこまで行こう。
未来は太陽のように輝いているじゃないか。
自分の心の中に宝を持とう。
ひとりじゃないんだ。
この地球という人間の森で、
みんなで力を合わせて生きているんだ。
よくアイツはすごい、すごいヤツだなんて言うよね。
でも人間同士そんなに変わるもんじゃない。
大切なのは心の中をポジティブに表現することじゃないかな。
愛するっていったいなんなの?
相手の気持ちになって相手のことを考える。
いっしょに楽しむこと。
そういうことでしょ。
地球の片隅で生きていくのに一番大切なことじゃないのかな。
  H・MITOMO

好み


虫が怖いと誰かが言った。
砂漠では虫の大群が来ると生き延びられるという。
現代社会では虫を殺したり、
薬の副作用の中に苦しむ。
人はたくさんのものを手に入れると欲という病いにかかる。
やわらかい精神というものを侵される。
何かに癒しを求めて精神の世界をさまよう。
好むと好まざるして、
人間は生まれて来るものなんだ。
だが、好まざる世界でも好みに向かって生きる。
ひとりひとりの人間の誰もが好みを持っている。
好き嫌いで判断し飛び込んでいくもの。
社会に従っていい子でいるのもいい。
あまのじゃくな心でハイになるのもいい。
でも、必ず生きてやる。
何かに脅かされて、
偽善で生きるなんてできやしない。
今日も好きなものを選んで生きて行こう。
好き嫌いの激しい私は好きなものに囲まれて生きていたい。
   御供

始まり



大きな声で笑って歩いて行こう。
思いっきり陽気な歌を口ずさもう。
大空の白い雲が私に微笑みかける。
[山羊に引かれて歩いて行こう]
顔にはおだやかな笑いを浮かべて、
いつもこうして、ニコッと笑いながら歩いていたい。
どんなに時代が変わっていこうと、
心は涙が出るほど素晴らしい。
すべてを時代のせいにして!
澄ました顔をしていられるかい。
自分の歌を自分の声で歌っていこう。
こんな具合でどうかな?
素晴らしいだろう。
素敵だろう。
その歌を詩に書いておこう。
これからの都会に住む人たちが読めるように書いておこう。
すべて地球のせいにして!
私は私のこの時を、
自分のために楽しむことを考え出している。
無邪気に何も考えずにいちばんやりたいことをやる。
手に持った洒落たペンを取り出して詩を書き始める。
汚れた空気を浄化するようにすらすらと字が並ぶ。
きれいな空気になったみたい。
時代のみんなも吸えるように、
楽しく笑いのある詩を書いていこう。
ポジティブ・インパクト。
みんなが気がついて、
少しでも始めようと思うように。
噓偽りなく自分の言葉で書きたいんだ。
そりゃ、誰だって落ちこむさ。
こんな都会にも風が吹き雨が降る。
気がめいることばかりだけど、
きっと、また輝く太陽が昇るはずさ。
光輝く太陽の下ではしゃぐ日が来る。
何も考えずに、体を動かして泥んこになって遊べ。
疲れ果てるまで動きまわって友をつくれ。
何でも一緒にできる友。
楽しみも悲しみも、
苦しみも笑いも、
共に語り合える本当の友が必要だ。
そうすれば、何かが始まる。
もう、見えるだろ。
そこまで来ているんだ。
明るい、始まりの時が来る。
少し角度を変えて考える。
今夜は早めにぐっすりと寝ておこう。
朝、目が覚めた時には気分も変わる。
大きく変化している自分と会える。
始まりの時を迎える。
そう、今こそ最初の一歩を歩き始めよう。
   御供

ゲストハウス


このところ東京周辺の住宅事情が変わりつつあるのをご存知だろうか?部屋を借りるのに保証人、敷金、礼金、不動産の手数料、そして前家賃と7万円の部屋を借りるのになんと42万円。
だがゲストハウスは、保証人ナシ、デポジットは預け金として3万円。それに一ヶ月の部屋代7万円、なんと10万円で住めるわけだ。しかもTV付き、冷蔵庫も付き、インターネット使用可能。台所、シャワー、ランドリーなどは共同が多いが、契約を済ませば、その日から住めるのだ。寝具はある。
もし、人生が旅だというのなら、このゲストハウスを利用しない手はない。ちょっと郊外に安価なゲストハウスが多いが、どうせなら都心をススメたい。
去年日本に訪れた旅行客は80万人だと言われているが、都心の外人用ゲストハウスは多種多様な人種が集まっていて情報交換の場所となっている。ここに住むことによっていろいろな事が考えられ、友達をつくってネットワークもできる。心を開いて飛び込んでいけば、人生のいい勉強になること間違いなしだ。
私も一、二ヶ月住んでみようかと考えている。外人用のフリーペーパーやインターネットで探せばいろいろなゲストハウスが選べるはずだ。飽き飽きしている毎日がそんな旅のような空間。ものが何もない空間。東京にいながらにして旅しているような毎日でひとつ長文にでも挑戦して書いてみようかと考えている。旅先のつもりで全神経を集中して、私は私の時間を発見してみようかと考えているわけだ。まるで東京が違った角度から見えるんじゃないかな。
   H.MITOMO

古着王国である日本


今や世界中から日本に集められてきた古着。とくにデニムや軍ものに関しては、東京原宿ほど世界中どこを探してもぬきにでる街はない。その品揃えと値段の安さに驚く。一時ビィンテージものが流行った時にはどうなるものかと、少し気味が悪かった。いまだに人気のあるもので高価なものはあるが、角度を変えて探せばいい時代のいい臭いのする服がたくさんある。
先日、ダウンジャケット¥3800。これはそんなに古くはないがエディ・バウァー社がモノ創りに真剣に取り組んでいた頃のダウンで芯のない良質のものを使用していた80年代もの。良く考えられた機能的なデザイン。またコーディロイのベスト¥500。決めは40年代のモノだろうプルオーバーの襟のやや大きめの赤のウール・シャツ、なんと¥780。現代ではこの素材は絶対に創ることができない。だってミシンがない。しっかり仕上げ、着やすさ暖かさといったら文句なし。色は真っ赤で前ジップ。私のお気に入りのアイテムの一着である。タグをみるとたぶん小さなテーラードの店であろうと思われるが、ポケットの位置。長袖で袖の先にはボタンがふたつ。なにしろ着ていて楽だし丈夫だし、やわらかくて暖かい。コンディションもいい。ほつれやダメージもない見つけもの。
どうみても日本は世界で一番の古着王国である。本場アメリカよりも数多くいろいろな古着がところ狭しと並べてある。見る人が見れば宝の山といったところだろう。
   御供秀彦

かぶれは30年前にはじまった


今年で<ビームス>は30周年を迎え、帝国ホテルの大広間で盛大なパーティをやった。ちょうど時期をおなじくして、アメ横に<MIURA&サンズ>後のシップスができ、ポパイの創刊も同じ頃だ。
今まで石津謙介氏の<VAN>というブランドの洋服を通して、アメリカ気分になっていたお洒落な若者たち。メンズクラブの別冊<TAKE IVY>という写真集で、リアルなアメリカのIVYリーグと呼ばれる大学の校内を歩く学生の写真を目の当たりにした。当時こんな写真はとても貴重で<TAKE IVY>を見本にアイビー・ファッションを勉強したものだ。
マドラス・チェックのボタンダウン・シャツにウインドブレーカー、そしてヒザ丈ぐらいのバミュウダー・ショーツ。足元はコインローファー<何かの時に親に電話をかけられるようにワンペニーを靴の先に入れておいたと聞いたことがある。またローファーとは『なまけ者』という意味があり、ヒモを使わずすっぽり履ける靴というものらしい。>キャンパスを歩くアイビー・リーグの学生は血スジも良く、勉学に励む学生たち。その格好にみなあこがれたものだ。脇に厚い本をかかえ、校舎から図書館へさっそうと歩く姿は私たち日本人にとってとても素敵に見えた。学生はみな母校のトレーナーを着て、スタジアム・ジャンバーは母校のマークが刺繍してあった。頭は7.3と呼ばれる短く清潔感のあるクルー・カット。そうJ.F・ケネディのあれである。
アイビーリーグにあこがれ、その学生でもないのにマーク入りのTシャツを着る日本の若者のなんと滑稽に見えたことだろう。しかしなんでもそうだが、ものまねからはじまり、やがてそれが本物を通りこすことだってある。あるんじゃないかな。
『ファッションとは一瞬であり、かぶれ<スタイル>とは一生つづくものである』
ビームスもシップスもポパイも、みなアメリカにかぶれた者たちの集合体と言っても過言ではない。
今でいうあの手のセレクトショップは、外国にまで買い付けに行って少量だが本物を扱う店である。もちろんそれをいち早くはじめたのはSTRATEGIAの油井氏の<スポーツ・トレイン>である。1972年、34年前にLLビーンなどのアウトドアものや服を扱っていたのだから驚くかぎりだ。
アイビー御用達の<ブルックス・ブラザース>や<J・プレス>は今や日本の企業の手によるものになってしまったが、オールド・スクールが流行り出した頃から、また気になるアイテムになっていることは確かだ。また団塊の世代と呼ばれる人たちは、まだまだネイビー・ブレザーにチノパンという人たちも多く変わらないのには頭が下がる。
アイビーにはいろいろな着こなしのルールがあり、お坊ちゃん風に決めないと似合わない。清潔感溢れ、また良家出身で頭がいいというのが条件なのだ。そこで『田舎ムラサキ、偽アイビー』という言葉がある。ムラサキは高貴な色で、品がともなわなければ似合わないという意味らしいが、そんな決めつけが当時は嬉しかった時代でもあったようだ。
話は少しずれたが、なにしろ30年前からこのようなかぶれていた。初めてひとりでスポーツ・カーに乗ったようであるようだ。
  御供秀彦<二ユー ワールド 二ュース エディターズ>

J・M・バスキアが死んだわけ?


ポップ・アートの旗手ジャン・ ミッシェル・ バスキアが亡くなって何年が経つだろう。黒人であるがためにモテハヤされたと言う人もいるが、彼は確かに天才画家だった。根っから絵を描くことが好きで描いて描いて描きまくって、駆け足で死んで逝った。
こんな話があるが、あなたは信じるかな?80年代私たちはNYで遊んでいた。イーストヴィレッジのジョン・ ルーリーのところにたくさんの悪たちが集まってDRUGSに時間を費やしていた。そこにはウィリアム・ ディフォー、マット・ ディロンの兄ポール・ ディロン、ジャム・ ジャーミッシュ他にもいろいろな連中が遊んでいた。マリファナ、コケイン、をメインに週末はカプセルのエクスタシー<MDMA>、スペシュルKなどでナイト・クラビング。
だが、DRUGSはエスカレートするものである。誰彼となくヘロイン(ブラウン・シュガー)を手に入れてきた。ジョンと私の数人はすぐにはまった。一日に二回〜三回はアベニューBまでピックアップに行ったものだ。
そんな時、バスキアは言った。『ヘロインをやるヤツは友だちじゃない』と、みんな必至でヤメようとした。イースト・ビィレッジまで行ってDRUGSTOREで小さな瓶に入ったコデインを買いソレで必至にヤメようとした。副作用で今度はコデインの中毒になってしまったほどだ。やっとぬけた頃、今度はバスキアがはまり出した。あんな事を言った手前、隠れてやっていた。ヘロインというものはひとりでやるとやばい。
彼はその頃、絵が売れ出してお金が手元にあった。いくらだって買う事ができる。コークのように見せかけたヘロイン<ナンバー5=これは白い粉>をやっていた。これは純度が高くとても危険なものだ。隠れてこんなものをやったら大変。だからあげくの果てはドープしてしまった。DRUGSのなかでもヘロインだけは別ものだ。ジャンキーというのはヘロインだけの中毒者のことを言うらしい。致死量があるのもコレだけで、あとは大丈夫ということだ。
なんでもそうだが、みんなで楽しんでやっているうちはいい。ひとりでやりだすとまずい。うそだと思ってもいい。ただ言えることは実際に起きた事件だという事実。私が言えるのは、80年代のクレイジーだった頃のニューヨークのこんなことを繰り返してほしくないだけだ。信じてほしい。御供

教育者にプライドを!


文部省の授業はつまらない。美しい地球のKEEPするには人間としての正しい教えが必要だ。教科書には書いてない。教育者である先生たちにプライドを持たせるべきだ。プライドとはアメリカの合理主義で言えばお金と名声だ。週休3日で月給100万円と名声を与えるという条件はどうだろう。
これから生まれてくる子供たちにいい教育が受けさせることができれば、社会は良くなり、美しい青い惑星地球はKEEPされる。
中途半端な先生が多すぎる。みんなが悪いと言うのではない。いやいや先生になる先生が多すぎるのだ。先生たちは休日の自分の時間のことと、酒を飲むことぐらいしか考えていない。
私の子供が小さい頃、こんなことがあった。息子は真剣に質問してきた。『ネエ、父さん血は汚いの』先生がそう言ったと言うのだ。子供だから聞き違いはすると思うが、そう理解してしまうような教え方は良くない。エイズなどの病気があって血は汚くなることもあるということなのだろう。私は息子に言った。『じゃあ、お前友だちが血を出していたら助けないのか?助けてもらいたくないのか』『助けるよ』そうだろう。先生にもう一度聞いてみなさい。『血は汚くなることもあるの?』と。
DRUGSの問題についてもそうだ。はやくリーガルにしてタバコや酒のように税金をとって、その利益を正しい教育に使う。正しいDRUGSの使い方を教えればもっとトラブルも減り、明るい飛びができるに違いない。
確かに文部省の教育はつまらない。新しいカリキュラムを組むべきだ。『人生は旅である』旅というものを授業に取り入れるべきだ。奨学金を出して好きなところへ行かせ、そこでの生活をレポートにまとめる。こんなカリキュラムはどうだろう。人生を豊かに楽しくする授業があったら、もう一度学生をやりたいものだ。そんな会話を仲のいい友だちと、旅の途上でよくしたものだ。御供

2010/05/25

子供たちに幸せを


母は我が子を無条件で愛するものである。
私は絶対的に愛されていた。
これは何千年の昔から変わらない。
人が愛というものを知るのはこの母の愛からである。
しかし、幼い時にこの母の愛と、
社会的に生きる父の愛がともなわなえばいい。
そうでなければ子供は自己中心の状態の中に閉じ込められる。
社会のルールの学習。
他者への認識。
共に生きる原則。
世の中はその人が何をしたかのみ評価する。
本当にそうなのだろうか。
子供は父親を通じて学ばなければならない。
これはある意味で抑制と断念を学ぶことである。
この過剰時代にあって最も難しいこと。
抑制と断念を学ぶことである。
子供たちが欲しがる魅力的な商品はいたるところに溢れている。
それを買い与えることは親にとって少しも難しくない。
むしろ買い与える方が容易なのだ。
ルソーは言う。
『子供を不幸にする一番確実な方法は何か?それはあなた方が知っているだろうが、それはいつでもどこでもなんでも手に入れられるようにしてやることだ』
子供は夢中になったものを容易く手に入れる。
成長とともにそれは忘れ去られ、
ゴミの山となっていくという事実。
そしてある日、下校して子供たちは母に言う。
『あの子はコンピューター・ゲームを買ってもらった』
子供は買ってくれといっているのではない。
だがその頃の歳頃は、
夢中になって子供心に新たに火がついているものを欲しがる。
それを明暸に語っているだけなのだ。
流行なものを買い与えれば、
現代社会の生産=消費の悪循環の中に組み入れられる。
そして買い与え、
子供の欲望の肥土に手を貸す。
大きくなるにつれて欲しがるものは、
パソコンになり、
AV機器になり、車になりーーーーーーーーーー。
『拒絶に慣れていない子供は欲しいものが手に入らないということを、拒絶したことを一層辛く考えることになる』
そして親に反発するのである。
大部分の贅沢なもの。
多くのいわゆる人生の慰安物は人類の向上について不可欠でない。
積極的な妨害物なのである。
贅沢と慰安に関して異論はある。
最も賢い人々は貧乏人より、
もっと簡素でモノに頼らない生き方をしている。
ソローは言う。
『人間が生きるには何が必要で何が必要でないかを徹底的に考えるんだ』
一時期彼は都市を捨てて森にこもった。
家を作り、すべて自給自足の生活をやってのけた。
そして生について思索を深めた。
『子供がそれだけ多くのものを持てば、それだけ多くの生命は疎外される』
人々が夢中になって騒ぐものはたいしたものではない。
それを手に入れるために躍起になって奇走するーーーー。
そうしたことは子供たちにとって何の幸福ももたらさない。
奔放している時は、
渇望するもに幸福があると思っているけれど、
それが手に入るやいなや幸福に終止符をうつ。
再びそわそわしはじめ、
まだ手に入れていないものを欲しがる。
人が持っていればうらやましがる。
心の平安はいたずらな欲望の充足によって生じるものではない。
反対にそうした欲望の棄権によって生じるものである。
真実であると確信したいなら、
そうした虚しい欲望を満足させてみたらいい。
キミが今日まで注いできた努力を半分でもいいから、
それらの欲望からの脱却に注いでみるがいい。
キミはまもなく、
多くの平安と幸福を獲得できることを発見しよう。
所有は人を欲望の悪循環の中に投げ込むだけである。
それにはこれで満足という限度がない。
所有することではなくいかにあるかということ。
子供たちは最も関心をはらわなければならない。
とくに、現代社会においてそうだと言える。
子供たちに幸せを。
   H.MITOMO
PS:ブータンで言う幸福度に似ている。

人生のゆくえ


たくさんの時間を生きているとたくさんの人間に出会う。
真実とは言えないが、
精一杯生きている者がいることを知る。
いつも不快な気分にさせられることがある。
自分のことだけ考えて、
他人の立場になって物事を考えないヤツがいる。
悪態をつくヤツ。
とても自分勝手で生意気で弱虫のヤツ。
世の中を悲観的に見て、
メールというツールで自分のことを棚に上げる。
たくさんのでたらめを書く。
自分の都合で他人を気分悪くさせるヤツ。
許せない。
   御供

何になりたい


大人になったら、何になりたい。
死がせまったら、何をやりたい。
人生という道は長くはかない。
道はつづき曲がりくねっている。
そして、まばゆいものだ。
だがそこに、行き着けるかどうか。
目の前にした今を精一杯生きる。
そうすれば満足のいく人生が待っている。
心おきない人生を生きて行こう。
もう後戻りはできないのだから。
子供の心のままで、
無鉄砲に遊び心いっぱいで楽しもう。
何になるか決めてなれるものは少ない。
なれる者は選ばれている者だ。
みな自然自然に大きくなっていって、
気づいたら大人になっている。
人間の一生なんて、
この銀河系の光に比べたらとても短いものさ。
何になりたいか?
と聞かれたら、ハッキリ答えられる者は少ない。
でも、少しでもそれに向かって歩いて行こう。
そうすれば、
人間は生きる糧を得ることになる。
人間はそうしながら大人になっていく。
ひとつの人生を終えるんだ。
   H.MITOMO

出会い


人間と人間が出会うのに何の意味もいらない。
ただ同じ時間と同じ空間があるだけ。
時間の小舟に乗って音の粒子を浴びて、
光の世界へ飛び込んで行く。
かならず素晴らしいダイアモンドのような出会いが生まれる。
自分の興味や趣味によって引かれていった空間。
そこに思いかけず素晴らしい出会いが待ち受けている。
出会いとはそんなたわいもないもの。
心なしか不自然なことの中にやって来る。
連続の中に自然にやって来るものなんだ。
心のドアを開けて丸い地球を旅してみる。
ハジマリというきっかけを求めて!
何かに参加する。
ひとりじゃないんだ。
みな同じ時間を共有しているんだ。
心の水面下ではみな必至にもがいてる。
やさしさと思いやりが顔を出す時、
人間はつながっていると思えるんだ。
自分だけのことを考えて口走れば誰でも孤独を感じる。
この地球には70億人の人間が存在する。
70億人の朝がある。
精神の変化に左右されながら、
それぞれが迎える朝がある。
起きた時がその人にとっての朝である。
太陽の上下など関係ない。
関係ないと言えないのかもしれない。
太陽は平等に誰にも輝く。
地位や性にとらわれない。
太陽は精一杯地球を照らし豊かな恵みを与えてくれる。
でも、思うんだ。
恵みは太陽だけじゃない。
雨や風や空気さえもたくさんの恵みを与えてくれる。
自然災害というもの。
たとえ、大地震でさえもそうかもしれない。
実はこの自然の摂理の中で与えられた恵みなんだ。
やって来るすべてのものにポジティブに対処する。
それが恵みとなる。
ひとつの出会いが人間のドアを開き、
それぞれの人生を決める。
パーソナリティを作り出す。
たくさん出会いがある。
ゴージャスな出会いを探して意味もなく歩きまわる。
私は今日も旅に出る。
私は私の時間を輝かせるために出会いを求めて。
  御供

別の世界


私の胸は孤独に包まれて、
人間としての病みが燃え上がる。
世界がこれほどに暗鬱に見える。
いつの日か人間は生きることを放棄してしまう。
別の世界へ行くことも考えたりしたけど、
異国の地も風に揺られて涼しい顔をしている。
私は黙り足取りは重い。
私は永遠なるものに思いをはせる。
まなざしは揺るぎなく。
行為することも犠牲になることにも心を開いている。
しかし、敬愛な心を亡くしてしまった時代。
名誉も信頼も失われている。
望みなき戦いをつづけ嘲笑する。
私の心を満たすのは私の心の声だ。
決して錆びつくことのない私の財宝を守りぬく。
私の心に聖なる声が響いている限り大丈夫。
巷のあざけりは私は聞かない。
社会がその聖なる声を疑って押し殺す。
この非常な時代にあって、
私の世界と別の世界をとりかえることができるのか。
大きく広がる平和に耳を傾けよう。
鳥たちは世界を飛び回り、
別の世界に自分の巣をつくる。
山の向こうにも、
川の向こうにも、
海の向こうにも、
鳥は沈黙して消え失せるまで飛びつづける。
別の世界をみる。
でも、私たち人間には別の世界は存在しない。
私たちには地球上で世界はひとつである。
いつでも、永遠にその中で生きる。
   H.MITOMO

前へ


この道を超えて前へ進め。
何も無いこのデコボコの道こそ歯をくいしばって、
行かなくては行けない道。
どうしようもない。
平坦な道ほど超えなくてはいけない。
私は私の道の上を歩いている。
大きな山を越え、
春夏秋冬の自然の摂理の中で自信たっぷりに歩いている。
一番厳しいところはもう超えた。
次にひかえる何でもない道こそ一番超えにくいもの。
でも全速力でこの道を超えなければ、
また元の道へ戻ってしまう。
だからこそ、
この普通の道を必至になって超えなくてはいけない。
明日はもっと心地よい風が吹くに決まっている。
太陽だってサンサンと降り注ぐだろう。
だがまた同じ道に戻ってしまったら同じことじゃないか。
ここで歯をくいしばって前へ進もう。
もうそこまで来ているんだよ。
しっかりと足早に通りぬけよう。
そうすれば、
きっとゆっくりできるとこるまでたどりつける。
そうしなければ、
今何でこんなに絶えているかわからないじゃないか。
ゆっくりと道を前へ歩いて行こう。
   H.MITOMO  2005/11/21

2010/05/24

人生とは


何時も私は旅の途上。
何時も私は心の神を探して歩き出す。
身につけるものは少なく。
幸せと悲しみは消えて行く。
私の放浪の意味や目的は未だわからない。
幾度も私は倒れ、そしてまた立ち上がった。
ああ、私が探しにいったものは恋の果てなんだ。
しかし、それはとても神聖に遠く高いところに輝いていた。
目的に思いをはせたりしなかった頃は気楽に旅をつづけた。
高度の喜びや幸せを味わったものだ。
目指す果てを見つけたが、すでにもう遅かった。
星はあらぬ方向を向き、朝の冷たい風が吹いている。
私があれほどまでに愛した多彩な世界が別れを告げている。
私は目的を見失ったが、
思い切って、また旅に出た。
『不幸に泣いたことのない者は真の幸福に出会えない』と誰かが言った。
幸福はいかなる過剰からも生まれない。
決して、消極的などではない。
所有は幸福とは無縁である。
幸福とは心のあり方のみ関わるなにかなのか。
幸福という魂の事情を恐ろしいほど洞察していたとして持てる者は少ない。
何も持たないことに徹し、
生きるための力を蓄えている人生がある。
心そのものをもっとも虚しい状態に置く。
人間は自らを生きることにかりたてる。
そしてまわりにいる者たちに進めたに違いない。
『幸福なるかな心の貧しき者、天は彼の手中に眠っている』
心貧しき者は心ない者ではない。
社会からはみだした者にもある。
あまのじゃくが正しいいろいろな未解決な問題に向かって、
夢見る者だと解釈したらいいだろう。
何物も欲せず、何物も知らず、何物も持たぬ者。
物だけではない。
自分の自我に執着すら持たぬ者。
知は持っているが、
ひけらかすことなく内面の中にしまっておく者。
否定からはじまる者は何も生み出さない。
肯定することによってたえざる永遠を手に入れる。
新たに知ることを恐れず飛び込んでいく者。
何もこの物質社会において持たぬとは、
内的であれ、外的であれ、
あらゆる事物、あらゆる業、すべてのモノから解放され自由であるということ。
何も欲せず、
何も知らず、
何も持たぬ者こそ、
今の社会を変えることのできるひとにぎりの人間であるかもしれない。
決して否定的な概念ではない。
自分の意識、知、所有に縛られ、繋がれ、執着しない者こそ、
真の自由というわけのわからぬものの支配者である。
すべてを受け入れるほどに自由で生きる力に満ちている。
真の『心優しき反逆者』
病いによって行動という旅の自由を奪われた者は、
人間にとって何が一番大切なものかをとことん考える。
知ったからこそ窓の外を眺めることで幸福を味わうことができる。
生きるという中にひとつの力があり、
その力にとってすべてのことが甘美である。
心の中にひとつの力がある。
この世のもっともつまらぬもの、
この世のもっとも良きものを判断できることは、
人生を真に生きることに等しい。
この力こそ、万物の『ここ』と『今』を受け入れる。
『今』それは時間であり、『ここ』それは場所。
今私がいるところである。
もし私が私から完全に脱却し自分からまったく自由になったとしたら、
『その時、天はわたしを生み、私の行いはそれを生み返すであろう』
これこそ幸福であり、至福と呼ぶに値するもの。
現代社会の幸福とはなんとそれと大きくかけはなれたものか。
時としてまだ知らぬ宇宙と出会う。
普通人間は衣、食、住に不安なく暮らし社会にとけこんで生きる。
家族にも不自由なく生活することを幸福と考える。
だが、宇宙の生命との合一があるという考えを持ち、それを生きる。
そして知る。
知を持つと考えるならば、
物の過剰の現代よりも深く幸福を手にいれることができる。
それが行いをともなっていれば心は豊かにソレを手に入れる。
追求している快適さとは一見似ているような錯覚を与えるが、
むしろ本質的にはまったく違う次元のものである。
かつて人間があのような独創的な情熱に動かされ追求したならば、
このような現代文明の幸せは利便や物質的実楽のすべてであった。
つまり、指先きで押すだけで照明が輝いたり消えたりする。
季節と関係ないイチゴ。
必要に応じて、何時でも、どこでも、自由自在に流れ出る熱湯や水。
またそれ以上の別にびっくりもしない驚異的な仕掛け。
さらにこうしたものに適応した肉体と医学。
結局は逆に副作用としてやって来た病い。
その結果できあがってきた、
労働や、風俗、慣行、考え方や、感じ方、
事実はいかに?
これらがすべてが我々を縛り、抱えて離さぬもの。
梃でも動かぬ自由と失った奇怪を作り上げている。
都市に住む文明人こそが作り上げている。
文明に洗練され、
文明の奴隷である。
自ら作り出した飽くことのない欲望の奴従にさせられていることに気づくが、
そんなことにも知らんぷりしている。
自分の人間としての生命の表現。
人間的なものの発動。
見ること、
聞くこと、
嗅ぐこと、
味わうこと、
考えること、
感じること、
行動すること、
愛すること、などなど。
それが貧しければ、貧しいほど人はその代償をモノやお金に求める。
世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はありえない。
みんなが幸せだと言える日が来ることを祈ろう。
  H.MITOMO

人間は



日が移り変わっても対して変わるものじゃない。
いつも気分など優れるはずがない。
いつでも危険を侵すぐらい朝飯前さ。
この社会から逃げるには、
神でも犯してしまうかもわからないのさ。
実際のところ自分の弱さを覆い隠すか、
それを怒りという形で爆発させるかどちらかさ。
私にとって必要なのは生きるということ。
言わせてもらうと状況はさらに悪化している。
怖いのは、この世界の意味深さ。
解くべきメッセージがない時さ。
言っていることはわかるだろ。
何であろうとあらゆるものがメッセージを語り出す。
どれも同じように重要に見えるときなんだ。
人間にとって回数はあるが、
神にとっては一度目も数万回目も同じだ。
私自身が存在しているという証明はなにもない。
一方では人間はあらゆる現象に対し、
みっともなく堕落に満ちた反応を絶え間なく繰り返す。
自分の人格ゆえにもたらされた反応の結果に愛想を尽くしつづける。
人間はその反射的な行動以外には何もできない。
世界は未だ読み解くべき謎のメッセージで埋め尽くされている。
それを何とかして止めない限り、
人間とメッセージの間は距離も防御壁もない。
人間は無防備に受け入れつづけるしかない。
息をしたい。
目を閉じてもとりとめもなく虚しさが駆け巡る。
無意味な騒音がやって来る。
しかもそれらは、人間から発せられていることに気づく。
気づいたら永遠につづく。
災難、交通事故、
自殺といった渦中にいる。
すべては人間が発し人間に行き着く。
よければまったく無意味な孤独。
最悪なら絶望や悲痛の中。
そんな毎日を生きるしかない人間。
でも少しでも、変われるときが来ていると考えよう。
考えなければいけない。
   御供

今だから



どこの街でも伝説といわれる話がある。
人と人との交流の集積が新しい文化を生み出す。
そして、東京も地球上にあるどこかの街のひとつ。
その伝説の人物は、
「今だから話そう」と言う。
とても良く思い出話を話し出す。
事細かにウソ偽りなく。
誇大評価なく。
まるでフラッシュ・バックしたかのよう。
外面、内面、感情の走り、
名前、個々名称にいたるまで話し出す。
たんたんと話してはいるがいくぶん興奮している。
でも最近、一分前に話したことも忘れている。
今だから。  
   御供

今を充実して



とてつもなく至福の中。
私は好きな雑誌の中に原稿を書いている。
この心を満たす満足感。
ちょっと前までの私は、
まるで死んでいたかのようだった。
未来があるということも信じられずにいた。
社会に取り残されているという疎外感。
夢中になって何かしている時に人は美しい。
私は今、すべての時間を新しい雑誌を創るために費やしている。
一日中、起きてから寝るまで、
10分もこのことから頭が離れることはない。
時代を切り取るということについて考えてみる。
現代巷には数えきれないくらいの雑誌が反乱している。
でも、自分の手に取って満足できるものはひとつもない。
だから、作ろうと決心したのだ。
いざやってみると、あれもこれもと気をはせてしまう。
考えてみれば、
もっとシンプルに気張らないで作ればいいじゃないかと思っている。
とりかかると、たくさんのことが頭の中を通り過ぎて行く。
だけど、迷ってはいけない。
素直に自分が知りたいこと。
一枚の素晴らしい絵と写真を使えばいいことじゃないか。
これが始まりで終わりではないのだから。
人はみな誰かに認められたいと考えている。
でも、わがままに気に入ったもの、
格好いいと思ったものを載せればいい。
あれもこれもと考えてしまうと違う価値観になってしまうよ。
マスすべてに受けようなんて考えないで、
私のまわりにいる人たちが喜ぶものを作ろう。
自分に置き換えてみれば愉快そうだろ。
アカデミィックでもない、ストリートでもない。
その中間あたりにあるインテリジェンスを味方にして構成していけばいい。
私の五感が街をさまよい歩いた。
この一年間を感じたままにあらわせばいい。
何も他の雑誌のようにしなくてもいい。
「こんなことを考えていたヤツもいたんだ」
くらいにあまのじゃくに自分らしく作ろう。
そうすればみんな面白がってくれるに違いない。
私は今、充実した心の中でいっぱいだ。
だって、楽しんでやれる仕事がある。
そして、その仲間がいる。
大切なのはひとりじゃないって考えられること。
社会から孤立していた今までの私が嘘のよう。
元気に積極的に動き出している。
あらゆるものに心動かされる。
見るものすべてに感心を持ち、
その中からチョィスするものを考える。
もしこの仕事をしていなかったら、
私は生きていないのと同じこと。
楽しい人に会って刺激をもらい、
素晴らしい先人たちの声に耳を傾ける。
若いこれからの世代の声に驚きを感じよう。
私は私の意見をスルーして喜びの中にいる。
人はみなこんなたわいもないことに、
心踊らせて生きて行くものなんだ。
やりたいことを探すより、
やりたいことをやってしまおう。
   御供

自由ってなんだろう



人間は飽きることをしらない。
そう燃えるんだ。
今日やることを決めて、明日という未来に夢を。
人間は何かを見て変わっていく。
ある日突然変わることだってある。
ニール・ヤングが言ってた。
『変わりつずけるからこそ、変わらずに生きて行ける』
今日友達が息絶えた。友達の分まで楽しくやろう。
世界を変えるなんて考えたことはないさ。
でも自分から変わることぐらいはできると思うんだ。
大それたことなんて考えたことないさ。
小さな変化が大きな変化になるんだよ。
きれいな水が流れている川を見てごらん。
あそこにはもう水はない。
きれいな水は流れてない。
淀んだところにたまった水はもうすべて腐ってる。
腐らないためにも流れを止めないことさ。
この大自然の中に人間はポツンと、ポツンとアリのような存在なんだ。
よくアイツは輝いているよ。
アイツは素晴らしいよ、って言うよね。
でも人間同士凄いとか、そんなこと思ったことないよ。
そりゃ熊がガォーっていったら凄いさ。
でもみんな同じ人間。
あとはそう、うれしい挑戦を。うれしい挑戦の中に生きるか、
生きないかってことだと思うんだ。
明日かならず太陽は昇るように、
めくるめく季節の中でうれしい挑戦。
人生を生きるってすごくポジティブインパクト。
心の中をポジティブに表現することじゃないかな。
片思いってすごく楽しい。
本当の自分がそこにあるってわかるから。
愛っていつも考えるけどどういうことなんだろう。
愛ってなんなの。
本当に相手の気持ちになって考える。自分を注ぎ込む。
でも人間自分がかわいくないヤツなんて誰もいないさ。
でも相手の気持ちになって考えることぐらいはできるだろ。
本当に生きるって自分の中でいかに泳ぎきったかってことじゃないかな。
まわりを見渡せば、もう水かさは増えているのはわかるだろ。
ボブ・ディランが言ってたよね。
『風に吹かれて時代は変わる』でも思うんだ。
『風を吹かして時代を変えよう』
ふるさとを持たない風と友達になろう。
やさしい風をここと良く受け止めよう。
人間の悪ふざけ、
神様になれない人間なんて、神様になれない人間だからこそ。
楽しいと思わないか。
ちょっとちゃめっけをいかして楽しもうよ。
人間の楽しみって数えあげたらいくつあるのかな。
数えきれないほどあると思う。
でも今が自分の気持ちの中で今が一番って思えるときが、
もうこれ以上ないって思えるときがいくつあるかだ。
幸福を味わったって幸福じゃないって思っているヤツはたくさんいるさ。
自分で国のない大様だって思っているヤツはたくさんいるさ。
よく自由って言葉を耳にするよね。
自分で歩いてる、自由じゃない。
自転車に乗ってる、自由じゃない。
電車に乗ってる、俺は全然自由じゃないと思う。
パトカーに乗ってる、俺は全然自由じゃないと思う。
自由ってそんなにたわいもないことだと思うよ。
許される限りの自分を持つってことでしょ。
理由なき自分を持つってことでしょ。
オーマイゴット、何妙法連ゲイキヨウ、マンマミヤーズ、
チャーズ、カンパイ、チンチン、サルーテ
アへハー、サンキュウベイリーマッチ、アリガトウ。
すべてのすべての、言葉に感謝して自由を持とう。
ミスターミスターミスターフリーダム。
すべてにすべてに愛をこめて!
今自分がここにいることを愛すべきなんだ。
人間はひとりで生まれてひとりで死んで行くわけじゃない。
生まれた限りみんなで楽しくやろう。
ラブ ピース WE ARE HAPPINISS  WE ARE HAPPNEISS…..
   h.mitomo