鳥たちが何故近づいて来ないんだ。
ベランダに出てからもう長い間待っている。
やはり仲間はずれか?
ハトだけがやって来た。
カラスもやって来た。
しかし、自分の歌を歌うカナリアはやって来ない。
そう私はいつの間にか自分で歌うようになっていた。
詩とか散文とかいう型で書く。
聞く耳を持った者たちのために歌う。
同じ詩を歌う退屈さがいやだから新しい詩を毎日書く。
自分のためにただ書く。
人間という生き物の密かな楽しみ。
みんなが自分の詩を歌っているだけにすぎないんだ。
キミたちの考えの中からみれば私は空のように空っぽだ。
途方もなく広い世界を前にして何ひとつわからずにいる。
東京の広尾で詩を書く。
苦しみはしたが失望はしなかった。
悲しみもしたけど少しだけ何かがわかった。
自分と自分の書く詩が、
あの時聞いていた音楽のように耳をたたく。
大気の中を漂っている。
いつだって同じだった。
風も吹き抜ける。
私は自分にしか理解できない言葉で書きつづける。
知っているかい。
もう都会には夢はない。
そのどれにも飽きているドンファンのように。
自分には不実だが詩には忠実。
だがもともと詩の方が不実なものではないのか。
死ぬと思えばあつかましく生きのびる。
太陽は巨大な光をはりめぐらす。
その光にとらえられて私はもがく。
その幸福が詩だとしたら、
人間と自分に忠実に書きたい。
甘美な旋律の黄金の中に息絶える人間たち。
理解しないで息絶えることをするな。
私にはわかる。
自分の書いた詩の無意味さがわかる。
変わらぬ権力者たちにより、
私たちは創造と破壊の区別のつかない時代に生きている。
気にいらないすべてのものに目を向けずに生きている。
どんなに言葉でごまかそうとしても私の心は知っている。
だからといって、
生きる喜びが消え失せたわけじゃない。
いつだって楽しい。
人間ははみだして生きている概念からも、
思想からも、
たぶん神からも。
ハトがベランダに卵を産んだからって世界は変わりはしない。
だが世界を変えるのは人間ひとりひとりの意識の中。
どんなに頑張ったって詩は詩でしかない。
もし詩が新しく見える時があるとしたら、
詩が世界は変わらないと繰り返し書きつづけられている時だ。
私たちに語りかけてくる詩。
その慎ましくも饒舌な語り口の詩。
詩ばかりあるライブラリーで私は気づいた。
争いも恋も憎しみも根深い不安の中にある。
世界がまったく違ったふうに見える詩の世界。
まるで天使の視線で下界を眺めるよう。
いつ本物の散弾が飛んでくるのかそればかり気になっている。
自分の中に凶器を隠していたことさえ忘れている。
つまり人間以外のすべてのものと同居しているようなもの。
私は気に入っている東京広尾。
再開発エリアの東京広尾が面白い。
ここで今日もひとりで詩を書いている。
御供 2004/1/25 14/7/29
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