2010/05/07

東京広尾



鳥たちが何故近づいて来ないんだ。
ベランダに出てからもう長い間待っている。
やはり仲間はずれか?
ハトだけがやって来た。
カラスもやって来た。
しかし、自分の歌を歌うカナリアはやって来ない。
そう私はいつの間にか自分で歌うようになっていた。
詩とか散文とかいう型で書く。
聞く耳を持った者たちのために歌う。
同じ詩を歌う退屈さがいやだから新しい詩を毎日書く。
自分のためにただ書く。
人間という生き物の密かな楽しみ。
みんなが自分の詩を歌っているだけにすぎないんだ。
キミたちの考えの中からみれば私は空のように空っぽだ。
途方もなく広い世界を前にして何ひとつわからずにいる。
東京の広尾で詩を書く。
苦しみはしたが失望はしなかった。
悲しみもしたけど少しだけ何かがわかった。
自分と自分の書く詩が、
あの時聞いていた音楽のように耳をたたく。
大気の中を漂っている。
いつだって同じだった。
風も吹き抜ける。
私は自分にしか理解できない言葉で書きつづける。
知っているかい。
もう都会には夢はない。
そのどれにも飽きているドンファンのように。
自分には不実だが詩には忠実。
だがもともと詩の方が不実なものではないのか。
死ぬと思えばあつかましく生きのびる。
太陽は巨大な光をはりめぐらす。
その光にとらえられて私はもがく。
その幸福が詩だとしたら、
人間と自分に忠実に書きたい。
甘美な旋律の黄金の中に息絶える人間たち。
理解しないで息絶えることをするな。
私にはわかる。
自分の書いた詩の無意味さがわかる。
変わらぬ権力者たちにより、
私たちは創造と破壊の区別のつかない時代に生きている。
気にいらないすべてのものに目を向けずに生きている。
どんなに言葉でごまかそうとしても私の心は知っている。
だからといって、
生きる喜びが消え失せたわけじゃない。
いつだって楽しい。
人間ははみだして生きている概念からも、
思想からも、
たぶん神からも。
ハトがベランダに卵を産んだからって世界は変わりはしない。
だが世界を変えるのは人間ひとりひとりの意識の中。
どんなに頑張ったって詩は詩でしかない。
もし詩が新しく見える時があるとしたら、
詩が世界は変わらないと繰り返し書きつづけられている時だ。
私たちに語りかけてくる詩。
その慎ましくも饒舌な語り口の詩。
詩ばかりあるライブラリーで私は気づいた。
争いも恋も憎しみも根深い不安の中にある。
世界がまったく違ったふうに見える詩の世界。
まるで天使の視線で下界を眺めるよう。
いつ本物の散弾が飛んでくるのかそればかり気になっている。
自分の中に凶器を隠していたことさえ忘れている。
つまり人間以外のすべてのものと同居しているようなもの。
私は気に入っている東京広尾。
再開発エリアの東京広尾が面白い。
ここで今日もひとりで詩を書いている。
  御供  2004/1/25 14/7/29

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