2010/05/26

かぶれは30年前にはじまった


今年で<ビームス>は30周年を迎え、帝国ホテルの大広間で盛大なパーティをやった。ちょうど時期をおなじくして、アメ横に<MIURA&サンズ>後のシップスができ、ポパイの創刊も同じ頃だ。
今まで石津謙介氏の<VAN>というブランドの洋服を通して、アメリカ気分になっていたお洒落な若者たち。メンズクラブの別冊<TAKE IVY>という写真集で、リアルなアメリカのIVYリーグと呼ばれる大学の校内を歩く学生の写真を目の当たりにした。当時こんな写真はとても貴重で<TAKE IVY>を見本にアイビー・ファッションを勉強したものだ。
マドラス・チェックのボタンダウン・シャツにウインドブレーカー、そしてヒザ丈ぐらいのバミュウダー・ショーツ。足元はコインローファー<何かの時に親に電話をかけられるようにワンペニーを靴の先に入れておいたと聞いたことがある。またローファーとは『なまけ者』という意味があり、ヒモを使わずすっぽり履ける靴というものらしい。>キャンパスを歩くアイビー・リーグの学生は血スジも良く、勉学に励む学生たち。その格好にみなあこがれたものだ。脇に厚い本をかかえ、校舎から図書館へさっそうと歩く姿は私たち日本人にとってとても素敵に見えた。学生はみな母校のトレーナーを着て、スタジアム・ジャンバーは母校のマークが刺繍してあった。頭は7.3と呼ばれる短く清潔感のあるクルー・カット。そうJ.F・ケネディのあれである。
アイビーリーグにあこがれ、その学生でもないのにマーク入りのTシャツを着る日本の若者のなんと滑稽に見えたことだろう。しかしなんでもそうだが、ものまねからはじまり、やがてそれが本物を通りこすことだってある。あるんじゃないかな。
『ファッションとは一瞬であり、かぶれ<スタイル>とは一生つづくものである』
ビームスもシップスもポパイも、みなアメリカにかぶれた者たちの集合体と言っても過言ではない。
今でいうあの手のセレクトショップは、外国にまで買い付けに行って少量だが本物を扱う店である。もちろんそれをいち早くはじめたのはSTRATEGIAの油井氏の<スポーツ・トレイン>である。1972年、34年前にLLビーンなどのアウトドアものや服を扱っていたのだから驚くかぎりだ。
アイビー御用達の<ブルックス・ブラザース>や<J・プレス>は今や日本の企業の手によるものになってしまったが、オールド・スクールが流行り出した頃から、また気になるアイテムになっていることは確かだ。また団塊の世代と呼ばれる人たちは、まだまだネイビー・ブレザーにチノパンという人たちも多く変わらないのには頭が下がる。
アイビーにはいろいろな着こなしのルールがあり、お坊ちゃん風に決めないと似合わない。清潔感溢れ、また良家出身で頭がいいというのが条件なのだ。そこで『田舎ムラサキ、偽アイビー』という言葉がある。ムラサキは高貴な色で、品がともなわなければ似合わないという意味らしいが、そんな決めつけが当時は嬉しかった時代でもあったようだ。
話は少しずれたが、なにしろ30年前からこのようなかぶれていた。初めてひとりでスポーツ・カーに乗ったようであるようだ。
  御供秀彦<二ユー ワールド 二ュース エディターズ>

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