ハジマリは新しさ。
すべてのことにハジマリがあり、
すべてのことに新しさがやって来る。
角度を少し変えて見ることが大切なこと。
20世紀が完全に閉じてしまった今、
過ぎ去った時間を小さな覗き穴から見てみる。
いろいろな未解決な問題が見えるだろう。
それを拡大してアクションを起こして、新しさを見つける。
いつの時代もこうした先駆者によって当たらしは発見され、
詩や文学によって伝えられる。
その言葉の意味を受けた学者が実験を試みて、
政治家が行動を起こす。
経済がまわる。
人間の密度によって文化が生まれる。
文化は時代が変わろうとしていることを告げる。
詩人が多くの感じたことを書いたとしても、
カタチになるのは10年先、20年先のことである。
あまりに前衛的なことを考えてしまうと、
社会から放り出されてしまう。
アイツは馬鹿だ、おかしいなどと言われ、
相手にされず冷笑される。
新しさはいつも気づかないうちに通り過ぎることもある。
今こうしている時でも、
常に新しさはハジマリ、古くなっていく。
時間は容赦なく色目を使う。
止まることなどせず欲望のごとく動きつづける。
悲しいかな時間と新しさの区別など誰ができよう。
その区別ができる者こそ、
時間の先端を遊び広がる心の中に規制概念を打ち破る。
新しさとハジマリをつくり出すのは数少ない者に違いない。
かつて多くの先ゆく者がその中にいたように、
時代というものは風のように流れる。
私はその風がやさしく気持ちよく、
心にうるおいを与えてくれるものだと信じている。
だから新しさに向かっていつも思考する。
それを現実のものにしようと動きつづけている。
新しさはハジマリ。
いつの時代にも、
その新しさを味方に新しいことが起こる。
はじめよう。
アクションしよう。
もうその時は来ているのだから。
御供 2002/6/4 11/12/15
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