2010/11/30

あまのじゃくの天使の唄


バット・ハートの心を持ったヤツ。
国家を信じない正の心を持ち、
もっといい社会を知っているヤツ。
たくさんの旅をして賢くなった天使のよう。
酒場のカウンターでひとりごとのように詩を読み。
人を笑かして社会を風刺する。
宇宙人。
地球を救うためにやってきた。
SEXを楽しみ。
決まりはよりよく無視。
楽しいリズムに遊びほうけ。
でも人を傷つけたり、
怒らせたりしない。
笑いとマジックを武器にさみしい人間の隙間をつなぎあわせ。
戦いのないひとつの世界をつくる手助けをする。
こんな心優しき反逆者こそエイリアンに違いない。
巨大な波に軽々と乗るサーファー。
山の頂上からちゃめっけいっぱいに滑り降りるスノー・ボーダー。
ビルの谷間をスィスィとスピーディーに走るスケーター。
彼らは子供の姿をした不良の良い心を持った宇宙人。
地球を救いにやってきた。
目の見えない一般社会の人たちに遊びという方法で何が大切か。
生きることの喜びとは?
人生なんて短くて、
モノなんて何の役にもたたない。
同じ社会の中で争ってどうなる。
お金なんて虚空を手に入れるよりやさしさや愛が不可欠。
そう気づかせてくれるこいつら。
美しい地球をKEEPすること。
人生を楽しむこと。
自由と平和を目的として生きることへの至福。
やっと、楽に道のない道を進むことを学んだようだ。
御供1998/6/29

アート


わずかな絵画や彫刻をみるために、
ロンドン、ベルリンにいくことなど考えない。
私には考えられない。
私の周辺には常にひとつの世界が、
決して飽きることのない世界がある。
栗の木の一枚が、
若葉も。
空を行く一切れの雲もそうだ。
目覚めているときの私には世界の中のあらゆる美術館。
そういう風におとらず見える。
愛しく、
意味深く魅力的で、
それ以上にとらえどころがない。
アートとはそんなものだ。
御供 1996/6/19

先駆け


いつの時代にも未来を予告する人がいる。
先の時代を論じる人がいる。
様々な地球的な問題。
例えば、環境問題、政治参加、経済システム、教育、社会制度。
ボーダーのない世界。
これらの問題に関してますます真剣な論議が繰り広げられている。
これらの様々な問題は偉大なアーティストによって論じられるこのが多い。
作品となってメッセッ−ジを放つ。
日本においても数々な問題が局面を迎えている。
すべてに危機的な状況にある。
日々実感されている。
偉大な発言はアーティストや言葉の魔術師詩人によって発せられる。
やさしい言葉によって語られると不死のように聞こえる。
概念は過激なほど大きな声になる。
意味を知ってるだけど大地、自然、エネルギー、緑。
日本が抱える様々な問題。
文字通りの生命が生きようと耳を傾ける時に語りかけてくる。
そは直接私たちの生命のレベルで語りかけて来る。
呼びかけて来るのである。
ソエトに住ボヘミアン的な生活をする。
思考は模索する私たちの小さな出発点になる。
ひとつは経済価値による発言が多いようだ。
御供 2000/8/8

地球のシャーマン


今の日本はそれ自体か創造者でいることが怖い社会である。
共感と反感の構造と言えるだろう。
共感するか反感を持つかという二元論のレベルのみに、
エネルギーを吸い取られている。
本当に自分を変革したり創造したりすることまで、
エネルギーがまわらない。
創造者というよりは共感と反逆のロボット。
表面的には社会的、
政治的な行為をしているようでありながらそうでない。
内容においてはおそろしいほど創造性の欠如をきたしている。
それを変えて行かない限り、
どんなに社会を変革しようが何も変わりはしない。
モノそれ自体の世界というよりは、
モノに内在するダイナミックスの世界に到達するしか救われない。
モノにはふたつの存在形態がある。
ひとつは人間を含めてセパレートにされた物体。
もうひとつはエネルギーの流れ、温度として存在している。
すべてエネルギーから来ている。
モノとしての存在がエネルギーとしての存在にトランス・フォーメーションをおこすところに創造の概念を見つけるべきだ。
地球上の人々がついに人間らしい尊厳を持って生きられるようになる望みは?
自由に平等に、
そしてその博愛の精神で働けるように!
御供 2000/8/8

画家の喜び


黄色は黄色に。
そして黄色は赤に染まり。
涼しい青はバラ色に帯びる。
光と色は世界から世界に駆け巡り、
愛の大波になって沸き上がり響き渡る。
精神を支配し、
病めるものすべてを癒す。
新たに生まれた泉からは緑が萌えたち、
世界は新しく意味深く分けられる。
心は喜びに満ち、
晴れやかになる。
ヘッセ
御供 1996/6/15
絵を描くことは素晴らしいことです。
昔は自分が良い目を持ち。
地上の深い深い散歩者であると信じていました。
しかしそれは今ようやく始まるところなのです。
絵を描くことは呪われた世界遺志からの解放なのだ。

知的病


ファッションというものを人生の中で楽しんでいるのかな。
街には振り返るような格好いいなと思う人はおらず。
日常を引きずって何でもありで何もない。
それが現代のファッション。
大都会東京での知的病。
それは、、、、、。
依存病に代表される、
満縁ストレス。
ありあまる情報の処理もできぬまま。
人間依存症。
PC依存症。
仕事中毒。
携帯依存症。
そしてついにはひとり言。
ひとりでいると怖くて、
誰かといると安心して。
ゲームのように解き明かすカタログ。
時間は過ぎる。
そして、ベスト・チョイスの時が!
御供 1999/1/25

2010/11/28

喜びの声


耳を澄ませてごらん。
地球の鼓動が聞こえるだろう。
文化を運んで来る風の音。
収穫をもたらす雨の音。
人間が励ましあう拍手の音。
様々な音が大気の間を飛び交うのがわかるだろう。
旅をすると違う音にも出会うだろう。
今まで聞いたことのない音。
太鼓の鼓動のリズム。
生活のリズムは自分のリズム。
そして地球のリズムへとつながる。
宇宙のリズムへとつながっている。
楽しみのためにみんなが円になって太鼓をたたき、
ひとつになることを祈ろう。
喜びの声は時として突然やってくる。
心の中に入ってくる声は、
本当の意味を理解した時にのみ、
楽しみへと変わる。
この音が多くのポジティブな考えを勇気づけてくれる。
愛のある生活に体を浸すとき、
ゆっくりとしたアンビエントなミュージック。
朝のブルーの世界にとてもよく似合う。
ブルーの世界は次の世代を予告するように、
太陽の明るい光を連れてきてくれる。
生活のざわめきの音へと続く。
夕陽が落ちる時には、
車のエンジンの音。
街のさまざまな音。
そして人間の話し声もときとして響く。
そんな声に耳を傾けると生活が見えて来る。
大都会での喜びの声は、
YESとNOとで判断できない。
だって、本当のやさしさはYESよりもNOという強い目的意識の中にある。
高らかに笑え、
大声で話せ。
友人に呼びかけよう。
地球が終わらないうちに。
ゆっくりと楽しんで、
喜びの声を耳の中に遺そう。
  御供 1998/7/12

旅とは


旅に出ると毎日が新鮮だ。
常に新しい出会いがある。
すべてが肌で感じられる。
好きなようにすればいい。
人生とは旅のようなもの。
何が起こるか。
何をするか。
それ自体が楽しい。
人生の縮図が旅で、
ただ旅をし続ける。
生き続けるだけで意味がある。
旅がこの世の中で一番楽しいこと。
理由はいらない。
動いてから意味を見つければいい。
長い人生の間でも、
ほんの短い間でも。
様々な人と目的といっしょに旅をする。
御供 2001/1/20

時間の中


静かな時間に中にある。
やる気のないけだるさの中で、
思いに頭をめぐらせる。
ただ時間の経過に身をゆだねて結果はでない。
すべてを消し去り、
無の世界がよみがえる。
どうなるというのだ。
楽しもう。
地球が終わらないうちに。
ワクワクしよう。
新しい出会いにひらめきに。
雑草が巨大化し、
カラスが街に住み出した。
通常でなくなり、
新しいマンネリが出来上がる。
気がついた者は一日をニコニコ過ごし、
気づかない者は気づかないまま。
どっちでもいいってことさ。
騒ぐことはないじゃないか。
御供  1998/6/20

書く


言葉を自分の響きとして選ぶ。
並べる。
選択、
積み重ねて文章として構成する作業。
色を選び並べその響き合いを確かめる。
ともに画面を組み立てる作業と変わらない。
詩もまた絵のように、
絵もまた詩のように。
いわゆる写形ではなく、
写意の精神だ。
シーズンごとのファッションと同様に最近の芸術と同じだ。
時代の精神的な雰囲気を語る高性能な精度の高いバロメーターのようなもの。
時代の言葉がキュビズムであれ、
表現主義であれ、
フォービズムであれ、
目は自然を向いていればいい。
人の作品に向かうことはない。
時代に合わせた人の手による手法に合わせることはない。
御供  1996/1/1

自然に


豊かな母はその豊かな恵みを子なる人間にあたえ、
保護してくれる。
ヘッセは人間は自然の一部だと言った。
生命の根源なのである。
ヘッセはたしなめ、
自然に学べというのである。
永遠の母なる自然に課された使命を想い。
黙ってそれを実現しようと全力を尽くしている。
泣いたり、
笑ったりするのもそれである。
自然から人間はいろいろなことを学ばなければならない。
御供

トム・ウェルツ


俺の一番得意な楽器。
そりゃ、ボキャブラリーさ。
人間は夢という力を使ってもっといい場所へ行ける。
自分に合った場所に行けると思うんだ。
そのためには半端じゃなく、
激しく夢を見ることさ。
トム
御供 1998

叫び


頭の思考回路に何かつっかえているんだ。
取り除かなければいけないと魂が叫びかける。
悶々と思い悩み続けてもいられない。
すぐにその回路につまったものを取り除くんだ。
時間は待ってはくれない。
ストレスや争いごとはもうたくさん。
これ以上泥沼の中に入りたくないんだ。
自分の家をかたずけるんだ。
前進し続ける。
光に向かって、
自分の道を探し出すんだ。
力強く正しいおこないをしてね。
自分の夢を叫ぶこと。
どんな状況においても期待を膨らませろ。
搾取されるのはもうまっぴらだ。
もはやぐずぐずしてはいられない。
俺は尻込みなんてしていない。
同意できないんだったら出て行ってもいいんだよ。
そうしておくれよ。
ペースを落として自分をごまかしたりはしたくないんだ。
遅れをとっている他人に合わせる気もない。
旅に出て新しい友をつくるんだ。
ひとりではなんにもできないし、
ルールなんて信じないふりして自由に生きるんだ。
人生をなんの道具なしに直そうとするなんてできない。
遊びと創造というもの。
愛と平和というメーカー。
ベイビー、これらが必要なのは間違いないさ。
僕たちが直そうとしている。
人間のモラルのレースには終わりはないのだから。
ただまっすぐに光に向かって旅しよう。
少しでも多くの友を探しに。
御供 1998/6/29

色彩の魔術


神の息吹はここかしこ。
天の上下は吹き漂う。
光は幾十にも歌を奏で、
神は多彩な世界と化す。
白は黒へと,
熱気は冷気へ。
絶えず新たに引き寄せられ沸き立つ。
混沌から永遠に、
新たに虹が晴れ渡る。
神に光はつくり出され。
働きかけられて、
私たちはこれらを太陽と知らされる。
色彩の魔術は放浪の果ての、
あの太陽の光だったのか?
御供 1996/6/15

正月に


年の初めに思うこと。
今年こそはいい年にしてやるぞ。
今年こそはこれを達成しよう。
今年こそはこうするんだ。
今年こそは、、、、、、。
こう考えるのが、
年の初めである。
何かをしよう。
何かをしたい。
何かを探す。
そう未知なものに対してこうしようと考えるのが、
年の初めである。
正月に考えることは、
ポジティブに自分を表現しようと考えることから始まる。
一年のはじめは大きな夢に膨らんでこうなるさという、
向上心に燃えている。
私は正月にいつも思うことがある。
今年こそは父と話しをしよう。
そう考える。
もうそろそろ話さないと手遅れになってしまうかも。
でもどうしても一歩が踏み出せないでいる。
何か躊躇するものがある。
私は正月にかこつけてきっかけがつかめればいいのにと思う。
そうして腰をすえて一生のことを、
これからのことを話せたらいいのにと思う。
そして母への思いを話し合いたい。
私は自由に自分の道を歩いてきてしまった。
後戻りできないところまで歩いてきてしまっている。
だからこれからの未来、
これからについて話し合いたい。
そうすべきなんだ。
父と子が一生話さないなんておかしい。
お互いに愛を感じているのに。
だから、正月に、
正月にかこつけて、
今年こそはそうしたい。
私がこれから生きて行く人生の中で大きな役割を果たすためにも。
今年こそはそうしたい。
正月に、
正月にそうしなくてはいけない。
御供  2004/1/2

毎日の生活


大都会で生きて行くのに、
愛と平和をうたっていたって食っていけない。
何もしなくたって通り過ぎていくお金というもの。
その空虚なお金のためにみな苦しんでいる。
手に入れた者は、
成功といって非人間的な行為をもしているというのに。
理想だけにかまけていては始まらない。
毎日の必要な最低限のお金がないと生活がなりたたない。
だから。潤滑油としてのお金を手にしよう。
御供 2000/1/1

陽が落ちて


冬の今頃は、
午後の4時半を越えると急に暗くなる。
陽がおちて肌寒くなり、
静けさを運んで来てくれる。
特に休日の大都会には、
この静けさが広がる闇がさっと来る。
人間の心の隙間に影を射し、
冷ややかな空気を吹き下ろす。
寂しさにおののいている人間の心は、
凍ったようにぎぐしゃくとして自分の過去を振り帰る。
これからの人生の抱負を抱く。
陽のパワーは人々の心のどこそこへも通じており。
生活を営むことをより強く望む。
そんな一日を感じることがある。
陽は落ちて、また昇る。
御供  2001/2/14

マジック・シアター両角氏


軽くコギぎましょう

 はたして第何次であるのかは知らないが、どうやら巷は自転車ブームであるらしい。
(自転車と書いてチャリとかチャリンコとかバイクとか好きに読んでください。)
そのブームに乗ったというわけでもないんだけど、最近になって僕も新しい自転車を買ってみた。
流行のロードバイクとかピストとかではなく、フォールディングバイクと呼ばれる折りたたみの出来る小径車だ。
MTBも持ってるしBMXも持ってるのに、なぜまたこれを選んだかと言えば理由は単純明快、楽チンだからだ。

 自転車で遠くに出かけることは楽しい。
それは、自力で何処まで行けるのかという、少年時代に誰もが持っていた冒険心のようなものによるところが大きいんだと思うが。
その感覚は大人になってさえ消えることはない。
が、しかし、冒険というのは行ったままで済むわけのものでもなく、行ったからには行った分だけ帰ってこなくてはならない。
30分程度の道程であれば、何割り増しかの時間を費やせば、違う道を選んで帰ってくることも出来るだろうが、5時間も6時間も漕いでしまった日には、そういうワケにもいかない。
遠くに行けば行くほど、同じ道を辿って帰ってこなきゃいけないというリスクは否応なく増していくワケで、これはもう苦痛と言う以外の何者でもない。その手の苦労は”ET”が”KUWAHARA”の自転車で空を飛ぶより以前、僕がBMXに乗っていた少年時代にさんざん体験済みで、そのことは振り返るだけでもおぞましい。当時は20インチタイヤに固定ギアで往復100キロ以上も走ってヒィーヒィー言っていたわけだが、今さら同じような苦労をわざわざ買ってすることもないだろう。多少言い方が悪くなるが、帰り道なんぞにそれだけの情熱は掛けられない、というか、掛けてたまるかという感じだ。

そこへ行くと折りたたみ自転車は楽チンだ。イヤになったらその時点で止めれしまえばいいんだから。
「ああ、今日は良く漕いだなあ。風が爽やかだ」ぐらいの、ノン気なことを言ってられると段階で止めてしまえばいい。
高原の駅に降り立ってサクサク組み立て、景色のいい田舎道を下るだけ下ってそこで止めちゃうというのもいい。
あとは畳んで袋にしまえば普通に電車かバスで帰ってこられるという寸法だ。
その畳み方にしたところで、クイックになった金具をいくつか緩めてやればそれで済むので、じつにお手軽だ。
そのうえ行った先に銭湯か温泉でも探して、ひと風呂浴びてビールでも飲んじゃえば申し分ない。

ヒトって言うのは意外にというか、思った通りにというか、じつに単純な生き物で。「行くところまで行って嫌になったら止めてもいいんだぜ」と
最初から思っていると、案外遠くまで行けてしまう。そういう意味では「今さらながら日本一周」もあながち夢ではないように思う。
とにかく行けるところまで行って嫌になったら帰ってくる。で、次回のツーリングは諦めたその場所まで電車で行って、そこから先の行程にもう一度トライすすればいいんだから。
 気負う必要はないし、格好つける必要もない。気負うからリスクを負うんだし挫折もする。格好つけようとするから必要以上に無理もする。
むしろ日常の延長線上で、そこからほんのチョットはみ出す程度がいい。
バキバキにキメるんじゃなくて「ちょっとその辺にお買い物」ぐらいの軽い気持ちで出かけるのが、かえって格好いいんじゃないかと思う。
皆さんもいかがですか。軽い気持ちで「今さらながら日本一周」。



アトリエ・マジックシアター 
両角 毅

スペクテイター青野氏


THE FOOL ON THE HILL

TEXT : TOSHIMITSU AONO


長く続いた旅がやがて終わりをむかえようとするとき、胸にこみ上げてくる想いがある/楽しかったあの旅の日々が、これからも永遠に続けばいいのに…/きっと誰もが一度は抱いたことがあるに違いない日常と非日常の境界をめぐる葛藤/そして大半の人は、ため息とともに再び日常へと戻っていく/旅を続けるには時間も金も必要だ/それには、まずは仕事をしなきゃ/忙しく仕事をこなしているからこそ新たな旅ができるのだ/とか、なんとか自分に言い聞かせながら/日常から逃れ続けて、一生旅して過ごすなんていうのは、しょせんヒッピーや世捨て人みたいな連中の考えるタワゴトだ/うん、確かにそうかも知れない/それが至極まっとうな常識的な大人の意見ってやつかもね/でも、果たして本当なのかな?/日常から逃れ、旅に出たままの気分で一生を過ごす方法はないものか?/丘の上のバカは考えた/何日も、何日も/紫の煙のなかを手探りで進みながら、心の旅を続けた/そして見つけた答はとても単純なものだった/そうだ、日常のなかを旅すればいいんじゃないか!/レトリックなんかじゃなく、毎日を旅する気分で過ごせたら、それはどんなに素敵なことだろう/旅が現実になれば、仕事をする必要もない/わざわざ長い休暇をとる必要もなければ、旅に出る必要すらなくなるはずさ/それを実行に移すには、まづは道具が必要だ/それさえあれば会いたい人に会えて、やりたいことができて、行きたいところへ連れて行ってくれる/そんな万能のツールを手に入れよう。そうして再び丘の上に登ったバカが思いついた戦略が、一冊の雑誌を作ることだった/雑誌と言ってもコンビニや駅のスタンドで売られているような情報詰め込み型のヤツじゃない/作り手の妄想や思いつきで読者をトリップさせてしまう常識を超えたキラーなコンテンツ/ページをめくるだけで日常なんて軽くふっとんでしまうくらい刺激的/そんな非常識的な中身の雑誌を作ろうじゃないか/かくして一冊の雑誌が出来上がり、丘の上のバカは今も旅を続けている/気心の知れたバカな仲間と日常の中の非日常をサーフィンでもするような気軽な気持ちで、右や左へと彷徨いながら/これから先どこまで行けるか/答えは煙に聞いてくれ

ストラテジアに


知らないおっさんに京都の寺を案内してもらった。やけにフレンドリーでこちらが身構える位。段々どこまで一緒についてくるのかパラのう程。たまたま道を聞いただけなのにそれからここはこうで、あそこも行った方がいいと解説をつけながらあちらこちらへと引っ張り回す。「じゃあそろそろこの辺で」なんて言いかけてると「こっちこっち」とずんずん進んでいく。「知り合いの店があるから」とか言い出してこちらの疑惑はいよいよ深まっていく。そんな時に話だしたのがおっさんはもう仕事を引退して、一人好きだった歴史の勉強をしているとのこと。そして自分が知った京都の歴史を遠くから来た観光客にちゃんと知ってもらいたいって思っているってこと。ちょうどそこまで話すと目の前にあった中華料理屋にひょいと飛び込みながら「ここは友達の店、ほな京都を楽しんで」といいながら突然消えていった。俺はお礼もろくに言う暇もないまま、「あ、あぁおっさんありがとう!」とその場限りの京都弁風のアクセントで返すのが精一杯だった。
帰りの電車で色々考えた。今考えるとおっさんのツアーはメチャクチャ良かったなと。っていうか素晴らしい出会いだったぞと。おっさんがいなければ地元のスポットだっていう特別な景色も見ることがなかった。もっとしゃべれば良かったなと。俺はどうも頭が固くなってきたのに違いない。昔はああいうおっさんともっとすんなり話せたもんだし、怪しいなとか思わんもんだったと。別に無理にそうするのがいいってわけじゃない。実際怪しいおっさんとかインドだモロッコだで散々会ったし、金くれだのなんだの散々せびられたこともある。けどそりゃ最後にそうなったときに対処すりゃいいわけで、昔はもっと心に余裕があった気がしてきたわけ。仕事も金もないときは、持ってるものは時間ばかりで何をするにも余裕があった。仕事も金もちょっとでも持つとだんだん余裕がなくなってくる。
俺は無駄の多い人生がやっぱり送りたい。そうやって普段の生活で会わない人と出会ったり、しゃべったりしてまめ知識を増やして喜んだりしていたい。一日一日の積み重ねで、小さいことに幸せを感じながら、あぁ今日も一日無事に生きれた、そういう毎日でありたい。でかいことやりゃいいとか、新しいことすりゃいいとかそういうんじゃなくて。一期一会こそ人生だってことで俺の神様ジミヘンが死ぬ数時間前に書いた最後の詩を。

人生の物語は目の瞬きよりも短い
愛の物語はまた会うまでのハローとグッドバイ
  文 野村訓一
   御供

Steve Jobs氏


Steve Jobs 氏によるStanford大学卒業生への祝辞
the Stanford University Commencement address
by Steve Jobs CEO,_Apple Computer CEO, Pixar Animation Studios.


PART 1: BIRTH
どうもこんにちは。世界有数の最高学府を卒業する皆さんと、本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。実を言うと私は大学を出たことがないので、これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。
本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。それだけです。どうってことないですよね、たった3つです。最初の話は、点と点を繋ぐというお話です。
私はリード大学を半年で退学しました。が、本当にやめてしまうまで18ヶ月かそこらはまだ大学に居残って授業を聴講していました。じゃあ、なぜ辞めたんだ?ということになるんですけども、それは私が生まれる前の話に遡ります。
私の生みの母親は若い未婚の院生で、私のことは生まれたらすぐ養子に出すと決めていました。育ての親は大卒でなくては、そう彼女は固く思い定めていたので、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることで手筈はすべて整っていたんですね。ところがいざ私がポンと出てしまうと最後のギリギリの土壇場になってやっぱり女の子が欲しいということになってしまった。で、養子縁組待ちのリストに名前が載っていた今の両親のところに夜も遅い時間に電話が行ったんです。「予定外の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですけど、欲しいですか?」彼らは「もちろん」と答えました。
しかし、これは生みの母親も後で知ったことなんですが、二人のうち母親の方は大学なんか一度だって出ていないし父親に至っては高校もロクに出ていないわけです。そうと知った生みの母親は養子縁組の最終書類にサインを拒みました。そうして何ヶ月かが経って今の親が将来私を大学に行かせると約束したので、さすがの母親も態度を和らげた、といういきさつがありました。

PART 2 :COLLEGE DROP-OUT
こうして私の人生はスタートしました。やがて17年後、私は本当に大学に入るわけなんだけど、何も考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったもんだから労働者階級の親の稼ぎはすべて大学の学費に消えていくんですね。そうして6ヶ月も過ぎた頃には、私はもうそこに何の価値も見出せなくなっていた。自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、それを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からない。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。だから退学を決めた。全てのことはうまく行くと信じてね。
そりゃ当時はかなり怖かったですよ。ただ、今こうして振り返ってみると、あれは人生最良の決断だったと思えます。だって退学した瞬間から興味のない必修科目はもう採る必要がないから、そういうのは止めてしまって、その分もっともっと面白そうなクラスを聴講しにいけるんですからね。
夢物語とは無縁の暮らしでした。寮に自分の持ち部屋がないから夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、コーラの瓶を店に返すと5セント玉がもらえるんだけど、あれを貯めて食費に充てたりね。日曜の夜はいつも7マイル(11.2km)歩いて街を抜けると、ハーレクリシュナ寺院でやっとまともなメシにありつける、これが無茶苦茶旨くてね。 しかし、こうして自分の興味と直感の赴くまま当時身につけたことの多くは、あとになって値札がつけられないぐらい価値のあるものだって分かってきたんだね。

PART 3: CONNECTING DOTS
リード大学は、当時としてはおそらく国内最高水準のカリグラフィ教育を提供する大学でした。キャンパスのそれこそ至るところ、ポスター1枚から戸棚のひとつひとつに貼るラベルの1枚1枚まで美しい手書きのカリグラフィ(飾り文字)が施されていました。私は退学した身。もう普通のクラスには出なくていい。そこでとりあえずカリグラフィのクラスを採って、どうやったらそれができるのか勉強してみることに決めたんです。
セリフをやってサンセリフの書体もやって、あとは活字の組み合わせに応じて字間を調整する手法を学んだり、素晴らしいフォントを実現するためには何が必要かを学んだり。それは美しく、歴史があり、科学では判別できない微妙なアートの要素を持つ世界で、いざ始めてみると私はすっかり夢中になってしまったんですね。
こういったことは、どれも生きていく上で何ら実践の役に立ちそうのないものばかりです。だけど、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する段になって、この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきたんですね。で、僕たちはその全てをマックの設計に組み込んだ。そうして完成したのは、美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータでした。
もし私が大学であのコースひとつ寄り道していなかったら、マックには複数書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるパクりに過ぎないので、パソコン全体で見回してもそうした機能を備えたパソコンは地上に1台として存在しなかったことになります。
もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、
あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかった。
そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかった。
もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリクッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。もう一度言います。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。


PART 4 FIRED FROM APPLE
2番目の話は、愛と敗北にまつわるお話です。
私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができた。実家のガレージでウォズとアップルを始めたのは、私が20歳の時でした。がむしゃらに働いて10年後、アップルはガレージの我々たった二人の会社から従業員4千人以上の20億ドル企業になりました。そうして自分たちが出しうる最高の作品、マッキントッシュを発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社を、クビになったんです。
自分が始めた会社だろ?どうしたらクビになるんだ?と思われるかもしれませんが、要するにこういうことです。アップルが大きくなったので私の右腕として会社を動かせる非常に有能な人間を雇った。そして最初の1年かそこらはうまく行った。けど互いの将来ビジョンにやがて亀裂が生じ始め、最後は物別れに終わってしまった。いざ決裂する段階になって取締役会議が彼に味方したので、齢30にして会社を追い出されたと、そういうことです。しかも私が会社を放逐されたことは当時大分騒がれたので、世の中の誰もが知っていた。
自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えたんですから、私はもうズタズタでした。数ヶ月はどうしたらいいのか本当に分からなかった。自分のせいで前の世代から受け継いだ起業家たちの業績が地に落ちた、自分は自分に渡されたバトンを落としてしまったんだ、そう感じました。このように最悪のかたちで全てを台無しにしてしまったことを詫びようと、デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスにも会いました。知る人ぞ知る著名な落伍者となったことで一時はシリコンヴァレーを離れることも考えたほどです。
ところが、そうこうしているうちに少しずつ私の中で何かが見え始めてきたんです。私はまだ自分のやった仕事が好きでした。アップルでのイザコザはその気持ちをいささかも変えなかった。振られても、まだ好きなんですね。だからもう一度、一から出直してみることに決めたんです。
その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さに代わった。そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わりに、自由になれたことで私はまた一つ、自分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に足を踏み出すことができたんですね。
それに続く5年のうちに私はNeXTという会社を始め、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、彼女は私の妻になりました。
ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる世界初の映画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。
思いがけない方向に物事が運び、NeXTはアップルが買収し、私はアップルに復帰。NeXTで開発した技術は現在アップルが進める企業再生努力の中心にあります。ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。
アップルをクビになっていなかったらこうした事は何ひとつ起こらなかった、私にはそう断言できます。そりゃひどい味の薬でしたよ。でも患者にはそれが必要なんだろうね。人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。だけど、信念を放り投げちゃいけない。私が挫けずにやってこれたのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。皆さんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。それは仕事も恋愛も根本は同じで、君たちもこれから仕事が人生の大きなパートを占めていくだろうけど自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ一つ、好きなことを仕事にすることなんですね。まだ見つかってないなら探し続ければいい。落ち着いてしまっちゃ駄目です。心の問題と一緒でそういうのは見つかるとすぐピンとくるものだし、素晴らしい恋愛と同じで年を重ねるごとにどんどんどんどん良くなっていく。だから探し続けるこ
と。落ち着いてしまってはいけない。


PART 5 ABOUT DEATH 
3つ目は、死に関するお話です。
私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。
「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」それに対する答えが「NO」の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。
自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。


PART 6 : DIAGNOSED WITH CANCER
今から1年ほど前、私は癌と診断されました。 朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。
医師たちは私に言いました。これは治療不能な癌の種別である、ほぼ断定していいと。生きて3ヶ月から6ヶ月、それ以上の寿命は望めないだろう、と。主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。これは医師の世界では「死に支度をしろ」という意味のコード(符牒)です。
それはつまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら思いつく限り全て、なんとか今のうちに伝えておけ、ということです。たった数ヶ月でね。それはつまり自分の家族がなるべく楽な気持ちで対処できるよう万事しっかりケリをつけろ、ということです。それはつまり、さよならを告げる、ということです。
私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方遅く、バイオプシー(生検)を受け、喉から内視鏡を突っ込んで中を診てもらったんですね。内視鏡は胃を通って腸内に入り、そこから医師たちはすい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を幾つか採取しました。私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったんですが、その場に立ち会った妻から後で聞いた話によると、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、急に泣き出したんだそうです。何故ならそれは、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、手術で直せる、そう分かったからなんです。こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。
これは私がこれまで生きてきた中で最も、死に際に近づいた経験ということになります。この先何十年かは、これ以上近い経験はないものと願いたいですけどね。
以前の私にとって死は、意識すると役に立つことは立つんだけど純粋に頭の中の概念に過ぎませんでした。でも、あれを経験した今だから前より多少は確信を持って君たちに言えることなんだが、誰も死にたい人なんていないんだよね。天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わない。にも関わらず死は我々みんなが共有する終着点なんだ。かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。そしてそれは、そうあるべきことだら、そういうことになっているんですよ。何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。それは生のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって一掃される日が来る。とてもドラマチックな言い草で済まんけど、でもそれが紛れもない真実なんです。
君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。


PART 7 : STAY HUNGRY, STAY FOOLISH
私が若い頃、「The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)」というとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つになっていました。
それはスチュアート・ブランドという男がここからそう遠くないメンローパークで製作したもので、彼の詩的なタッチが誌面を実に生き生きしたものに仕上げていました。時代は60年代後半。パソコンやデスクトップ印刷がまだ普及する前の話ですから、媒体は全てタイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作っていた。だけど、それはまるでグーグルが出る35年前の時代に遡って出されたグーグルのペーパーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念がそれこそページの端から溢れ返っている、そんな印刷物でした。
スチュアートと彼のチームはこの「The Whole Earth Catalogue」の発行を何度か重ね、コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出した。それが70年代半ば。私はちょうど今の君たちと同じ年頃でした。
最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度は出会う、そんな田舎道の写真です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。「ハングリーであれ。馬鹿であれ」。それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。Stay hungry, stay foolish.
それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。
ご拝聴ありがとうございました。

2010/11/26

心の字パート3


私は私で私の心の字を書いた。
沸き上がる言葉を萌芽のままの状態で真実の自分を。
素直に見つめた愚かな私の体と心は欠点だらけだが、
嘘のない。
相手を傷つけないことだけは確かなこと。
飾ることをしない私の心はやさしさを追い求めては、
失敗を繰り返す。
ふと引いて考えることがある。
相手の気持ちになって考えてみる。
立ち止まる。
しかし、私の心はやさしさと快楽の間をさまよい歩くがごとく、
至福への道を進む。
好奇心が早くも覗き、
ただ自分の力に病むことを見つめる。
激しく心をたたく。
心地よい時間を待ちわびる。
動き回る。
人間が好き。
そして、旅が好き。
出会いを求めて見知らぬ街をあてもなく心の糸に引かれてみる。
あたたかい友への心の中をのぞきたくて。
満足を知らない私の淫らな心はいつも目標に達したことがない。
いつもこれ以上の幸福を求めて歩き出す。
楽に暮らせるところなんてどこにもないのさ。
あるとしたらここに違いない。
良き友のいるところ、
そして、また心の字を書いて旅をする。
平和と自由を求めて!
御供 1998/6/16

たとえ


一日が短い映画なら、
人生はたったひとつの言葉。
その言葉を見つけて詩を手書きで書くように、
人生にも手書きの感情が欲しくなる。
人生の感情文をしたためる。
夜になったら言葉はすべて違った意味を持つ。
消え去るものだけが永遠で、
たとえようもない言葉の渦にまきこまれる。
朝になったら、
言葉はまた現実を取り戻すのか?
言葉は意味のない意味になり、
たとえようもない言葉。
真実の言葉などあるんだろうか。
あるとしたら夜も消えない言葉だろう。
御供 2001/1/17

ひとりで


仲間と恋人と旅をするのもいいが、
何かを求めているならひとりでさまよい旅をする。
孤独を体験し、
自分と向き合う時間と向き合う旅がいい。
ひとりでいる時間を持たないと素の自分の声が聞こえてこない。
なるべき頭を空っぽにしてさまようべきだと思う。
あまりごちゃごちゃ考えないことだ。
何かを求める意識さえはっきり持っていればそれでいい。
あまりごてごて考えて悩んだりしたら家にいるのと変わらない。
ただシンプルに旅先での出来事に向き合う。
そうするだけでいい。
心も体もオープンにして見るもの、
聞くもの触れるもの。
すべてにフィルターをかけずに受け入れる。
旅にはいろいろな出会いがある。
出会いはいろいろな感情を生み出す。
すべてを受け入れ、
良い悪いと決めつけないことだ。
そうすれば、じょじょに自分の中に変化がやって来る。
この変化こそ待ちわびていたもの。
新しい何かのはじまり。
やはり旅は出会いが大切だ。
新しい出会いこそが自分をどこかへ連れて行って内面さえも変えてくれる。
心をニュートラルにして、
風まかせに動こうよ。
きっといいところへ連れて行ってくれる。
御供 2000/9/13

夢は逃げない


自分の夢は自分しかわからない。
考えられない。
無理に説明するもんじゃない。
自分が自分で本当になっとくする。
わかる人にはわかる。
伝わる人には伝わる。
やればいい。
頭がかってにストーリーを語り出す。
背中は静かに何かを、
そして夢を叶える。
一生懸命の姿が必要なものを呼んで来る。
やりたいことを今やらなかったら嘘になる。
あとでなんてという言葉は嘘っぱち、
今やること。
理屈じゃなく。
見栄でもない。
隠れていた気持ちが少しでも自由になれるように。
自分に嘘をつき、
自分から逃げることだけはやめよう。
自分にだけは言い訳はいわない。
夢は逃げない。
逃げているのはいつも自分だ。
変なことを言ったり、
誤解されたり、
笑われたり、
憶測であったり、
何を恐れているのか。
恐いものは外にはない自分の心の中にある。
自分の中の揺るがないもの。
それが見つかればいい。
誰が何と言ってもやりとげたいという遺志、パワー。
そして好奇心が欲しい。
テンションをあげる。
ひとりひとりに対する愛と時間を無駄にするな。
魂を持って生きろ。
夢を叶える。
御供  2001/1/17

途上


成田からLAまであっという間の旅の途上。
今度の旅はとても面白くなるだろう。
タイミングよく決まったもの。
地上に朝が来て、
私の心の中は太陽のよう。
重力に逆らって飛行機が飛んで行く。
どこに行ったっていっしょだと思っているが、
旅をし続けることは必要なこと。
地球では投げた物が放物線を描いて落下していく。
みんな同じだ。
その事実に深い感動を覚えたことがある。
時々私の心が重くなるのも同じこと。
ここの天気はとても暖かい。
同じ地球上なのにどうしてこんなに違うのか?
うれしくなったり、
ハッピーになったり、
おかしくなったり。
とてもいい気分の旅の途上。
御供  2001/1/7

2010/11/20

デニス・ホッパー


大好きなアクターであり、
あこがれの人。
オールド・ベニスの自宅で74歳で全立願で亡くなった。
何故か悲しさがこみ上げ、
心の中をさみしい風が吹いている。
この知らせを聞いて私は自分を彼の死に重ねてみた。
すぐにLAの友スコットにメールした。
まだメールは返ってこないが、
デニスが死んだなって信じられない。
最近死というものが身近におこる。
この間は週に一度は会っていた人が亡くなった。
でも未だにわからない。
サンズの河で水遊びでもして遊んでいるんだろうな的に思っている。
私はビートの詩人が好きでこうして詩を書き始めた。
アメリカにあこがれ行ったのはデニスの名作イージー・ライダーだ。
そばではないが距離でない近くに彼はいた。
私は彼のことは少ししか知らないが、
彼の考え、思考、そして生き方。
何度か話したことを許されたとき、
的確なシャープな答えが返ってきた。
この衝撃がいまでも頭からはなれないほどだ。
74歳という歳は彼にとってはラッキーで。
いや鼻が利く彼だから、
この地球ではないどこかに悪さをしにいくチケット手に入れたのかもしれない。
彼の体はなくなっても彼のソウルは私だけでなく、
多くの彼を知る者、
彼のファンの心の中に生きていることだろう。
御供 2010/11/19

テロ


罪もない人々がテロの犠牲になる。
たくさんの子供たちまで無差別テロにより脅威におののく。
眠れない日々を送っている。
いくらどんな理由があろうとも、
人間が人間を傷つけるということはあってはならない行為。
輝いている子供たちの未来を一瞬にして奪い取る。
このテロという行為。
地球上にはいろいろな人間が住んでいて争いがどこかの国では続いてる。
ここ50年以上平和な日本に住んでいる私たち。
地球のどこかで争いがあっても実感できない。
ニュースで毎日ニューヨークの同時多発テロについて報じてる。
だが、自分の身にふりかかってくるとは思わない。
でももしこれが第三次世界大戦につながれば、
もう地球はこのままカタチをたもつことができないと思う。
もっとひとりひとりの心の中に争いに対して完全なる「ノー」
という意見が生まれないかぎり戦争は終わらない。
何故に人間は争うのか?
権力という力が弱い者たちを戦わせる。
富というものを自分たちから権力者にもたらせるために戦わせる。
心やさしき者たちは、
それに対して考えることも許されない。
従わなければならないのか?
ひとりひとりの心の中に完全なるコミュニケーションが生まれることを祈ろう。
そうすれば世界はいい方向に進むだろうから。
非人間的な争いという行為を絶対に「ノー」を持って、
人々の心の中にやどる日が来ることを!
御供 2000/9/22

信じる


信念とはいったい何だろう?
自由っていったい何だろう?
いったい今の世の中何を信じて生きていけばいいんだろう。
旅することでいろいろなことがわかってくるが、
どんどんわからなくもなってもくる。
好きなことをやって一生生きて行けたらどんなにいいだろう。
何につけても私には意見があるのだが、
それがいかに社会と隔たってしまうことか?
社会一般でいいとされていることが私にはわからず、
社会で悪いとされていることが私の興味をそそる。
そんな隔たりの中で生きている今。
私はどんどんとり残されていく気がしてならない。
私はひとりで歩いている。
心の中をよそに顔はいつも笑っている。
人に弱みは見せないでただ生きている。
常に学ぶことをわすれずに、
知識をつけるために目を大きく見開いている。
心を大きく開いて生きている。
自分らしさを忘れないため、
自分らしく生きている。
明るく声高らかに笑い、
真実を見つめて生きる。
人生というものを稔りあるものにするために、
心からの自分自身と!
御供 2002/1/3

恋いこがれる


ちょっとした色気が目に止まる。
キミは私のハートを射止めた。
爆発したハートをおさえるにはまだ若すぎる。
明かりをつけた時に、
キミの肢体がいけないんだよ。
むっちりした足。
真っ赤な寝間着、
色っぽい視線。
ちらっと見ることくらいしかできなかったよ。
キミは利口で大人だ。
大人の男女の恋の物語は今書き始めるばかりなんだ。
女として一番いい時はアドレナリンを充分に発して人生を謳歌している女。
おしとやかでわきまえていても、
喜びの時間を持つことが好きないやらしい女。
でもお高くて自分からは言わない。
言わせることができるいやな女さ。
一目ちらりと見ただけでわかったよ。
キミも私に恋いこがれているということを。
私を見る時の好奇心の目。
その流されたようなまなざしに、
私は恋してしまったのかもしれない。
キミは綺麗だ。
まるで天使のよう。
私の心に火をつけた。
一番いい時期を一瞬でもいい、
共に共有しよう。
もう私はキミに首ったけ。
名前も知らないキミのことが好きになってしまったんだ。
そっとやさしく抱きしめてあげたくなった。
もっと美しく、もっと綺麗にしてあげたかったんだ。
こんな素晴らしい宝物の時間になるなんて。
私の願いを叶えておくれ、
少しの間お話をしてくれればいいんだよ。
キミを天国に連れて行ってあげよう。
私の精一杯の燃える心で包んであげよう。
ゆりかごの中に眠るお姫様のように。
キミを天国へ。
いっしょに行こうよ。
この世の果てに!
御供 2002/6/29

時間とは


時間とはカタチのないお化けのようなもの。
長くも短くもなる。
カタチのないカタチを持っている。
とてもいいものでもあり、
どうしようもなくいやなものにもなる。
人間はいつも時間の中を旅している。
時間は同じように繰り返しす。
突然止まったり、走ったり、歩いたりしながら、
自由自在に人間をもてあそぶ。
時間というものにばかされる人がよくいるよね。
ぜんぜん時間を守れないとなったら、
人間は時間におびえ出すかもしれない。
支度をして出ようとしているのに出られない。
あっという間に時間が飛び込んでしまう。
そんな飛びっぱなしの時間の中の人生も人生に変わりはない。
人間は歳を重ねるごとに時間の感覚が短くなるように思う。
子供の頃は時間が経つのが遅かった。
でも、20代、30代と過ぎるにつけて一日が短くなる。
時間に対する余裕もなくなる。
時間の亀裂に落ち込んで時間の先端を想像する。
10年後の自分を思う。
不思議に時間は進まない。
いくつもの時間の溝に足を踏み込み出られないでいることがあるよね。
まるで逆戻りしたかのように錯覚する。
時間の先を楽しみを持って想像するとき、
それを夢というのだろう。
私にはたくさんの夢があって、
いつも満足したことがない。
時間が歴史の線を引くのだけれど、
その線に乗れない者がたくさんいる。
また時間に対して前向きにきちんと積み重ねて記録している人もいる。
そして人生のスケジュールをたて、
その通りに進み始める者もいる。
行き当たりばったりの時間を使う者も少なくない。
確かに現代は人間の生活にとって充分ではないようだ。
何もなく自然と会話していろいろ学んだ頃の人間は、
ゆったりとした時間の流れの中に身をまかせて生きていたに違いない。
人間の感情の中に入り込む時間もある。
怒り、笑い、悲しみが分かち合う時間がある。
人はみな同じように時間を過ごす。
失敗と考える人もいればいい勉強だと考える人もいる。
いったい私はどこから来て、
どこへ行こうとしているのか。
今の私の時間がいじけていると誰が言えよう。
時間とはあいそよく。
毛嫌いするものでもない。
やさしくつき合って行こう。
そしてひとりでいるこの時間を創造しよう、
時間といっしょに!
御供 2001/1/8

自分探しの


旅に出るということは、
甘たるい今の東京を後にしてどこか違うところに行くこと。
そこで自分がどれだけ通用するかということじゃない。
自分探しのような気がする。
東京にいればいろいろな知り合いがいて親がいる。
親戚もいる。
だがここを離れると頼れる人などいない。
頼れるものなどなにもない。
ただ自分を信じて生きて行かなくちゃならない。
何をやろうと勝ってだが、
何かやらなければ生きていけない。
旅先で出会った人と会話して、
何がどうなっているか聞かなければ始まらない。
東京のような都市だったらだいたい予想がつく。
しかしこれがぜんぜん違った文化圏だったら手が出ない。
スマイルと手真似で知り合い。
意気投合しなければはじまらない。
現地の人と交流を深めない限り、
右も左もまったくわからない。
どこにいるのかさえもわからない。
旅はそこが面白い。
ぜんぜん言葉が通じない未知の土地でも何故か友ができる。
そうするとやさしくしてもらえる。
こちらから愛を持ってやさしく話しかけ心を開けば、
相手もかならず心を開いてくれる。
だから旅に必要なのはオープンな心と相手を楽しませるジョークというわけだ。
笑いの中に芽生えた友情は大きくなって、
私を至福へと連れていってくれる。
なんにもまして貴重な体験になってポケットに入る。
心を開いて旅に出よう。
新しい出会いを求めて。
どうにかなるさ。
思いっきり愛を持って接すればおのずと道は開けてくれる。
楽しいワクワクした時間がやって来る。
だって、人生は愛した分だけ愛されるのだから。
明日に向かって旅しよう。
綺麗な心で心を開いて旅に出る。
またひとつ幸せが見つかるよ。
御供 2000/9/13

2010/11/19

母さん


近くにいすぎて気づかなかった母の偉大さ。
幼い頃、私はいつも母のまわりで元気に気のいくまで遊んでいた。
なんの不安もなくただあんのんと育った。
私は母の愛の中で泳いでいた幸せな魚のよう。
今こうして大河という人間社会をひとりで泳いでいると、
あの頃の穏やかで規則正しいやさしい流れを思い出す。
風が吹こうが,
雨が降ろうが恐ろしさなどいちどきも感じなかった私の記憶。
それは母の愛によって守られていたんだとようやく気づきはじめている。
私は人生のその小さな流れの中から大河に流れ出し、
いずれは海という人生の終わりに行き着くことだろう。
私が選び、
私が進む流れはそんなになまぬるい流れではない。
しかし私が決めて、
楽しく流れていくしかないと思っている。
どんなに強い流れでも基本的な泳ぎは変わらないのだから、
どんなに大きな流れでも私は泳ぎきれると信じてる。
だから、あえて大きな大河に向かって泳ぎ出す自分がいる。
母によって覚え、
母によって育った私は上手くないかもしれないがきちんと泳ぎきる。
そんな自信に満ちている。
これもきっと母の愛による自信なのかもしれない。
母はいつも私の中に根強く生きている。
母の絶対的な愛は私の絶対的な自信。
だからあえて世界というフィールドに流れ出る。
いくつもの苦難に満ちた私の人生は、
そうたやすいものじゃない。
しかし、私が決めて私が生きる私の人生。
誰かに追いかけられたわけじゃない。
母には悪いと思っているが、
私自身があえて困難な道を選んでしまったのだ。
でもいつも母は私をやさしく許してくれる。
いつも私の理解者として愛をくれる。
母の愛はいつも私を暖かく包んで私のエネルギーとなってフル回転し、
どんな流れにも負けないパワーを与えてくれる。
働き者で気のいい母が私に乗り移った。
その楽天的な性格は、
私の日々を笑いと至福の世界へと誘ってくれる。
母のように生きたい。
いつも元気で何に対してもポジティブでまっすぐに進む母。
どんなことがあっても前向きに精一杯やる母。
いつも明るく働き回り止まることをしらない母。
そんな母を見て育った私は、
止まることなど決してない。
いつでも終わりのない幸せを探して歩いている自分がいる。
母に連れそられて進む。
私はどんなでこぼこな流れでもへいっちゃら。
母によろこんでもらえるところまで泳ぎ続けよう。
私は人生を生きる。
御供 2000/11/5

母の死


母がまるで今でも生きているような気持ち。
母が死んだなんていまだ考えられないで7年が経った。
目を閉じるといつも笑ってくれる母がいる。
母の死が私を包む。
仮想現実かなにかのように、
そこにいない母を思う。
人間の死とは不思議なもの、
現実のものと思えないまま7年が過ぎた。
でも、母の死はいまだ信じることができない。
心の隙間に入り込んでくる母の想い。
人生にはいくつもの壁がある。
何かの壁にぶつかった時、
かならず母が現れ私のささえになってくれる。
私にとって力強い助けとなってくれる母。
どんなに打ちひしがれても、
母の存在がいつも救ってくれる。
母のおおらかなやさしさと確かな愛は、
いつでも私の心のささえとなって私の進を開いてくれる。
母が死んで7年。
その死を信じたくない私は母がいつも隣に座っていると錯覚する。
私にいつも手をさしのべて裏切ることをしない。
母はどんな時でも私の味方。
母の愛は私の心の中で膨らみはするが、
ちぢむことはない。
母さんおはよう。
母さんこんにちは。
母さんこんばんは。
いつもの挨拶の中に姿をあらわし、
その一言に母を思う。
私の心を母を失ったことなどみじんにも受け入れられない。
そっといつもやわらかく包み、
ほどくことのできない非現実。
母のことを思うと目頭が熱くなる。
私は母の死をいまだ受けとめられない。
母が私にささやく。
いつも笑えと、
いつも頑張れと。
私は母に励まされたまま歩き出す。
御供

過ぎ去りし日


一年が経ったのに世界はぜんぜん変わりはしなかった。
自分の人生も変わらずに好きな道を進むことにした。
空虚な生活は過ぎ去りし日となり、
上向きの人生がやって来る。
そうずっとあったドラッグへの思い。
これもひとつあった。
しかし充実した人生は心の豊かな人間に訪れるとわかってからは、
そんな間違った道なんて考えなかった。
大いなる至福に向かって話せ、
立て、くそしろ。
食え、寝ろ、、、、、。
太陽が沈むのは見たくない。
昇るのだけで十分だ。
人生の情けなど訪れはしなかった。
夜明けたあとも一度も悟りなんてしなかった。
虚無が来た。
だって、過ぎ去りし日はもう自分の中にはとっくに消えている。
新しい日を待つだけさ。
御供 1999/2/15

2010/11/18

HAPPINESS


EVERY BADY HAPPY!
みんなが幸せになればいい。
人生は気づき気づかれすべて楽しみの中にある。
時間の先端を見つめてフューチャーの中に自分を置く。
創造こそが大切なんだ。
人生をいかに古いモラルを捨て去って生きるか、
新しいモラルを構築するかなんだ。
人間が幸せであるようにリスペクトする心の中に、
フレンド・シップの輪が広がりみんなで目的意識を持つ。
時間の先端を見つめよう。
誰がダメだってダメなんだ。
みんなでよくなることさ。
今日よりも明日にフューチャー・スイングス。
飾りだらけの人生はどうする。
あんなに愛されて育ったじゃないか?
ハッピネス、
ハッピー・エンド。
何をやったって変わることじゃないさ。
みんなでいっしょに行けばいいことじゃないか。
何を考える。
他人にジェラシーを感じてなんになる。
みんなでゆっくりとした時間の流れの中に楽しみを見つける。
時間の上を歩いて行けばいいことじゃないか?
自分だけ楽しんでどうする。
ゲット・ツゲザー。
楽しくやればいいことじゃないか。
楽しくなけりゃ人生じゃない。
ハッピー・エンドじゃなくちゃ人生じゃない。
御供

そんなことって


そんなことってあるのかな、
生きて行くのにエンジョイできないなんてあるのかな。
楽しむためにある人生を楽しめないなんて、
そんなことってあるのかな。
何をやってもいいけれど、
ひとりじゃできないんだ。
みんなで相乗効果で浮上するんだ。
最低限の仕事は仕事。
もうそんなんじゃすまないよ。
元気を出してなんでもやろう。
選ぶほど余裕はないのだから、
とにかくなんでもやろう。
やらなければ始まらないのだから。
アイデアがあって働く人がいて出資する人がいれば、
なんでもはじまることをわかっているだろ。
わかつているんだったらはじめよう。
もう20世紀も終わりなのだから。
21世紀を目の前にして何でもやれると思うんだ。
何かをはじめちゃってからグループをつくるんだよ。
それがやっと来たのさ。
来たことはわかっているだろ。
今やらなければはじまらない。
はじめなきゃいけないんだ。
御供 2000/9/12

ゆっくりと


私はこの時間を待ちわびていた。
こうしてゆっくりと流れる時間の中を、
あてのない創造を意味のあるものにする。
私はいつも架け橋で必至に生きてきたような気がする。
喜びのない人生に比べて、
喜びのある人生がいい。
私はそれを噛み締めてゆっくりと生きたい。
この流れは人間がつくり出すもの。
人生とは一瞬一瞬に喜びを感じる。
現在と未来に夢を持って突き進む。
それこそがいい人生。
暗闇を手探りで生きているような。
死んだように生まれてくる日々のようなものはなくていいもの。
漂うようにゆっくりと大きく深呼吸して生きていたい。
一日という時間の単位はあっという間に終わってしまう。
これは日常という毎日にならされているからに違いない。
私は歩く。
ゆっくりと歩く。
決して人生のエレベーターに乗らず、
一歩一歩階段を昇っていく。
決して黒いトンネルを好んで通ることをしない。
雨の日も風の日も、
ゆっくりとただ昇り、
楽しみの中に送りたい。
御供 2002/6/17

マルセル・ディシャン


ユーモアのセンスがあり、
強いキャラクターと易しい心を兼ね備えている。
社会に迎合する自分の歌を歌いながら己の道を突き進んでいる人間。
そんな人間がいる。
御供

与えるもの


自由という精神がなんの刺激もない毎日に繰り返される。
それは幸福というよりは幻想というカタチの自由かもしれないが、
充分に男のロマンを味わえるものに違いない。
しかし社会からは少しはずれ、
狂人扱いされるかもしれない。
天使のように自由の翼を持ったなら、
私は地球というわれわれの住む家を歩き回りたい。
だって自分の家の中を歩きまわらない者はいないのだから。
自由とは自分勝手にやることじゃない。
そりゃ少しは早い隠遁生活をやるかもしれないが、
自分の生活に手直しを施す。
社会と共存していろいろなものを与えられる人こそ、
本当のさらなる自由というものを手に入れる。
やることをやって手に入れることができるものなんだ。
人生に何不自由なく生きることが自由じゃないんだ。
自分の遺志や目的をはっきりもって、
それに向かって進んで行く。
またさらに次を望むこと。
どこまでも満足という妥協をしないで上へ上へと自分なりに生きること。
これこそが自由なんだ。
自由を与えられたいものだ。
御供 2000/10/26

好きなことだけやって生きてきた


アフリカの大地を眺めている自分がいる。
眼には見えないのにいつも見えているもの、
それが好きなものだ。
むろん具体的に見えているのではないけれど、
ここには好きな無数の意識が実っているのだと考えている。
飢え、苦しみ、病んでいるとしても、
その意識こそ黄金の果実なのだと思う。
その光景を脳に映している私は好きなものを考えている。
苦しくも楽しい。
そう感じられる私は好きなことだけやって生きてきた。
はじめから何になろうと決めたわけじゃないけれど、
気がついた時には雑誌の編集者になっていた。
これは知らずのうちに私が選んだことなのだ。
そして20年以上も経った今でも同じ仕事を繰り返している。
知らず知らずのうちにそうなっていた。
今でもこの編集という仕事にあきてはいない。
この仕事が好きなことが変わらない私は幸せ者だと実感する。
お金や名声、社会的な地位を確保したわけじゃないけれど、
未だ現場でその原稿書くという作業に満足している自分がいる。
旅にもたくさん出た。
人間ともたくさん会った。
新しいものにもたくさん触れた。
服をたくさん見た。
そしていつもやりたいこと会いたい人と会い、
フューチャーを語り合うことができる仕事。
やってきたことが山済みのように残ったことも、
このアナログという雑誌ならではのことだろう。
私は今も好きなことだけやって生きている。
そう感じられる自分がうれしい。
こうやって人生を楽しむと共に膨らませていきたいと考えている。
今の仕事をより発展させて!
御供 2000/9/11

現代散文のため


1、自分自身の喜びをらくがき帳に詩として書く。
2、あらゆるものに偏見を持たず耳を傾ける。
3、自分の人生を愛する。
4、感じるとこのものはそれ自信の理想を見つけ出す。
5、くだらない精神にとらわれず熱狂する。
6、好きなものだけ探し息を吹きかける。
7、心の底から再現なく望むところを書く。
8、個人というものに対して語らえぬビジョンを持つ。
9、確かに存在するものに時間を費やす。
11、空想的で病的な終着で胸を震わせる。
12、トランス状態の凝視によって目の前のものを見る。
13、文学的、文法的なものを排除する。
14、プルーストのように時間について年をとったマリファナの常用者のように考える。
15、内面の独白でもって世界の真実を物語る。
16、重要かつ貴重な中心は眼の奥に眼である。
17、自分自身を回想し驚きつつ書く。
18、並みの眼から抜け出て言葉の海を泳いでいく。
19、永遠に損失を受け入れる。
20、人生の聖なる輪郭を受け入れる。
21、心の中で傷つかずあらかじめ存在する流れを描写するように努める。
御供 

自由を得る


幸福とは不幸という概念を生んだ幻想である。
幸福概念を超えた大事なこと。
それがあらゆるものにとらわれぬ自由。
自由の結果として迎えた絶望は実体のない幸福よりも甘い香りがする。
しかも自由とは他者また社会から与えられるものではなく、
自らの精神に存在するということだ。
数々の因習を打破した時代の自由は木々の伐採した荒野に似ている。
その荒野では多くの若者が飢えていた。
自由になりための自由さえ見つけられない社会だ。
強烈な個性を打ち出すことで自由は得られるかもしれない。
御供 2000/10/26

遊びで


言葉を駆使し、
ユーモアで笑わせる。
悲しみで溢れた男がもしいたとしたら、
そんな生き方を生きたいものだ。
職業も遊びで編集をやり、詩を書く。
映像もやり、
ある時はスタイリスト。
そしてインテリアも手がけ。
ラジオのDJとクラブ・オーガナイザー。
旅人のように世界中をまたにかけて動き回る。
興味の対象のごとく動き回る。
これからはマルチの時代、
モノが有り余っているこの社会で必要なこと。
それはユーモアを持って楽しく、
何にでも挑戦するということ。
吟遊詩人のごとく「今の口を遊んで歌う人」。
文化というアートやファッションを切り口にしていろいろな人に出会い、
会話する。
風のように舞って臭いをかいで動き回る。
一生旅というテーマの上で歩き続ける。
オリジナルな考えで創造しつづける。
子供の心を持ち、
やさしさと思いやりを与えて動きすべてが上手く行く。
何だって真剣に遊べばかならず後からついてくる。
人をよろこばせる愛をいつもポケットに入れて、
あらゆる手段で動き回る。
夢見る人でありたいものだ。
常にまじめに遊び、
人を愛することを忘れない。
何かに恋している。
人に思いやりを持って接し、
丁寧に言葉を使う。
私の人生は遊びがいつも優先している。
でもしっかり遊んでいる。
だから人生は楽しい。
御供 2000/10/25

2010/11/17

私の詩に出会うあなたへ


私が詩を書きはじめたのは多分10歳の頃からだと記憶している。
だが、20代から30代の前半は詩よりも雑誌の文字と遊んでいた。
今までにどのくらいの詩を書いたか定かではない。
ここに記録している詩が1200を超えて、
未だ800あまり残っている。
この2000はここ20年の詩である。
詩の最後に1998年から始まっていることからわかるのだが、
それ以前に書かれた10年の詩が抜けている。
精力的に書いた10年間の奇跡が残っていないのである。
探しても探しても見つからないのである。
20年に2000とすればあと1000はあるはずなのだが失われてしまった。
それはそれでいい。
パッションが絶好調の時に書いた詩がない。
見つからないことを惜しんでも仕方ないと決めている。
いつかその詩が出てきたらラッキーくらいに考えられるようになった。
1000もの私の詩が風の彼方に消えたことも何かの意味があるのではないか?
驚くほど膨大な数の詩を前にしている。
しかも似たり寄ったりの詩であることは確かだ。
風がささやいたのをこの間聞いたのであるが、
ひとりの詩人が一生のうちに言えるのはひとつかふたつ多くて三つであるという。
同じような言葉を操ってゲームをしているのが楽しいのだ。
私の詩の本質が変わったらそれは私の詩ではない。
私の詩は私が生きてきた証しなのである。
いわば私がこの時代を生きたこと、
そうして私が雑誌の原稿で文字と遊んだのとまったく違う次元。
いわば私がこの時代を生きた告白だ。
未熟な私の文字を修正することも、隠蔽してはずがしがることもないのだ。
告白として私のルールをいつわりなくそのまま書いたもの。
無知の私の少ないボキャブリーを繰り返し、
書きたい時に書きたいままに書いたもの。
言葉のゲームでいつも負け、勝ったことのない私の平凡な言葉。
出来の悪い韻やしまりのないリズムかもしれないが、
今私たちが生きているこの美しい惑星地球の様々な問題に対しての意見。
欠陥や山ほど抱えた未解決な問題を否定するのではなく、
肯定の営みとしてとらえ、楽天的な馬鹿な私の意見を書いている。
書きたいから書いている。
試行錯誤するたびに一定のレベルの成熟。
あるいはまた倦怠さえ必要であることを書いている。
難しいことはわからないが無関心さえ必要であると書いている。
今も書いていて私は思い知らされた。
書くだけ書いて横を向いているだけだと思い知らされた。
そして私は未だそこまで達していない。
こうして書くこと以外できないのだ。
おそらくもう少し書き続けて出発点に立てることも自覚した。
いつまで書き続けていられるかだけはわかっている。
私が空気を吸って生きているかぎり、
一日も書かさず書いているだろう。
もしこんなくだらない詩でも目にしてくれたり、
聞いてくれたらうれしい。
そんな機会があなたにあったら聞くだけ聞いて、
すぐに記憶から消してもいい。
笑ってやって忘れて欲しい。
御供 2010/11/17
PS:LIGHTS&MUSICのポエトリーを前にして書きました。

2010/11/15

hotaka party


朝2時レンタカーを予約して、
仮眠をとってから交通渋滞をさけようと、
朝型出発しようと考えた。
しかし、友人からの電話で起きたのは3時。
結局4時にレンタカーを借りに行って出発は4時半。
下北沢まわりで5時半から6時くらいに東京を出た。
関超高速で沼田インターまで126キロ。
ルート124号を尾瀬方面に向かって9時半くらいには、
パーティの会場についたのだがそこからが大変。
友人2人は先にテントを張りに荷物を持って先発隊としてリストに乗った。
私たちもすぐに向かおうと思ったのだがあまりにも駐車上が混んでいた。
時間差を試みた。
思い立って会場まで行くバスに並んでみると驚くほどの混みよう。
しばらく列に並ぶと雨が降ってきて、
もう我慢できず雨やどり。
それがはじまりでバスに乗ったのが夕方5時半。
もう雨に打たれるは立ち続け。
おまけに坂道を歩かされるはでリストに並んだ時にはリストは終了。
レストハウスでバスを待っている今がある。
夜9時半未だにバスを待っている。
御供  2001/8/11

LSD・25


それぞれの肉体で神が踊る。
死の忘却。
新しい花々が開く。
万物の微笑の中の百万の象。
神聖なるひとみが幻影を見やる。
私は華やかな造物主を見る。
世界のために讃歌が高調する。
旗やのぼりが絶対境に響く。
永遠の中の無数のひとみにひとつのイメージが残る。
これが業だ。
これが理解というものだ。
これが人間の理解というものだ。
個人によってかなり違うものではあるが?
御供 2000/9/30

ひとりの朝を迎える


こうやって時間を過ごして夜がふけるのを忘れて何かに夢中になる。
突然暗闇がブルーの世界へ変わり、
朝がやって来る。
ひとりだけの朝が来る。
この朝はいろいろな自然現象を見ることになる。
都会に生活して知らなかったところを見ることになる。
朝はとても静かで、
何かが動き出す予兆の中に立ったままが多い。
ひとりの朝はとても寂しい。
だって、誰も話すヤツがいなくて、
ひとりの創作の世界は誰にも伝わらずにあるから。
朝が来る焦りにも似たもの。
このまま夜が続けばいい。
闇の中に身を置くと、
落ち着いた気分で集中できる。
しかし、朝を迎えると何故か寂しい気分になる。
私だけだろうか。
御供 2000/8/21

バロウズ


メソードはもっとも純粋な肉となるべきだ。
そしていかなるシンボリックな装いもせず。
真の幻想とその時経験したように幻想は示された。
すばらしい記述とともに、
ぴったりと照合する。
裸のランチはわれわれにとっては自然なもの。
われわれは実存のサンドウッチを食う。
だが、レタスにすぎない狂気をかくすな。
御供

パンク


パンクの歌詞には「啓示」、
すなわち危機と突然の変化についての言い古された表現が反乱していた。
パンクは混じり合った出来事である。
「レゲエ」と「ロック」の極端に異なる二種の言葉が、
不器用に安全に合流していた。
パンクはいつも矛盾してぶつかっている。
パンクバンドは概して年が若く、
プロレタリア意識が強く文学についてほとんど無知のまっただなかだ。
しかしよかれ悪かれパンクの美学の中にも文学的なものが、
ある意味で根源的にきざみ込まれた。
御供 2000/10/15