2010/11/28

ストラテジアに


知らないおっさんに京都の寺を案内してもらった。やけにフレンドリーでこちらが身構える位。段々どこまで一緒についてくるのかパラのう程。たまたま道を聞いただけなのにそれからここはこうで、あそこも行った方がいいと解説をつけながらあちらこちらへと引っ張り回す。「じゃあそろそろこの辺で」なんて言いかけてると「こっちこっち」とずんずん進んでいく。「知り合いの店があるから」とか言い出してこちらの疑惑はいよいよ深まっていく。そんな時に話だしたのがおっさんはもう仕事を引退して、一人好きだった歴史の勉強をしているとのこと。そして自分が知った京都の歴史を遠くから来た観光客にちゃんと知ってもらいたいって思っているってこと。ちょうどそこまで話すと目の前にあった中華料理屋にひょいと飛び込みながら「ここは友達の店、ほな京都を楽しんで」といいながら突然消えていった。俺はお礼もろくに言う暇もないまま、「あ、あぁおっさんありがとう!」とその場限りの京都弁風のアクセントで返すのが精一杯だった。
帰りの電車で色々考えた。今考えるとおっさんのツアーはメチャクチャ良かったなと。っていうか素晴らしい出会いだったぞと。おっさんがいなければ地元のスポットだっていう特別な景色も見ることがなかった。もっとしゃべれば良かったなと。俺はどうも頭が固くなってきたのに違いない。昔はああいうおっさんともっとすんなり話せたもんだし、怪しいなとか思わんもんだったと。別に無理にそうするのがいいってわけじゃない。実際怪しいおっさんとかインドだモロッコだで散々会ったし、金くれだのなんだの散々せびられたこともある。けどそりゃ最後にそうなったときに対処すりゃいいわけで、昔はもっと心に余裕があった気がしてきたわけ。仕事も金もないときは、持ってるものは時間ばかりで何をするにも余裕があった。仕事も金もちょっとでも持つとだんだん余裕がなくなってくる。
俺は無駄の多い人生がやっぱり送りたい。そうやって普段の生活で会わない人と出会ったり、しゃべったりしてまめ知識を増やして喜んだりしていたい。一日一日の積み重ねで、小さいことに幸せを感じながら、あぁ今日も一日無事に生きれた、そういう毎日でありたい。でかいことやりゃいいとか、新しいことすりゃいいとかそういうんじゃなくて。一期一会こそ人生だってことで俺の神様ジミヘンが死ぬ数時間前に書いた最後の詩を。

人生の物語は目の瞬きよりも短い
愛の物語はまた会うまでのハローとグッドバイ
  文 野村訓一
   御供

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

とても共感できたのでコメントします。
自分も小さな出会いとか身近な風景が好きなので。

匿名 さんのコメント...

とても共感できたのでコメントします。
自分も小さな出会いとか身近な風景が好きなので。