2010/11/03

ディシャン


言語はまったくの役立たずです。
私が使用するのはそうするしかほかならないからです。
私はそれにどのような信頼もおいていません。
われわれは互いに理解し合えるものではありません。
私はかつてすべての言語は同語反復になる傾向がある、
それを証明するイギリスの哲学者のグループに興味を抱いたことがあります。
私は彼らの「意味の意味」という本を読もうとすらしました。
一語も理解できませんでした。
しかし、コーヒーは黒いと言った類いの文章にのみなんらかの意味がある。
直接感覚で知覚された事実だけがなんらかの意味がある、
という彼らの考えに賛成です。
それを超えて抽象になって否や、
わからなくなってしまうのです。
言葉を絵画から引き出し、
さらに言葉だけの独立した領域を創り出すこと。
そして、それを絵画と並置させること。
ディシャンの油絵の放棄への歩みはそういう過程と平行していた。
ディシャンの特質とも言える言葉の遊び、他口、もじり、
しゃれは言葉は現実の写像ではないという。
彼の知覚と切離し得ないだろう。
御供 2000/11/17

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