2010/05/26

J・M・バスキアが死んだわけ?


ポップ・アートの旗手ジャン・ ミッシェル・ バスキアが亡くなって何年が経つだろう。黒人であるがためにモテハヤされたと言う人もいるが、彼は確かに天才画家だった。根っから絵を描くことが好きで描いて描いて描きまくって、駆け足で死んで逝った。
こんな話があるが、あなたは信じるかな?80年代私たちはNYで遊んでいた。イーストヴィレッジのジョン・ ルーリーのところにたくさんの悪たちが集まってDRUGSに時間を費やしていた。そこにはウィリアム・ ディフォー、マット・ ディロンの兄ポール・ ディロン、ジャム・ ジャーミッシュ他にもいろいろな連中が遊んでいた。マリファナ、コケイン、をメインに週末はカプセルのエクスタシー<MDMA>、スペシュルKなどでナイト・クラビング。
だが、DRUGSはエスカレートするものである。誰彼となくヘロイン(ブラウン・シュガー)を手に入れてきた。ジョンと私の数人はすぐにはまった。一日に二回〜三回はアベニューBまでピックアップに行ったものだ。
そんな時、バスキアは言った。『ヘロインをやるヤツは友だちじゃない』と、みんな必至でヤメようとした。イースト・ビィレッジまで行ってDRUGSTOREで小さな瓶に入ったコデインを買いソレで必至にヤメようとした。副作用で今度はコデインの中毒になってしまったほどだ。やっとぬけた頃、今度はバスキアがはまり出した。あんな事を言った手前、隠れてやっていた。ヘロインというものはひとりでやるとやばい。
彼はその頃、絵が売れ出してお金が手元にあった。いくらだって買う事ができる。コークのように見せかけたヘロイン<ナンバー5=これは白い粉>をやっていた。これは純度が高くとても危険なものだ。隠れてこんなものをやったら大変。だからあげくの果てはドープしてしまった。DRUGSのなかでもヘロインだけは別ものだ。ジャンキーというのはヘロインだけの中毒者のことを言うらしい。致死量があるのもコレだけで、あとは大丈夫ということだ。
なんでもそうだが、みんなで楽しんでやっているうちはいい。ひとりでやりだすとまずい。うそだと思ってもいい。ただ言えることは実際に起きた事件だという事実。私が言えるのは、80年代のクレイジーだった頃のニューヨークのこんなことを繰り返してほしくないだけだ。信じてほしい。御供

1 件のコメント:

ロバート さんのコメント...

Rest in Peace, you two... well at least _try_ and get some rest every once in a while. :)
-August 13, 2016