モッズ、ロッカーズ、スキンヘッド、パンク、、、。
彼らが持っている表現力には豊かな形式があり心引かれる。
異端児として追放され非難されたが認められる。
ある時は公秩序への脅威とされたことさえある。
ある時は無害な道化者として扱われた。
安全ピンや先の尖った靴、
オートバイなど。
ごくありふれたものの中に共通点を持っている。
これらはありふれてはいるが象徴的な形を持っている。
自己に課した追放の印だ。
作用、反作用の弁証法を再生させ、
これらの事柄の意義を解消する努力が必要だ。
サブ・カルチャーの表面はどうであれ、
二重の意味を持つ、日常品で作り上げたスタイル。
その中に反映が見える。
社会に対して警告し、
不自然な笑いの中に真の異なるものがある。
その正を問うものにはかなわない。
サブ・カルチャーの意義については議論が耐えない。
相反する定義が最もドラマチックな力でぶつかり合う。
『拒絶』の行為には行うだけの価値がある。
そのジェスチャーにも意味がある。
その微笑みとあざ笑いには破壊的な価値がある。
それは落書きかもしれない。
落書きは人を惹き付ける。
人の注意を引く。
落書きは無力の表現であり、
ある種の力。
モノを醜くする力。
その表現が落書き。
様々なスタイルに埋め込められた意味。
それがサブ・カルチャー。
サブ・カルチャーという言葉は、
神秘に満ちている。
この言葉は秘密のようなフリー・メイソンの誓い。
暗黒街などを連想させる。
サブ・カルチャーからはこれ以上大きく、
しかも困難な『文化』という概念が浮かんでくる。
そう文化の概念の中にあるサブ・カルチャー。
御供 2000/9/28 11/12/21
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