アメリカは世界有数の消費国家である。
派手に戦争もするけれど、
一方では良心のように消費文化に対する行為に対抗する文化がある。
カウンター・カルチャーだ。
根強く流れている心優しき人々たちが、
自分の土地から追い出される。
路上で放浪させられて飢えに迫られている。
故郷を捨て、
自分たちの進む道をカリフォルニアに見出そうとする。
サンフランシスコのノースビーチに彼らは拠点を置いた。
そこで言葉による革命が生まれた。
ポエトリー・リーデォングによる人間の、
アイディンティティの回復だ。
ビートな言葉はここで生まれた。
この時代に住む人々に大きな影響を与えた。
心ある生き方の水先案内だったのだ。
ビートニクはニューヨークのビレッジに生まれ、
飛び火してカルフォルニア・サンフランシスコで花開いたのだ。
シックス・ギャラリーに集まったビート・ジェネーション。
そこで心の底から沸き上がって来た言葉を発した。
新しいアメリカへのメッセージを詩に載せて、
歌い、確かめ合い、触れ合い、
心から願い、共感していったのだ。
これこそがビートの言葉。
真の人間の言葉となって多くを変えていったのは間違いない。
このビートの言葉は、
現代この東京にも確実に要求されている。
大都会東京に住む人たちは、
迷い寄りどころを求めて止まない。
ビートな言葉が、
もしこの東京で発せられたらいい。
どんなに心から救われることだろう。
詩という形式にとらわれず、
沸き上がる言葉を萌芽のままの状態で発する。
病んだこの大都会東京に必要なのは、
このビートな言葉なのだ。
私は私の心に決めてこのビートな言葉を発する。
これが私にできる唯一のこと。
だから、今日もこうして書いている。
御供
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