この氾濫する情報の中でたくさんの雑誌が出ている。
多くの雑誌がまるで新聞折り込みのチラシのようだ。
カタログ化している。
どの雑誌を開いても同じようなことばかり出ている。
まるで日本人の大好きな幕の内弁当のようだ。
少しずつ当たりさわりのないものが、
あれもこれも入っている。
みんなおきまりの優等生気取りでね。
一枚の写真と短い文で人生を変えてしまうような雑誌が欲しい。
ただそれだけでいい。
切り取って壁にピンでとめて、
いつもいつも眺めているお気に入りの写真。
このひとつの記事が、
その人の人生の扉を開けてしまうことになる。
そんな雑誌がない。
これでもかというのりの上手いのり弁がない。
あれもこれもじゃなく、
美味しくて、新鮮で、パリパリしているのり弁当。
そんな雑誌の時代がまた来ている。
時代はないものを要求し、
その出現を待ちわびているんだ。
けしてマスターベーションでなく、
相手も気持ち良くて出ちゃうようなやつ。
そんな時代が到来していると思わないか。
かつてパリに偉大なるリトルマガジンが生まれて、
多くの未解決な問題が解決したんだ。
この腐りきった東京の雑誌の中で、
もっとパーソナルな雑誌が欲しい。
この物質主義の社会の中で、
商業的に画策されていない雑誌がいい。
青々とした新鮮な野菜のような美味しい雑誌が欲しい。
そんな雑誌が生まれてくるべきだ。
いや、生まれるべきだ。
この地球に残された資源と時間を無駄にしないでくれ。
自分だけ良くなろうとする考えをやめて、
みんなで良くなることを考えたい。
自分のルールの中ではっきりとした意見を持って、
街で見つけた自分だけの情報を伝えるべきさ。
生きていくのにたくさんのものなんて抱えきれない。
しっかりとした目で探しあてたものを紹介する。
自分に言い聞かせるような雑誌を作っていくべきだ。
そうじゃなかったら、
いつまで経ってもこの泥沼から這い上がれない。
自分の心に忠実に正義ある記事を堂々と載せた雑誌。
こんな偉大なるリトルマガジンを時代は待ちわびている。
グラフィックは確かに大事だし、
きれいにレイアウトするのもいい。
一番大切なのは言いたいことがあるか、
ないかじゃないかな。
偉大なるリトルマガジンの時代に突入に期待したい。
御供 2002/3/29
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