2010/06/19

本質


あらゆるものは同じもの、
本質でできている。
母なる自然ではなく、
純粋な自然。
思考の実体を表現するのも、
このからっぽの実体と同じ。
それはそこにあり、
どこにでもある。
からっぽさの内側に、
私が聞く沈黙と同じ。
無知な思考回路がはりめぐらされている。
私の心の中の映画のひとコマのように。
現代世界のどこに本質と呼べるものがあるというのだ。
あるんだったら、その本質に向かって進みたい。
見えないが本質に向かうことを考えてならない。
こんな本質をとらえるために、
本にぴったりした言葉があるだろうか。
すべてのものが本質から遠のき、
愚劣なものになっている。
ともかく愚劣な思考は、
今以降すべての愚劣をして片をつける。
つまり詩だ。
一編の詩が愚劣さを始末する。
苦しんでいる自分が幻なんだと思う。
同じ意味で幻はいくつも存在し、本質の近くにある。
至高にして完璧なるもの。
本質の近くにいたのに私は何も得なかった。
全く何も得なかった。
何も変わりはしなかった。
何も実現されるはずがなかった。
あらゆる偽りの概念を捨てることによって、
本質がつかめるのか。
内なる世界へ私は向かった。
私は何も言わぬまま。
私は自分が何を考えているのかも解らぬまま。
空白のエクスタシーの中。
どんなものも、
自分のからっぽに気づいていない。
だから、本質を見出せないでいる。
そして同じところへ帰って来る。
到着点は終着点。
ただ、本質というそこへ行けないだけ。
バカみたいにただベットの脇に腰をかけている。
一晩中見ていた本のひとつの言葉を繰り返しながら、
うつらうつら時間を過ごす。
宇宙の精神に目覚めて気づいてみれば、
体得するものなど何もない。
ただ本質を見つけたいだけ。
   御供 2001/12/12

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