2011/07/26

見えなくなってしまった時代



私たちは何を歌えばいいのだろう。
私たちはまだ本当のことを歌っていないはずだ。
この世界が回転木馬だとしたら、
昨日まで乗っていたメリー・ゴーランドを降りなければいけない。
何もかもの事実がうんざりさせる時代。
21世紀という時代の悪びれた都会で、
橋役を演じる私たちが押しつぶされそうになる。
重い黒い空気の中を飛び越える。
天使の翼が必要な時代。
こういったことをおそらく何千もの夜に感じながら、
今日まで歩いて来た。
そしてそれが私の詩であり歌なんだ。
私の声はどこまで届くだろう。
やはり私たちは淋しくて、
自分の狭い空間を自覚した時はじめて知る恐怖。
パーソン・ツー・パーソン。
この歌が生まれる。
言葉はシンプルに語られるだろう。
時代の流れが言葉に多くの交信をもたらす。
何かを伝えようとする。
新しい言葉を生んだのは、
生活のリズムや季節のリズム。
歌としての言葉はもっとせつないメッセッージだったのか。
今日では音楽はあまりにも楽しみの道具化し、
まるでミルクのようだ。
そばにある言葉がまるでプラネタリウムのようにキラキラ輝く。
時代を夢見る。
必要なものは多くはいらない。
ひとつあればことたりる。
私の声は届くだろうか。
多くのメディアにのるとかならずといっていいほど違ってしまう。
違った受け止められ方をする。
今日のような混乱した世界をつくってしまう。
愛するものが愛されるもののために歌う。
聞きたいものが聞く耳を持つための人に歌う。
なんてシンプルなことだろう。
明日が見えない時代。
この楽しみの音楽は無償の音楽。
見えない時代が、
少し見えて来たような気がする。
 御供 2011/7/24

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