一生の中の時間という空間は後になって考えてみても、
見えない空間が多いことに気づく。
後で数えることはできても見えない。
その時空に戻ることはできないのだ。
楽しみも喜びも来たりし、
また去るのだから。
真空パックのような時間は確かにある。
解凍してしまえば、
元の木阿弥である。
思い出した時に,
その時に戻ることはできない。
未来はかならず来る。
時間を遊ぶことを学ぼう。
こんな時にはこんな風に。
あんな時にはあんな風に。
もちろん演出は必要だし、
心の中に意識として流し込むことだ。
がむしゃらに生きる時間。
考えて生きる時間。
どちらもそう変わりはしないじゃないか。
本能のまま生きるのもいい。
爆発とユーモアを忘れないで生きる。
ニンマリとした笑いが聞こえるだろう。
とてもいい時間を共に過ごした時間は素晴らしい。
御供 1998/7/17
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