魂が再び私をどこかへ連れて行く。
まどろみの夜が私を不安にさせる頃、
大都会の街の中でよろよろとあてもなくどこかへ。
どこに行けばよいのかもわからずに足を速める。
どこへ行けばいいというのだ。
どこか安らぐとこがあるんだったら教えてよ。
どこにも無いとわかっていても向かわずにはいられない。
どこかに行かなければならない。
いつももっといいどこかへ。
あこがれ、次から次へとあくことない旅がはじまる。
でもどこへ行こうと同じこと。
きっと心の中にあるに違いないどこか。
どこかへ行くより、
自分の中の宇宙へ飛び出そう。
私はこういう人々を知っている。
童心を深く宿している人。
そういう人々は、
童心の不思議な力を砕いてしまうことは決してない。
そういう人々は夢に包まれたまま盲目の目に前に生き、
日常の言葉を話すことを決して覚えない。
災いがそういう人々を驚かし、
いきなり白日の現実へ呼び戻されたら痛ましくどこかへ行きたくなる。
夢から追い出されて途方に暮れる。
恐ろしい人生を生きる。
無情なものはすみやかに沈み。
枯れた年年はすみやかに散り去る。
眼の奥の魂は、
あざけらず動ぜず、
世の中の営みを見ている。
今としては無情も永遠も等しく、
尊くあり、
生きることである。
だが、心はそれに逆らい愛に燃え上がる。
限りないどこかへ。
限りない愛の叫びに苦痛は私を打ちのめす名人だ。
知恵と愛は時として小さくなってどこかへ行くことを考える。
慰めと希望は薄く、
はかなくなる。
苦痛は激しく嫉妬深く愛する。
私はとりわけ苦痛の虜となる。
地上のカタチである自我がどこかへと向かわせる。
曲がり、抵抗し、逆らいながら。
どこかへ行ったって何も変わりはしない。
ここでなんにつけても少しづつかたずけよう。
未解決な問題を。
御供 2000/9/2
 

 
 
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