2010/09/01

J・ケルアックに捧げる


[天国その他から]
「一の歌」
グリニッジビレッジの日曜日。
芸術横町を気取りやどもが、ぞろぞろと通る。
つるつる頭にベレー帽を載せた、
自称絵描きという連中が鉄格子の上に絵を並べた。
その絵はみじめなもの。
岩に噛み付き、お日様のイカに毒気を吹きかける。
葉巻をくわえた愛好家連中は散歩でぶらり。
正確に言えば無邪気な船乗りどもが版画を買っている。
古いハンドバックの女性たちは民芸ファン。
うららかな6月の昼下がり。
ワシントン・スクェアをぞろりぞろりと歩いて行く。
芸術愛好家の面々はなさけない。
連中は私に耳を貸そうともしない。
みんな死んじゃうといいのに。
そんなこと解っているじゃないか。
死ぬことぐらい知ってる。
何で今さらそんなことを言う。
来るものは来る。
心配したって仕方ない。
失礼、今は楽しむ時。
素敵な陽気な散歩の時間。
あなたは何故そんなに悲しい陰気な顔なのか?
六番街四丁目の、
じっと座っているのも良し。
自分の手や足を差し出すけれど通行人の人々は、
信じるもののないことさえ、誰も信じていない。
聞いてくれ!
誰も絵など買ってはいない。
通行人の人々は信じるもののないことさえ、
誰も信じていない。
聞いてくれ!
誰も歩道で絵など買ってはいない。
通行の人たちもいない。
詩もなければ、
オーという声を上げる。
6月の昼下がりもない。
あるのは黒ベレーのはげ絵描きが、
表彰されることのない絵があるだけ。
不在のイメージだけ。
過ぎて行く一瞬にも満たない時間は、
すでに未来の無にほかならない。
おかしな戦争をしにやって来た。
チェスの指してたちは口をつぐみ、
ワシントン・スクェアブルースの歌声は上昇して、
私の窓辺で菩薩の詩になる。
無知の音を記述するのに、
言葉は必要ない。
彼らは地獄の絵を眺めて、
死に向かって散歩を続ける。
木々の間では誠実だった。
無知のアイスクリームをなめながら。
ああ私には詩は書けない。
書けるのは散文だけさ。
これは散文。
詩ではない。
でも私は誠実でありたい。
    御供

0 件のコメント: