ゲバラは革命家というよりは旅人でした。
なによりも冒険をこよなく愛した。
セルバンテスを愛し、
ゲーテを愛した。
死の果てまで旅は続いたけれど、
それはチェ・ゲバラが夢を見ていたからだ。
死にいちばん近いところにチェ・ゲバラの夢はあった。
ゲバラは13歳の時に最初の放浪を経験する。
1ヶ月間13歳の少年はアルゼンチン北部を歩き回った。
木の下で眠り、
農作業を手伝って食べ物を得た。
以来、旅しようという衝動が常にゲバラの心の中を支配した。
何度も小さな放浪を繰り返しながら、
エルネスト・ゲバラ・ラ・デ・ラ・セルナは多くの感受性で少年期を過ごした。
徒歩、自転車、オートバイ、イカダ。
ゲバラの旅はいつだって大地と、
そこに根ざした人間との対話するものだった。
若きゲバラは「転がる石」
ライカ・ローリング・ストーンそのものだった。
友人のグラナードと中古のバイクでアンデスを越えたのは23歳。
医学生の時だ。
病院で働いたり、
サッカーやラグビーのコーチをしたりした。
南米大陸を横断するこの放浪は8ヶ月にわたった。
旅をしながらゲバラは日記のように詩を書いた。
日記という習慣の詩は真実の心の声のように、
萌芽のままの状態でボリビアで果てるまで続いた。
彼の詩は生涯果てる瞬間まで途絶えることがなかった。
旅はゲバラを育てた。
帝国主義の最後の輝きをまだ誇っていた南米各地で、
ゲバラは世界を知った。
社会の矛盾を貧しさの原因を知った。
旅はゲバラを旅人から革命家へと育てていった。
大学を卒業して正式な医師となったゲバラは、
ボリビアに向かって出発した。
裕福な生活も安穏な未来も結婚の約束も棄てて、
ゲバラは旅だった。
終わりのない旅へ。
まだ見ぬ道を求めて。
御供 1998/7/22
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