フィデル・カストロと出会う前、
ゲバラはメキシコで街頭写真家をやっていた。
観光客の写真をとっては1枚1ペソで売っていた。
生計をたてる稼ぎにはほど遠かったが、
ゲバラはカメラが好きだった。
カメラを手にすると腕白な少年の顔になった。
革命後もゲバラはカメラを手放そうとはしなかった。
どこに行くにもカメラをぶら下げ、
ミノックスをポケットに入れていた。
ゲバラは現像も自分でやりたがったがそんな時間はなかった。
革命を成功したばかりのキューバは、
さまざまな面でゲバラを必要としていたからだ。
なんとも惜しいことにチェ・ゲバラが撮った写真は、
ほとんどが現像されずじまいだったらしい。
工業省大臣になってからも、
チェ・ゲバラは率先して新しい国作りの労働奉仕に出かけた。
そんなゲバラの姿を写したのは、
写真家のポリオ・ノバル氏だ。
氏はゲバラのカメラ好きを示すこんなエピソードを話した。
ある日、革命広場で撮影していた時、
チェ・ゲバラがやって来てノバル氏のソ連製エスタルトをいじりはじめた。
当時は珍しかった300mmの望遠レンズに興味を示したらしい。
ところが帰ってみて驚いた。
フィルムを現像してみたら、
写した覚えのないカストロの写真がそこにあったからだ。
ちょっとピントが甘かったが、
カストロが生き生きとした表上をした横顔が写っていた。
ゲバラがシャッターをきったのだ。
チェ・ゲバラの執務机からはハバナの街が見える。
ファインダー越しにゲバラは何度となくハバナの旧市街を覗き込んだことだろう。
もちろん恋は革命に欠かせません。
キューバはカストロというファインダーを通してゲバラのカメラに、
生命の輝く場所はリズムが沸き上がってくる。
オアシスのように写ったに違いない。
御供 1998/7/27
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