世の中のことを知りすぎると、
世界はとても狭くなる。
つまらないもののように錯覚する。
いくつもの知らないことがありながら、
自分の街を知りすぎるとすべてをわかったような気分になる。
東京という都市で生活していて、
渋谷や青山くらいしかわかっていないに錯覚する。
それでも充分じゃないか、
という判断が頭をもたげる。
知りすぎているなんてありはしないのに。
街に出ることもしない。
なんのあてもなく歩くこともしない。
散歩や映画や美術館に行くこともしない。
はとバスに乗ったこともない。
知ったつもりでいる。
いくつものテレビや雑誌のインフォメーションで、
そう考え違いをしている。
まるで見出し人間のように、
それらを見たしだけで理解したような自分がいる。
小さな路地の風景や、
多くの人間の実体も知らないで知ったと思っている。
世の中の出来事にも無関心で、
政治にも経済にも興味を示さない自分がいる。
目の前のものも見ないようにしてる。
自分の好きなことだけを知ったつもりでいる。
そういう時代なんだからと一言ですましている。
いくつもの知らないことを知ろうとすることもきっと大切だ。
自分の中に知らなくてもいい好きなことを知りすぎて。
楽しいことを知りすぎて。
美しいことだけを知りすぎて。
そうして生きて行くという甘えがあるのかも。
知りすぎて困ってしまうことが多いからね。
自分の興味のあることについて知ればいい。
知ったほうがいい。
あるものはあり、
無くていいものは無くていい。
知りすぎてこまることなんて、
あってたまるか。
御供 2002/9/28
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