2011/01/05

いったい全体


私は毎日何を苦しんで生きているのか?
別に面白くもない人生というやつとつき合って、
心にもないことを言ったりしている。
安住の地なんてあるんだろうか?
すべての人に優越をつけるこの社会でいったい全体、
何ができるというのだ。
ポケットにたくさんのお金があったら楽しいのか?
それとも何もないから、
こうして自分の時間が楽しめるのか?
こうして好きな詩を書いて、
欲望のままに行動して生きる。
今日は近くの人の死というものを間のあたりにした。
顔見知りの人たちが集い。
黒いスーツに身をつつみ、
喪に服して告別式とやらをやっている現場に足を運んだ。
こういう集いは苦手だ。
やりきれない時間の中、
人間それぞれの表上を観察した。
生きるっていったい全体どういうことなんだろう。
死ぬっていったい全体どういうことなんだろう。
人間はやがて死ぬんだ。
思いっきり動いて疲れきって死にたいものだ。
植物人間やら死を宣告された癌病者のように、
待っているなんて耐えられない。
私は私の道の上。
人と違ったことを好むあまのじゃく。
努力もしないかわりに、
人よりも楽しもうとは思わない。
嫌いなこともできないかわりに、
好きなことには夢中になる。
友のために大切な思いやりの心を持つことも母から教わった。
変人扱いされても自分らしく生きることを自らをみてとった。
いったい全体、私は何をやっているのだ。
この人生という途上にあって、
いつも同じあやまちを繰り返す。
目的の地にはいつたどりつくことができるのか。
やさしいだけじゃダメだ。
何か生きた証しをつくらなきゃ。
私が私であることを証明できないではないか。
いったい全体どうすればいいのだ。
私は今も明日もこう悩んで生きていくだろう。
でも言えることは精一杯楽しんでいる今があるということ。
私は私の道の上。
自分で決めて、
自分で歩いているのだから。
御供 2003/9/6

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