2010/12/03

デミアン


ところでこの物語は私自身にとってはとても重要なのだ。
何故ならこの物語は私自身の物語であり、
ひとりの人間の物語である。
架空の人物。
理想の人物。
その他なんであれ、
要するに実在しない人間を書くのではない。
現実に存在する人生、
人間が生きた一回限りの物語だからである。
もっとも今日では、
現実に生きている人間とは何であるか?
以前に比べてわかりにくくなっている。
人間はひとりひとりが自然によって一回限り行われる貴重な実験である。
実際には大量に殺しあっている。
しかしもし、私たちが一回限りの人間以上のものならばどうだろう。
つまり、私たちひとりひとりが強風にあたってこの世から跡形もなくなる。
消し去られてしまうものだったら物語を書いたところで、
何も意味もないであろう。
ところが人間はただひとりの人間であるばかりでなく。
一回限りでまったく特殊で、
それなりに重要で不思議な一点なのだ。
しかもこの一点で世界は様々な現象が交差する。
それもたった一回限りで二度と再び交差することがないのだ。
したがって、どんな人間の物語でも重要であり、
不滅であって神々しい。
どんな人間でもなんとか生きて自然の遺志を満足させるかにおいて、
素晴らしい存在であり注目に値するのだ。
どの人間も精神がカタチ持ったものだし、
その人間にも内部には悩みがある。
どの人間の中でもひとりの救世主が十字架にかけられるのだ。
今日でも人間とはなんであるかを知っている人は少ない。
それを感じている人はそうとうに数にのぼるだろう。
そのおかげで彼らは楽に死んで行く。
私は私を真の知恵を持つ者とは呼ぶわけにはいかない。
私は求道者であったが、
もはや運命の星や書物の中に道を求めてはいない。
私は私の血が身体の中で説く教えに耳を傾けはじめているのだ。
私の物語は耳障りで良いものではない。
架空の物語みたいに完備でもないし、
調和のとれたものでもない。
自己をあざむくまいとするあらゆる人間の生活のように、
私の物語は不条理と混迷、狂気と夢想の臭いがする。
どの人間の生も自分自身の道であり、
その道の上を歩き続けなくてはならない。
もう引きかえせはしないのだから。
御供

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