2010/12/01

父へ


私が生まれた昭和31年、
父はことあって道楽をやめたと聞く。
私は父とひざをわって話したことがない。
今は話すこともできない植物人間である。
父は私に対して精一杯の愛をそそいだ.
にもかかわらず、私はそれを理解していなかった。
私は幼い頃、父に逆らったことはなかった。
父の白い髪の奥には、
私には考えもつかない振る舞いと威厳があった。
父の不器用な性格は、
大きく私を悩ませた。
父と違って母は何でも私にストレートにぶつけた。
母そして母方の祖母に私はこよなく愛された。
始めての男の孫。
そして長男として生を受け、
女系の中で育った。
みなに愛されつつ大きくなった。
私は親を手こずらせるような子ではなかった。
性格は活発で気は小さくやさしかった。
母の愛を大きく受けながら、
父に対して口ごたえすることもなく。
迷惑をかけることもしなかった。
たとえ勉強に精を出さなくても「勉強しろ」と父に言われたことはない。
父の車をそっと夜中に友だちと乗り出し、
大破した時も父は何も言わなかった。
父は典型的な亭主関白で「男子厨房に入るべからず」
母は父に嫁いで49年、
一度も口ごたえしたことがない。
父と母が喧嘩をしているところを私は見たことがない。
父は何も言わない変わり、
母はこごとのように何かにつけて私に言う性格だった。
私は母にも口ごたえはせず、
ただ甘い母の言うことを素直にきくことはしなかった。
戦中派として育った母は、
私に甘く私の好きなあんこをいつもつくり与えた。
そんな両親に心から感謝している。
もし一度でも父と話せたらと今でも思う。
ありがとう。
   御供 2006/12/13
次の年の2007年1月1日に父は息をひきとった。私は虫が走ったのか2006年12月31日つまり死の前の日に父の見舞いに行った。

1 件のコメント:

jinnyjp さんのコメント...

もう会えない父は偉大な存在のままでいます。