2010/07/17

〜中の沈黙


とりわけ自分ひとりの時、
精神の深みにまで浸透することができる。
そういう時にこそ、
一本の木、ひとつの丘、ひとつの自然の中にも、
同様に浸透できるものかもしれない。
どこか遠いところをさまよっている。
夢想家が自分の魂から、
それほど遠いところにいなくていい。
むしろそばに来ていることに気づき、
他の世界から差し出された友情のやさしい感覚に包まれる。
目覚める時によく似ている。
そういう風に夢見るものは誰であっても、
一時的に判断を放棄しても精神まで捨ててしまうわけじゃない。
何故ならば精神の深みに達した時、
木々に具わる知性とも交感できるようになるからだ。
私自身が感じていた、
分裂、疎外、孤独。
と、まんざら似ていなくもなかった。
魂はその欲望へと従い、
孤独の生活の中の沈黙をバネに私は詩を書いた。
それはある名残りを書き留めた自由詩であった。
人間関係的要素があまり入っていない。
今世紀における社会生活にかかわるや、
無数にある物事についても触れていない。
様々な音の間に、
一種の共鳴を作り上げようとしてみた。
そんな中の沈黙が私に語りかけるような詩とでも言うべきか。
   御供 2001/1/5

0 件のコメント: