人間の心の扉を開けるのは自分自身なのかもしれない。
何かをする時に、
心を閉め切っていたらはじまらないだろう。
心をオープンにしてしまう。
ことにははじまりがあるのだから。
さあ、誰かと会ってオープン・マインドで話そう。
楽しい時間がくるだろう。
心の扉を開ければ、とにかくハッピー。
かつてないほどのハッピーが感じられる。
今、ハッピーなんてものは存在しないと考えている者たちよ。
実際日常に心ゆくまでつきあって、
やっとわかるものさ。
心の扉を開け放そう。
心底ハッピーになれるはずさ。
隠すことがないということはとてもハッピー。
開けっぴろげてみるということの快楽。
精神のやわらかいところをかばうよりは、
開けっぴろげてハッピーになろう。
心の扉を閉めない方がいい。
そんなものは絶対にありえない。
ハッピーなんてものは馬鹿げたものさ。
心の中に、
それも心の持ちようなんだと知った時。
自分は自分で心を開けることができる。
気まぐれであるしかない。
永遠に続くものなんてないと思うよ。
わかっているだろ。
人間の上へ下へと転下する中に少しだけ覗くもの、
それがハッピーなんだよ。
笑っているからってそうじゃない。
怒っているからってそうじゃない。
ハッピーはハッピー。
いろいろなことで感情が変化しても、
ハッピーなことは心の扉を開けることなのさ。
そう少しの気持ちの持ちようで、
ハッピーになったりハッピーが終わったりするのさ。
ハッピーなんてそんなものさ。
ずっとハッピーだったら、
ハッピーは味わえないということさ。
私の場合、角度を変えてハッピーにしてくれるのは、
いつも人間。
気の合う仲間と会った時、
私はいつもハッピーになる。
御供 2003/11/29 12/1/27
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