2010/06/02

旅の途上で考える


ヒッピーのタテ笛を聞いたとき、
天国からゆったりと吹いて来る風のような音が耳に優しかった。
海を見ながら目を閉じ、
旋律に耳を澄ますと聞こえて来る。
小学生の頃の自分と、今の自分がオーバーラップ。
私はどこから来て、どこへ向かうのだろう。
表現者として万人のハートを軽くなぜるのではなく、
ひとりのハートにぐさりと刺さる表現がしたい。
顔の見えない大勢の人に向かって受けやすい、
スローボールを投げるより。
そこにいるあなたに向けて真っすぐ超豪速球を投げたい。
人の心の中に棲んでいるあったかいものだけは、
今も昔も世界のどこでも本質的には変わらないものだと知った。
小手先の技術はいらない。
大げさな評価や解説もいらない。
生き方がアートだ。
死ぬ時に「自分の作品」に感動したいだけ、
世界がひとつになればいいと願いつつ。
愛の表現方法なんてない。
たまには窓を開けて未来の風景を見てるかい。
そろそろ、道の上に立って歩き始めよう。
でこぼこだっていい。
遅くたっていい。
疲れたらゆっくりでいい。
びりっけつでもいい。
一歩進むことによって風景が変わっていく。
いつも心に青空を、青空はとてもハッピー。
愛されるよりは愛する方がいい。
大都会でいろいろな人々と触れる。
ひとり孤独に大自然の中を歩く。
歌っては語り、語っては飲み、飲んでは歌う。
アジアの片隅で頼りない地図を片手に村々をまわる。
市場の片隅で、
路上の屋台で、
お祭りの縁日で、
人はみな本質的には同じもの。
西洋も東洋も関係ない。
生きているのか?
死んでいるのか?
わからない様子で泥だらけの地面にうつぶせに倒れてる。
ゴミの中に埋もれ、傷ついた足が痛い。
遺された片方の足で這いずり回る。
小さな手で私にしがみつこうとする子供たちを横切って、
ただ、歩いてる。
東京という空間で夢に見た自分、なにもできない自分。
東京という空間で手に入れてきた自分は意外に無力だった。
せめてこの胸の痛みが、
新しい私の誕生であって欲しい。
精一杯の心がそうつぶやいた時、
何でもいい、ここで何かをしようと思った。
路上に座ると、意外にもみなニコッと笑ってくれた。
現実はそんなにブルーじゃない。
ほとんどの路上の人にとって、
路上での生活がライフ・スタイル。
傾いているんじゃない。
ましてや、死んでいるんじゃない。
ただ、昼寝をしているんだ。
そこには悲しみや痛みではなく、
数千年の歴史によって作られた「現実」がある。
「これから」があるわけだ。
日本を感じることができて、
お金のかからない贈り物をしたいね。
日常の流れの中で忘れがちだが人生は無限じゃない。
人生の待ち時間は限られていて、
誰にも終わりのないカウント・ダウンが始まっている。
世界の街角で出会うのは、
やせこけてギョロギョルした目を持つストリート・チルドレン。
私は今ここにいる。
知識ではなく、実感を。
バーチァルではなく、リアルを。
明日ではなく、今日を。
主張ではなく、愛を。
世間ではなく、あなたを。
すべてはひとつ、心の根を詩う。
私の人生。
たった一度の人生。
燃焼する命。
沸き上がる生命力。
魂のフォーカス。
シンプルなパワー。
星の音、大海原の夜。
耳を澄ますと風が止む。
完全に音のない時空を体験したのは初めてかもしれない。
完全な静寂に入った時、理由もなく怖くなった。
しばらく我慢して落ち着いてくると、
満点の星が輝いていた。
ヘェー、星にも音があるんだ。
世界放浪をつづけていると、
大事なことがドンドンとシンプルになってくる。
世界を放浪していると自分は日本人なんだと実感する。
そして、日本のことを何も知らないことに驚く。
曇りの午後に煙草をふかしながら街を歩いた。
世界中の路地を歩きながら、
いろいろなことを考える。
誰かの一言で突然、幸せになることがある。
人生が変わることがある。
誰かの一言を支えに一生を生きて行くことがある。
すごく難しいけど、
一番シンプルで一番優しいことかもしれない。
  御供  12/2/6

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