2010/08/03

私は


今の私にないものは、お金だけ。
現代という消費社会において、
確かに少しの蓄えは必要である。
きれいごとを言ったって、
一番大切な時間というものを作るためにも必要だ。
行きたい時に、行きたいところへ行くためにも、
必要だと解った。
歴史上、共産主義を唱えたマルクスも金持ちだだった。
画家のミロは銀行家だったし、
ピカソは生前に富を手に入れて、
自由に制作に及んだことだろう。
サブカルチャーは精神世界におもむきを置き、
消費されない消費社会の中に生きることを願った。
しかし現代、大企業の上層に位置しブーマーと呼ばれ、
自然を破壊して、
物質社会を作り出している。
かつて、若き学生だった頃の思考とは裏腹に。
しかも見るからにタフなサラリーマンや、
個人経営の長になっている。
あの時代を変えようという反逆とは、
全く持って逆の、その道の上を歩いている。
サブカルチャーと言われる、
哲学者、経済学者、科学者、アーティスト、ミュージシャンが、
使うだけの余裕を持って何故悪いということさ。
非常なことをして、
青い美しい地球を破壊する。
自然や化石燃料を乱獲してしまう方法をとらなければいいじゃないか。
人間社会に生きているということは、
何かとかかるものなのさ。
かつて、60年代ヒッピーたちが手作りでモノをつくり、
路上で売っていた時代を考えてごらん。
あの時代はアレで楽しんだのさ。
でも未だに、テリグラフやヘイトアシュベリーあたりで、
露天商をやっているヒッピーを見ると、
何かネガティブな波動を発しているのがうかがえる。
私だったら、ニュー・ヒッピーを目指したい。
ピース&ラブ&サクセスがなかったら、
声は大きくならないし、
愛だって歌えない。
実際今アメリカは、戦争をしているじゃないか。
東京に関して言えば、
東大の安田講堂で戦っていた学生は官僚になった。
あるいは、大企業の経営者という立場で世の中を見ている。
あの頃の挫折感から、
まるで違う方向に進んで行ってしまったのだ。
私の考えは少し違うが?
CITYと呼ばれる都市生活社にとって、
潤滑油としてのお金は必要不可欠なんだ。
私は幼い頃から、母や祖母に甘やかされ、
お金に困ったことがない。
だから、たくさんのお金を浪費してしまい。
そういったものに固執していなかったのだろう。
気づいた時には、
路上や友人のところを泊まり歩く生活が続いた。
でも今、考えていることは少し変わった。
一夏でポケットに30円しかない暮しはもうイヤだし、
今日寝るところを探し出す生活にも飽き飽きした。
私にとって最悪。
最悪を味わった以上、
これからは上昇気流に乗ってみる。
ちょっと角度を変えて波乗りのサーファーのように、
スイスイと、この社会を乗りこなそうと思っている。
私に出来ること。
この問題だらけの社会において、
人に喜んでもらうこと。
創造という大切なことに時間を費やし、
後から、お金がついて来る。
そんな風に賢くなって、
社会に強く、
人生に楽しく、
未来に明るく、
しっかりと大地の上を、
時間の先端を見つめて歩いていたい。
御供

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