美を解する器官を持っている人間は、
それを楽しむ能力を持っている人間。
人間が生活や苦難や危険の中に、
美を愛することが出来る限り幸せだ。
つまり、自然や絵画の中の色彩の戯れが幸福だ。
嵐や海の中の声の呼びかけや、
音楽などを楽しむ。
犬の感動的な眼差しから、
詩人の悲劇的にいたるまで。
たえず、流れるその言葉から聞く者に、
その喜び、知恵、冗談と感動をあたえること。
美の中に意味を持つこと。
意味こそ多様なものの統一である。
美を持たずに生きることは、しおれすさむ。
パンやワインのない生活はない。
笑いや音楽のないような生活は幸福じゃない。
幸福と言う言葉は、
自然の感覚的な面に向かっては変化したりしない。
この言葉はいつもと変わらず、
今日も黄金色に輝いている。
幸福という時感じた。
賢い人とそうでない人がいるように、
幸福でない人とそうでない人がいたと思えた。
それにつけても、
私たち自身、異常な「幸福論」の時代の中に暮らしている。
幸福を味わったと言う。
ねたましさを持ってたたえられた幸運児や、
太陽の愛児や、
世界の支配者も。
わずかに時々、
はなやかな恵まれた時間。
大きな光に包まれたにせよ。
彼らは他の幸福は体験しえず、
完全な現在の中で呼吸すること。
天体の合唱の中で歌うこと。
世界の輪舞の中で共に踊ること。
神の永遠の笑いの中で、共に笑うこと。
多くの人はそれをただ一度だけ、
あるいは数日だけ。
幸福を体験するためには、
何よりも時間に左右されないこと。
同時に、恐怖や希望に支配されないことが大切だ。
数日、数時間、あるいはほんの数分間の体験でも、
幸福はやって来る。
人との初回に体験した、
これらのことは幸福として呼び起こされる。
一生の間で、
ある一時、
幸福を味わった。
世界の秩序では、
この幸福は永遠のものになる。
御供
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