ヘッセやジャック・ケルァックは不良だ。
ニーチェやランボーよりも不良である。
サリンジャーよりもヘミングウェイよりもタフではなく内気だ。
何故?
意味はないけど。
彼らは時代を逆行して時代を味方にした。
まるで時代が変わるのを予期していたかのように書いていた。
彼の拳は人を傷つけることなく。
戦いでは剣を持たない。
ただ、自分の力に病んでいる。
ヘッセと出会い。
ケルァックと出会った。
なんと楽しい地球の中。
時代のトリック・スターとして反逆して平和を願い、
そして詩を書いた。
この二人ほど私がショックを受けた詩人は他にない。
私がこうして詩とも散文ともつかないものを書いているのは、
彼らに影響されたからだ。
わからないけど書いている時、
この二人が私から離れない。
彼らからパッションをもらって書いている。
私に詩を書く楽しみを与えてくれたのも彼らだ。
確かに彼らとは生きた時代も国も違う。
私は東京を舞台に生きて書いている。
だが、感じる心の中は同じ沸き上がる思考。
あまのじゃくな考え方も同じ。
言葉遊びも変わらない。
見つめているところも一緒なのかも知れない。
『心に来る沈黙』を通過した後にはるかなる旅に出る。
たくさんの愛せる友に出会いたくて旅に出る。
また、ひとりでひとりの時間を遊ぶんだ。
ゆっくりした時間の流れの中に自分を置き、
友とともに歴史に残る。
なんて素晴らしい人生。
なんて素敵な人生。
彼らの目は時間の先端を見つめて、
規制概念を投げ捨てる。
なかばインスピレーションによって生きる。
詩はすべての思考を萌芽のままの状態で記述する。
言葉を書いてひとつのヴィジョンを求める。
言葉の魔術とはこんなところだ。
詩というものを通して発せられる魔術。
旅先で書く詩はまた違う言葉の魔術を持つんだ。
より多くのエネルギーの中から生まれる言葉。
人間は言葉の魔術を知り次の時代の訪れを予感する。
言葉の魔術によって社会は少しづつ変わっていく。
やがてすべてのことが正しい言葉の方向に向かう事実。
それは素晴らしい思考の中に生まれた言葉の使い手によって変わっていく。
いつの時代も問題はエッジにあり、
そのエッジに生きる中から発せられる言葉の魔術。
今までの時代と共に受け入れられた詩がそこにある。
御供 2002/6/3 11/11/8 14/6/2
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