2010/04/24

本質



あらゆるものは同じもの、
本質でできている。
母なる自然ではなく、
純粋な自然。
思考の実体を表現するのもからっぽの実体と同じ。
それはそこにありどこにでもある。
からっぽさの内側に私が聞く沈黙と同じ。
無知な思考回路がはりめぐらされている。
映画のひとコマのように筋書きとおり。
現代社会のどこに本質と呼べるものがあるというのだ。
あるんだったらその本質に向かって進みたい。
見えないが本質に向かうことを考えてならない。
本質をとらえるためのぴったりした言葉があるだろうか。
すべてのものが本質から遠のき愚劣なものになっている。
ともかく愚劣な思考は愚劣としてかたずける。
つまり詩だ。
一編の詩が愚劣さを始末する。
苦しんでいる自分が幻なんだと思う。
同じ意味で幻はいくつも存在し本質の近くにある。
至高にして完璧なるもの。
本質の近くにいたのに私は何も得なかった。
まったく何も得なかった。
何も変わりはしなかった。
何も実現されるはずがなかった。
偽りの概念を捨てることによって本質がつかめるのか。
内なる世界へ私は向かった。
私は何も言わぬまま向かった。
自分が何を考えているのかもわからぬまま。
空白のエクスタシーの中、
どんなものも自分のからっぽに気づいていない。
だから、本質を見いだせないでいる。
そして同じところへ帰って来る。
到着点は終着点。
ただ、本質というそこへ行けない。
ハイになり過ぎたジャンキーたちは手持ちのありったけを使いはたす。
バカみたいにただベットの脇に腰をかけている。
一晩中見ていた本のひとつの言葉を繰り返しながら、
うつらうつら時間を過ごす。
宇宙の精神に目覚めて気づいてみれば、
体得するものなど何もない。
ただ本質を見つけたいだけ。
   御供 2001/12/12 11/11/13 14/7/4

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