愛は自分の楽しみではなく、
あらゆる人々へのものである。
愛はどこにでも転がっている。
だが、その石ころを拾うも捨てるも自分である。
他の人にやすらぎをもたらし、
至上の満足を自分に。
現代という時代の上に、
天国を見下ろそうとする。
ちっぽけな行為がそうさせる。
人間たちの考えにまよわされながら、
裏切りと信頼の間を行き来している。
上から下へ流れる川の中に転がる石ころを見て、
人間の流れの中に大切な出会いを求める。
愛は自分自身を楽しませるためのもの。
自分の快楽のために他の人もある。
他人の不安の中に楽しみを見れば、
自分の中にも楽しみが見える。
自分の不安の中に喜びがあるように、
他人の中にも喜びがある。
そして、都会にも、
確かな天国が存在する。
それは、すべての人の心の中にあると思う。
愛とは何か?
その本質はどこにあるのか?
世の中に愛する対象は、
友、彼女、親など、、、、、、。
このささげられる愛の中に存在する愛。
献身的で無知の愛もあれば、
もっぱら、他人の愛を享受するのみの利己的な愛もある。
無心の愛。
利己の愛。
これらは自分の考えの中にある。
互いに交わり合うことはない。
無心の愛は愛された人間の、
尊いを暗示している。
利己の愛はこれから、
「経験」する世界の中にある。
時間の先端をさしている。
愛は石こるが転がるようなものなのかもしれない。
御供 2013/5/19

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